51 パトローナス


深々と純白に包まれたままのホグワーツに生徒たちの賑やかな声が戻ってきた。わいわいとクリスマスプレゼントや旅行について語り合い、持ち込んだお菓子を交換する姿があちこちに溢れる。


休暇明け初めての授業を終え楽しい家族団欒のお裾分けを貰ったリリーは、それを持ってルーピンの部屋を訪ねていた。

廊下の凍てつくすきま風とは無縁の温かな室内で、リリーの持ち込んだコーヒー(ルーピンは溶けるのか不安になるほど砂糖を入れていた)を啜りながら話に花を咲かせる。


「ハリーに守護霊の呪文を教えることになってね」


満月を越え、顔色に生気の戻り始めたルーピンが気乗りしない風に切り出す。


「わ、凄いのに挑戦するんだね?どうしてまた?」


リリーは《知っている》とバレないよう注意を払いながらもテンポよく相槌を打った。


「彼は我々より吸魂鬼に影響を受けやすい。それをとても気にしているようでね」

「なるほど。過去が過去だからと割り切れる歳でもないか」


ルーピンは大きく二度頷いた。


「それで?計画は立ててるあるんでしょ、教授?」

「まぁね」


詳しく聞きたいと首を傾げるリリーにルーピンは言うべきかと躊躇いをみせ、眉尻を下げる。


「ボガートを使おうと思ってるんだ」

「ボガートを?」

「ハリーの話を聞くと、彼の前では吸魂鬼に変わるらしい。ただ呪文の練習をするよりも実戦的だろう?」


賛成を述べながら、リリーがコーヒーの苦味を堪能する。


「でも職員室のボガートは駆除されたって聞いたよ」

「あぁ、城中を探せばまだ何処かにいるだろうさ」

「手伝おうか」

「君が?」

「それが私の仕事だからね」


この提案は予想していなかったと目を見開いたルーピンが、厚意に甘えたい心と彼女をボガートに会わせたくない心とで揺れ動く。


「私は仕事としてハリーに守護霊の呪文を教えるわけじゃないから、気にしなくていい。それに君は……」

「ボガートに対処できない?」


言い難そうなルーピンの言葉尻を引き継いで、リリーがキッパリと言い切った。


「一戦一敗でお払い箱なんて厳しいね。確かに私の精神力は弱い。リーマスも見た私の恐怖をどうすれば笑いに変えられるかなんて分からないし、そうしたくもない。ついでに告白するなら、私のパトローナスは有体じゃない」


リリーは肩を竦め両手を広げて、心にチクチクと刺していた秘密の棘を披露した。

ルーピンは何から返事していいやら分からないといった様子でマグカップを擦る。今にもそこから答えが飛び出してくるのを待っているかのようだった。


「そろそろ部屋に戻るよ。ボガートは見つけたら連絡する。友人として」


ルーピンが切なげに口を開きかけたのを、言葉を付け加えることで制する。彼は閉じた口を諦めの混じる笑みに変えた。


「分かったよ」


空になったマグカップを机に置いて立つリリーをルーピンがその場で見送った。


意を決して進み出した廊下は、ヒンヤリなんて優しいものではなかった。瞬く間に奪われる熱を摩擦で誤魔化す。陽気な絵画の呼び掛けに右手を上げて返し、リリーは私室への道を歩いた。

守護霊の呪文。色々な呪文を練習する中で、試してみたことがある。結果は惨敗。幸せって何だ?なんて哲学めいたことを考え出してからは練習を止めてしまっていた。


近道のタペストリーから顔を出したとき、自室の前に人影を見た。真っ黒な影は近づいてもその黒さを失うことはなく、何度か扉を叩いたあとに舌打ちをしてだらりと腕を下ろした。

彼は正しく私にとって幸せの権化のような存在だ。彼への気持ちだけで毛並みの一本一本まで精巧に造り上げた守護霊を出せたなら。エバンズを思う彼のように。


しかし私は彼を思う度に《本》が過り、

ボガートが過り、

エバンズが笑う。


苦しいばかりだった。

リリーは肺一杯に氷のような空気を吸い込み、温まった熱を吐き出す。そして背を向けて歩き始めてしまったコウモリに声をかけた。


「スネイプ教授!」


折角無駄足にならずに済んだと言うのにスネイプは嬉しさの欠片もない顔で振り向く。どこから涌いて出たと言いたげに眉間を寄せると、彼は持っていた封筒を見せ付けるようにヒラリと揺らした。


「それは?」


誘われるようにリリーが駆け寄る。


「君がまとめたものへの論評だ」


渡された淡い黄色の封筒には学会だか研究所だかの封蝋印が押されている。

そういえば、とリリーは繁々と差出人の名前をなぞる。スネイプが自分も出すついでにとリリーにままごとのような研究を纏めさせ、聞いたことのない組織にその成果を送ったことがあった。あれから数ヵ月、すっかり忘れていたがようやく返事が来たらしい。

今の今まで頭から抜け落ちていたにも関わらず手元に評価があるのだと思うと、リリーはドクドクと緊張にはしゃぐ心音が聞こえてきた。


「開けて良いですか?」

「君への手紙だ」


用事は済んだだろうに一向に立ち去る様子を見せない彼もまた、中身を気にする一人なのだろう。早く開けろとばかりに睨まれて、リリーは封蝋印に手をかける。


一言で言えば、ダメダメだった。

魔法薬の権威の集まりらしいこの場所に、趣味にも満たないお遊びが紛れ込んだところで笑われるのがオチだ。丁寧な文言で書かれてはいるが、要約するなら『出直してこい』だった。

ぎゅっと力の入っていた指先をフッと緩める。リリーは向かいで白い息を吐き出し続けるスネイプに手紙を渡した。走るように素早く瞳を左右に動かして下まで読み切ると、スネイプが顔を上げる。


「やっぱり私なんかがちょっと実験したくらいじゃダメですね」


情けなくヘラリとリリーが笑う。


「当たり前だ。既に飽きてこの冬は他の事にご執心だったようだからな」


ギクリとリリーの身体が強張った。また追及が始まってしまう。そう覚悟して泳がせた目をスネイプに向けた。

が、リリーの予想に反してスネイプの目はグリグリと抉るような鋭さはなく、責めるような重い質問もない。冬休みにリリーが何をしていたかなどまるで興味がないように見えた。


「聞かないんですか?」


ついリリーからそう切り出してしまうほどに、スネイプのこの態度は不自然だった。


「言うのか?」

「いいえ……」


声を落とし目を伏せたリリーをスネイプが鼻で嗤う。何処かで突風がすきま風となり城内を駆け巡る音がした。


「分かってはいても、改めて示されると落ち込むものですね。材料の無駄遣いで……申し訳ありません」


束の間の静寂を破ったのはリリーだった。耐えられないと話題を戻し、未だスネイプの手にある手紙に目線を向けて謝罪を口にする。


「ここは見込みのない者用に定型の慰め文がある」


リリーにはスネイプの言わんとしていることが分からなかった。疾うに身体は熱を奪われてしまったが、それでも二人は話を止めはしない。


「無論、我輩は実物を拝読したことはない。しかし察するに……これはその類いではない」


長い節張った指で手紙の下部を叩き、不機嫌さを出しながらスネイプが続ける。


「魔法薬応用に際しての現実的な方法論の確証不足。ここが意味するところは?」

「え、意味?」


突然授業のように話を振られ、慌てたリリーは手紙に顔を寄せる。スネイプはため息をつきながら先程自分が読み上げた箇所を指す。


「……私が未熟だということ……?」


文をゆっくり三度読み返しても、それ以外の答えは浮かんでこなかった。

窺い見たスネイプの顔があまりにも近くにあって、リリーは冷えきったはずの身体が一気にポカポカし始めた。不自然でない程度に距離を取る瞬間、動いた空気に親しんだ薬草を感じて胸がぎゅっとなる。


「馬鹿者。そんな分かりきったことではない」


リリーの心中など知る由もないスネイプは手紙を畳み、リリーへと差し出す。


「次は現実的な使用方法と応用についての研究を期待する、ということだ。君にその気があるのなら、な」


次……期待……


瞬間、リリーは足元から一気に春が来たような、身体中が満開の花で覆われたような気がした。ぶわっとリリーを襲った温もりは、顔から弾けた。

リリーの満開の笑顔に、今度はスネイプが距離を取る。自身が手紙を持ったままであることに気づくと強引にそれをリリーに押し付け、もう何も見たくないと背を向けた。


「ありがとうございます!」


すぐ前の男に言うにしては大きすぎる声に近くの絵画が眉を潜める。

手紙を持ってきてくれたこと、慰めてくれたこと、可能性を示してくれたこと、そのすべてに対する言葉だった。

そして最後はいつもの言葉。


「おやすみなさい、スネイプ教授!」


大きい歩幅で影に溶けていく真っ黒な後ろ姿。スネイプの残した「おやすみ」の呟きは、確かにリリーに届いた。









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