11月の第一土曜日。
クィディッチの初戦が始まろうとしていた。グリフィンドール対ハッフルパフ。当初の予定だったスリザリンはシーカーであるドラコ・マルフォイの怪我を理由に、ハッフルパフへ試合を譲った。
マルフォイの怪我は未だ完治していない。マダム・ポンフリー曰く、日常生活には支障がなく包帯も取れるがシーカーの務めを果たせるまでにはまだ時間が必要なのだという。
既に痛みはないと聞いて、リリーは肩の力が抜けてほんの少し荷が下りた気がした。
立ち込める雲の分厚ささえ見られまいと大粒の雨がごうごうと滝のように落ちる。すべてを拐いそうな風は木々をススキのようにしならせ、下級生は固まって歩くことを余儀なくされた。
そこまでしてでもクィディッチは見に行く価値があり、ホグワーツ最大の娯楽である。
多くの者にとっては。
箒が真っ直ぐ飛ぶのかも怪しい天候にも関わらず、観覧席には殆んど全校生徒が詰めかけていた。職員席にも多くの教員が集まり、試合開始を今か今かと待ち望んでいる。教員は誰一人として傘を差していなかったが、濡れている者はいなかった。
長いふわふわの白髭を風に遊ばせるダンブルドアの隣にリリーはいた。クィディッチを楽しむようなタイプではないが、彼女には今日この場にいなければならない理由があった。
隣で気楽な笑顔を振り撒く偉大な魔法使いさえいればすべてのことがどうにでもなってしまう予感はする。それでもポッターにもしものことがあってはいけない。リリーはローブの下に隠れた杖を握りしめ、上空へ飛び上がる選手たちを見守った。
試合はどんどんと進んでいく。一人の黄色いユニフォームがぐんと急上昇したのが分かった。続いて赤のユニフォームが飛び上がる。セドリック・ディゴリーとポッターに違いない。
リリーは一層強く杖を握りしめ、その行方だけを一心に追った。誰もがポッターたちに釘付けだった。しかしダンブルドアだけは、彼女らしからぬ食い入るような観戦をするリリーを覗き見ていた。
「ポッター!」
叫んだのはリリーだけではなかった。
大粒の雨に交ざり20メートル以上も上空から落下する赤のユニフォームにみんなが息を呑む。リリーが杖を出したとき、既にダンブルドアは競技場へ降りていた。慌てて駆け出すマクゴナガルに反して、リリーは再び席についた。
ダンブルドア校長がいれば私は必要ない
雨のせいではない寒さに震え、温かな美しい不死鳥が空へ舞い上がるのを眺めた。ダンブルドアの守護は競技場全体を飛び回り、黒い醜い影を追い払っていく。
観覧席全体がホッと息をついた。
その日の夜、リリーは禁じられた森に来ていた。
相変わらずの暴風雨だったが身を隠したいリリーにとっては好都合だった。歩いたせいで前の何倍もの時間をかけ辿り着いた巣にシリウスはいない。当然か。ここでは碌に雨風が凌げない。
ならばどこにと巡らせ、一つの可能性に行き着いた。リリーは校門の吸魂鬼を避け、暴れ柳のコブをつつく。
辿り着いた叫びの屋敷にシリウスはいた。水滴を払ってもなお湿った真っ黒な毛並みを膨れ上がらせ、招かれざる訪問者に牙を見せつけていた。
「シリウス、見つけられて良かった」
姿を見せたのがリリーだと分かるとシリウスはブルッと震え、二本足で立った。
「よくここが分かったな」
「他にいい場所知らなくて。犬の姿が様になってるね?」
「耳と鼻が利く。……チキンか?」
「当たり」
リリーの持ち込んだ巾着に釘付けになるシリウスにクスリと笑って、中からお目当てのものを取り出した。杖を振って温めると、シリウスは躊躇いもなくむしゃむしゃとかぶり付く。その様子に頬を緩めながら、リリーは暖をとるため杖先から便利な火をおこした。
「疑うのはもう止め?」
「俺は自分の鼻を信じてる。これはチキンだけの匂いだった」
食事以外に気を割きたくないと面倒臭そうにシリウスが答える。あっという間にチキンがなくなると、仕方無さそうにポテトやパンに手をつけ始めた。
「競技場へ来てた?」
「あぁ行った。ハリーはどうだ?ダンブルドアがいたんだ、無事なんだろう?」
「怪我はね。ただ吸魂鬼の影響が……」
リリーが中途半端に言葉を止め、シリウスは手についたジャムを舐めとりながら首を傾げる。つい1週間前には殺伐とした空気のあったシリウスとの団欒に可笑しくなって、リリーは肩を震わせ笑い声を押し殺した。
「なんだ?」
「和やかだなって。それに前会ったときはポッターを殺すかもしれないって凄んだ人が、今は心配してる」
クスクスと笑うリリーにばつの悪そうな顔をしてシリウスが頭を掻く。彼は「あー」とか「うー」とか言葉になる前の呻きを洩らし、言うか言うまいか悩んでいるようにも見えた。
「ポッターは無事だけど、相棒の箒は粉々だったよ」
「箒?」
「ニンバスなんとかってやつ。暴れ柳にぶつかってね。私も拾い集めたけど、あれは直らないんじゃないかな」
シリウスは「そうか」とだけ呟いて、顎に手を当てて黙り込んでしまった。時折無精髭を撫で付けてはため息を漏らす。
「またね、シリウス」
「あぁ」
素っ気ないが会う気はあるらしい返事にリリーは笑って頷いた。風に煽られたオンボロ屋敷の悲鳴が、今日は楽しげな歌に聞こえる。しかし外へ出てあまりの荒れ模様に自分の耳は可笑しくなってしまったと肩を落とした。
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