44 ハロウィン


一巻はトロール、二巻はバジリスクの犠牲。今年もハロウィンがやって来た。三巻ではシリウス・ブラックが太った婦人を切り裂くと《本》に書いてある。

加えて今日から再び脱狼薬の服用が始まる。ポッターの前でスネイプ教授の持ってきた煎じ薬をリーマスが飲むためにはどうすればいいか。

私の存在は邪魔でしかない。




生徒たちがホグズミードへ出掛けてガランとした城を地下深くへ向かって下りていく。冷えた空気にカツカツと靴音がよく響いた。玄関ホールから一段下りる毎に白さの増す息に手を翳しながら、リリーは目的の扉をノックする。


「リリー・エバンズです」


いつもの音、いつもの挨拶、いつもの開かれる扉、いつもの事務机へ向かう男。


「すぐに行く」

「準備を始めておきます」


羊皮紙から目を離さないままで僅かにスネイプが頷く。それを確認し、リリーは私室から事務机の近くを通り研究室へ入った。

隣室から流れ込む暖められた空気に頼るだけのヒヤリとした空間。リリーの仕事はまず暖炉に火を放つことだった。

実験の繰り返しで随分と在庫が減ってしまった。安い材料ばかりではないからそろそろ控えておくべきだろうか。食材の影響は調べ終えてしまったし、後でスネイプ教授の考えを聞いておこう。

リリーはそんなことを考えながら、大鍋を火にかけ用意した材料を丁寧に刻んでいく。彼女に許された作業を粗方終えた頃、スネイプが部屋へ入ってきた。


「始めよう」


お互い手順はすべて頭に入っていたが、念のため書き込みだらけの手順書を広げて大鍋へと向かった。

水を張っただけの中が薄緑から群青を経て青み架かった煙を出しながら溝色へと変色する。大鍋を熱するごうごう、暖炉で木が爆ぜるパチパチ、煎じ薬の暴れるゴポゴポ、いろんな音を奏でながら調合が進んでいった。


「トリカブトを入れる」

「はい」


リリーは頷いて邪魔にならないように大きく下がる。スネイプも大鍋へ粉末をさらさら傾けると杖を取り出し大きく一歩下がった。

ボンッと聞きなれた音がして、脱狼薬が完成する。

リリーにとっての問題はここからだった。なるべく《本》に従いたい。いつもなら自分がルーピンに薬を届けるところだが……。


「今日はこのままホグズミードへ行こうと思います」


大鍋を残して道具を片付けながら、リリーが何てことないように言う。


「ほう、ルーピンに薬を届けてそのまま?」


材料瓶を棚へ戻していたスネイプがリリーの意図を察したように手を止めて振り向く。器用に上げた片眉が「NO」とは言わせない雰囲気を持つ。しかしリリーはそんなこと承知の上だった。


「もしスネイプ教授さえ承諾してくださるなら、このまま」


脇へ置いていたマントを指してリリーが窺う。


「薬を飲んだルーピン教授のしかめっ面、お好きだと思いましたが」


悪戯っ子のような微笑みで、リリーがスネイプを誘った。上げた眉を二つに増やし、スネイプが驚いたような表情を作ってみせる。


「君がそんなことを言うとはな。てっきりご友人だとばかり」

「もちろん友人です。薬を届けて話に花を咲かせた挙げ句ホグズミードに行き損ねそうなくらいには」


冗談めかして言うリリーに眉間のシワを増やしたスネイプがニヤリと笑う。


「簡単な方法がある」


スネイプはつかつかと暖炉に近付き、その上からキラキラと輝く粉を一掴み取るとそのまま炎に投げ込んだ。


「ルーピン!取りに来い!」


机に戻ったスネイプがゴブレットへ薬を注ぐと、暖炉からは草臥れた灰被り――ではなく声だけが響いてきた。


「セブルス、生憎ハリーが来ててね。後で行くよ」


どうするつもりかとリリーが覗き見たスネイプの横顔は平然としていた。しかしピクリと動くこめかみに僅かならず不満が漏れ出ている。


「よかろう」


独り言のように呟いて、スネイプがゴブレットを引っ掴む。顎先でリリーに部屋を出るよう催促すると、自らも冷えた地下廊下へ踏み出した。

リリーの安心した様子など気にも止めない男は滑るように大股で階段を上る。


「スネイプ教授!その薬の材料、大分減ってきていますがついでに発注しておきましょうか?」


マントを羽織ながら慌てたようにリリーがスネイプの背に問いかける。スネイプはピタリと動きを止めると顎に手をやり、思案する間を置いてからリリーに向き直った。


「いや、費用についてダンブルドアと話す。発注はその後だ」

「分かりました」


再び登り始めた黒い影を追ってリリーも歩を進める。玄関ホールに着く頃にはすっかり引き離されてしまった。

無防備に晒された両手を擦り合わせ満足げに微笑むと、リリーは樫の扉に手をかけた。




その日の夕食はハロウィンパーティだった。

薬のお陰かにこやかにフリットウィックと談笑するルーピンを見て、リリーが安心を顔に出す。少し離れたスネイプも同じようにルーピンを見つめていたが、こちらは射殺しそうなほど刺々しい視線だった。

あらゆる豪華な食事が山のように出されたが、育ち盛りの生徒たちに囲まれれば一溜まりもない。デザートまで綺麗になくなると、ダンブルドアが立ち上がり解散を告げる。


「リリー?部屋へ戻らないのかい?」


座ったまま生徒を見送ってばかりいるリリーの肩をルーピンが叩く。そして首を傾げるとそのまま隣の空席に腰かけた。


「食べ過ぎて動けなくて。それに大広間の片付けもあるから」


リリーがお腹をさすりながら飛び回るコウモリを見上げる。育ちすぎた方のコウモリはちょうど扉を出ようとしたところだった。


「スネイプ教授が飛んでる」

「セブルス?……あぁ、コウモリ」


クスリと笑ってルーピンが立ち上がる。フリットウィックとの談笑で疲れてしまったルーピンは、片付けまでのリリーの暇潰しに付き合ってはくれなかった。

やがて生徒がいなくなり、大広間に残るのはリリーを除いてフリットウィックのみとなった。


「私は上から、リリーは下から。損な役回りは早く終わらせるに限る!」

「はい、教授」


つま先立ちで杖を振り上げる彼ににこりと笑顔を作る。しかし内心は不安だらけだった。一向にシリウス・ブラック侵入の知らせが舞い込まないのだ。

フリットウィックがコウモリを外へ放ち、リリーがランタンを消し、いつの間にか姿を見せたホグワーツの屋敷しもべ妖精が片付けに手を貸し始めても、ついに大広間には一人も現れなかった。

ここは生徒の寝床にもなる。何の連絡も入らないなんてありえない。つまり、太った婦人襲撃事件は起こっていないと考えるのが妥当だ。


「お疲れさま、リリー。君が手伝ってくれて助かった」


リリーが十分の一も片付けきらないうちに大広間はすっかり元通りになった。然程役に立てた気はしないが時間を割いたことは確かなので、有り難く謝辞は受け取っておく。


「ではおやすみなさい、フリットウィック教授」

「おやすみ、リリー」


キーキー声に送られながら、駆け出しそうになるのを堪えて地面を押さえ付けるように歩き出す。周りに誰も居なくなると大急ぎでグリフィンドール塔まで階段を飛ばし飛ばし駆け上がった。


「そんな……」


階段の吹き抜けを利用して、階下から窺い見た太った婦人。彼女は今も変わらず寮の門番としてそこにいた。

リリーは考え事をしながらも隠れた階段や抜け道の最短距離を使って自室まで歩いた。暖炉は点けずに真っ直ぐ隠し部屋へと下る。

そして開いた予言の《本》。リリーの影響で予言と呼んで良いのか怪しくなってしまったが、それでもこの《本》の通りに事が進めば回り回って上手く行く。

以前にも《本》のタイミングとずれたことがあった。トム・リドルの日記だ。結果としてタイミングが遅れただけで問題なく進んだ。


だが今回は?

今回も静観で良いのだろうか?


ペラペラと紙擦れが石造りの壁に吸い込まれていった。


「よし、行こう」


《本》を片付け、リリーが立ち上がる。

行くことが正しいかなんて行ってみないと分からない。そもそも会えるとも限らない。それでも、シリウス・ブラックが私のせいで不利益を被っているかもしれないなら、行くしかない。私はそうするべきなのだ。


そのためにここにいる







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