46 代理授業


校庭が霜に濡れ風が凍てつくようなものに変わる季節。三度目の満月がやって来た。

スネイプとリリーはより簡便で単純な脱狼薬を追い求め、細々と研究を続けていた。今度の脱狼薬は極僅かにトリカブトの配合を増やした特別なもの。姿を変える力すら抑えてしまうことを望んで調合した。

しかしこれがいけなかった。




服用から7日目。

大広間の天井は暗雲が立ち込め不幸の雨を降らせていた。

ルーピンが朝食に顔を出さず、嫌なものを感じたリリーが早々に席を立つ。そんな気配を察してか、後を追うようにスネイプも立ち上がった。

空席を挟んだ隣に座るダンブルドアがブルーの瞳を尖らせスネイプを見やる。目を合わせた漆黒はコクリと頷くとローブを翻し、引き摺らぬほどのスピードで扉へ向かった。




「リーマス?リーマスいる?」


ルーピンの私室を荒く叩き、まだ中にいるであろう男の様子を窺う。しかし何度叩いても返事はない。

追い付いたスネイプは問答無用と杖を振り上げ鍵を開けた。勝手な入室に躊躇うリリーの背を押して、スネイプが中へと進む。

入ってすぐの部屋に人影はなく、奥の扉から苦し気にくぐもった声が聞こえていた。


スネイプとリリーは顔を見合わせ扉を開ける。

飛び込んだのは寝室で、ルーピンはベッドでシーツに包まりながら青白い顔を更に青白くさせていた。はぁ、はぁ、と息も苦しいようで、冷や汗に濡れた髪がべっとりと額に張り付いている。

スネイプは遠慮なくルーピンからシーツを剥ぎ取ると、だらりと横たわる腕を手に取り脈を取った。


「ルーピン、いつからだ?」

「いつ……」

「いつから這いつくばっているのかと聞いている!」

「……夜明け、前……」


弱ったルーピンに鞭を打って問いただすスネイプをリリーはハラハラと見ているしかなかった。やがてスネイプが満足したように切り上げて、寄せきった眉間を僅かに緩める。


「死ぬなら疾うに死んでいるはずだ。今は耐えろ」

「そんな、こんなに苦しんでいるのにですか?!」

「楽にする薬はあるが、飲めば今夜の理性は保証しかねる。尤も、別の意味で楽にする薬なら、喜んで煎じでやろう」


病人に対する優しさなど微塵も見せない威圧でスネイプは下した診断を吐き捨てた。リリーは汗の染み込んだルーピンの服を乾かしてやりながら、額の汗を拭う。

リーマスが今こんなに苦しんでいるのは私たちのせいだ。トリカブトの影響が出やすい服用直後は気にかけていたがまさか何時間も後に症状が出るなんて。


これも私のせい?


「ごめんなさい、リーマス」


スネイプの剥いだシーツをかけ直して、リリーがルーピンの手を握る。祈るように両手で包み込んで、切なげに目を細めた。


「すぐに水を用意するから頑張って飲んで。他に欲しいものは?」


ルーピンは弱々しく首を横に振り淡く微笑むと、握られていた手に力を込める。


「授業は、任せるよ」


掠れた声のルーピンが熱に潤んだ瞳を真っ直ぐリリーへ向け言った。背後でばさりとローブを翻す音がする。


「ダンブルドアとマダム・ポンフリーには報せておく」


スネイプは返答を待たずに出ていってしまった。直にマダムが駆け付けてくれるだろう。それよりも、リリーは不安要素が一つ増えたことに驚きを隠せなかった。


「授業を、私が?ただの助手だったのに?私でいいの?」


リリーが聞く度に、ルーピンは首を縦に動かした。


「スケジュールは、机に。内容は、任せる……」


《本》ではスネイプ教授が担っていた。それを私が?


大きな不安の中に確かな喜びが芽吹く。頼られ、認められた。じわりじわりと浸食する歓喜がリリーを浸す。

しかしどれだけルーピンに信用してもらっても、リリーには狼人間の授業を行うしか選択肢はなかった。ルーピンの顔を曇らせることになろうとも、これだけは譲れない。


「分かった。だからリーマスは安心して休んで」


握っていた手をシーツの中へ戻して立ち上がる。

リリーが寝室から出ると廊下へ繋がる扉がノックされた。頼りがいのある声に安心して扉を開けば、マダム・ポンフリーがタオルや水を乗せた盆を持っていた。


「仕事は大丈夫なの?もうすぐ始業のベルが鳴りますよ」

「もう行きます。リーマスをよろしくお願いします」

「もちろんです」


寝室へ入るマダムを見届けて、机の隅に貼り付けられたスケジュールに目を向ける。今日は金曜日。一限は幸いにも空欄だった。

目的の教室に向かう生徒たちとすれ違いながらリリーが向かったのは図書室。付け焼き刃でも、多くの知識を蓄えておきたかった。


一限を丸々使って図書室に籠り、休み時間には地下牢教室へ滑り込む。授業について少し話しておきたい。

片付けながらも訝しがるスネイプを余所に、リリーは時間が惜しいと切り出した。


「スネイプ教授なら、闇の魔術に対する防衛術で何を取り上げますか?」


リリーに決まった答えがあるとは知らないスネイプは、手は止めずに考えるような間を置く。けれど返答は予め用意していたようにはっきりとしていた。


「我輩なら……最も身近で、巧妙に潜む、恐ろしい存在について……お教えするだろう。特に今年は非常に遺憾なことに適材がいらっしゃる」


ニヤリとスネイプが嫌な笑みを浮かべる。ポジティブに捉えても生徒のためとは思えない雰囲気に、リリーは曖昧な笑顔を返した。

《本》を読んだ分、私はきっと他の誰よりもスネイプ教授に好意的だと思う。でも彼のこういった側面は歓迎できない。過去のしこりは他人には分からないものだけど……。


「貴重なご意見、ありがとうございます」


チラリと見た時計が始業間近を告げていた。リリーは邪魔をしたお詫びを言って、足早に地下牢教室を離れる。


闇の魔術に対する防衛術の教室へ向かう途中、オリバー・ウッドに捕まっていたポッターに声をかけた。助かったと胸を撫で下ろしながら、ポッターが後を付いてくる。


「今日はルーピン先生のお手伝いですか?」

「いいえ、ポッター。手伝いではないよ」


言いながらもリリーが手をかけた扉は普段ルーピンが使う教室で、ポッターはその様子を眺めながら首を傾げた。入室の合図のようなタイミングで始業のベルが鳴り響く。


「ルーピン教授はお休みです。よって今日は、私が担当します」


教室を突っ切って教卓へ向かいながら、リリーが告げる。教室中がどよめき、ザワザワとあちらこちらから疑問の声が上がった。リリーはいつもの笑みを封印し、キリリと眉を上げて生徒を見回す。


「ルーピン教授に教える内容は一任されています。私が選んだのは教科書394ページ、狼人間」


授業範囲やルーピンに関する疑問に軽く答え、リリーも教科書を開く。

ここからは《本》のアドバイスを無視したリリーオリジナルの授業だ。範囲は従うとはいえ、なるべく狼人間に負の印象を植え付けない。それが図書室で決めた授業の方向性だった。


基礎的な部分に加えて試験対策に有用なポイントを踏まえた説明を終え、リリーがパタンと教科書を閉じる。授業を終えるにはまだ時間が余っていた。


「狼人間と言えど、彼らにも色々います。生まれながらの者、咬まれて変化した者、人間を襲いたがるもの、苦しんでいる者。我々と同じです」


突然何の話かと顔を見合わせる生徒たち。


「ここからはメモを取らなくて良いから聞いて」


不思議に思いながらも指示通りに羽根ペンを置いた生徒たちの顔がリリーに集まる。何が始まるのかと眉を潜める者ややる気を失い椅子にだらりと凭れる者、色々だった。


「今の世の中では、狼人間は恐れるべき存在で、信頼に値しない無価値なモノだという認識が強い。果たしてそれは正しいのか?自分だって運の悪いときに咬まれてしまえば狼人間になりかねないと、先程説明した通りです」


少しでも大多数に流されない人間が増えてほしいと、一人一人の瞳を覗き込みながらゆっくりと話した。


「皆さん、隣を見て。友達をよく見てください」


一斉にキョロキョロしだす様子を眺め、深呼吸を一つ。


「もしその人が、狼人間だったら?良き友人が、一人で苦しみ悩んでいるとしたら?あなたはどんな言葉をかけるでしょう」


途端に教室中がざわついた。ああだこうだと話しながら眉を潜め、有り得ないと笑う者もいる。


「絶交?それも結構!狼人間を仇とする者もいるでしょう。……では宿題です。狼人間について今日の話をまとめた上で、自分の素直な気持ちを羊皮紙に綴ること。量も期限も設けません。書いた人は私へ提出してください。……向き合ってみて」


リリーは最後ににっこりと微笑んだ。その時ちょうどベルが鳴り、ガタガタと一斉に片付けの音が始まる。解散を告げると、生徒は熱したフラスコの空気のように勢いよく外へ飛び出していった。


リーマスに出会う前の私なら、くだらないと一蹴していただろう。こんな話に何の意味があるのかと。知識なんて試験に役立てばそれでいいと。

でも社会に試験はない。引っ提げた知識を持て余しながら退屈に過ぎ去っていく日々にこそ何の意味があるのだろう。

私情にまみれた最後の10分は教師として誉められたものではなかった。けれどやりきった自己満足の心地よさは確かに私を満たしてくれる。

甘い毒のように痺れ感覚を麻痺させるそれは、いつまでも私の底に溜まり続けていた。







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