41 ボガート


ハグリッドもルシウス・マルフォイと同じ考えらしかった。咄嗟に私が呪文を放たなければドラコ・マルフォイはもっと酷い怪我だっただろうと。素早い止血も的確で、私にはとても感謝していると。私はそれを曖昧に歪めた口元で受け流す。

ルシウス・マルフォイからは手紙が届いた。つらつらとお礼の言葉が並べられ、是非直接会って礼がしたいとも書いてあった。

安心したのは、ハグリッドとヒッポグリフに対する批判が最小限に押さえられていたこと。そんなことを長々と書かれた手紙は読みたくない。

わざわざ時間を割いて貰うほどのことはしていない、と丁重に断りの手紙を認めた。一文一文に気を使う手紙の何と疲れることか。






同じ週の水曜日。

スプラウト教授の手伝いで堆肥臭くなったローブを洗濯へ回し、新たな物を着ようと一人で職員室へ向かった。授業が終わるまであと10分。無人の職員室は見慣れたものだった。

何の考えもなく着替え用の入った洋箪笥に近付き洋箪笥がわなわなと暴れ勝手に開くと、すべてを悟った。


ボガートだ。もう入っていたのか


リリーは恐怖と対峙させられる動揺と、自分の恐怖が一体何であるかの興味に揺れながら杖を抜く。「リディクラス」三年生でも使える簡単な呪文だ。

初めに見えたのは鋭い爪。おおよそ人のものではなく、例えるなら、狼。ふんふんと鼻を鳴らし唸り声が聞こえて、飛び出したものは紛れもない狼だった。

牙を剥き出しこちらを見つめる目に理性などなく、涎を滴らせる口の回りにはベッタリと赤い何かがこびりついていた。良く見れば爪にもお揃いの赤がある。


私には思い当たるものがあった


「リーマス……」


漏れたのは友人の名前。

近く満月の日に、彼はこうなってしまう。私のせいで、彼は誰かを傷つけてしまうかもしれない。私のせいで、彼は拭っても消えない赤を一生口にベッタリと付けて生きることになるのかも。


私のせいで

私がここにいるから


「リ、リディクラス(ばかばかしい)!」


震える声で放った呪文は血を滴らせて唸る狼を消し去った。

しかし代わりに現れたのは、目を見開き横たわるシリウス・ブラック。会ったこともない男の見たこともない姿。けれど本能的にこれが魂を抜かれた姿なのだと悟る。


「リディ、クラス!」


ブラックはポッターに変わった。

同じような生気の抜けた顔で硬直し、何も映らない目で天井を見つめている。


「リ、リ、ディクラス!」


ポッターはスネイプに変わった。

ただ違うのは横たわり青白い顔ながらも彼がまだ生きていることだった。

ピクピクと手を動かしながら口を僅かに開く。そこから出たのはいつもの低い嫌みな言葉――ではなく、彼を染め上げる真っ赤な血液。何か発しようとする度その口からはゴボリ、ゴプリと湧き出ては、真っ黒なローブへと吸い込まれていく。

その間、首に刻まれた一筋のラインからは止めどなく鮮血が流れ、彼の命がありありと溢れていく様を見せてつけていた。

血溜まりはじわりじわりとリリーに迫る。


「あ……いやっ……!」


初めて目の当たりにする残酷な光景に本能的な拒否反応を示した。首をふるふると横に振りながら、無意識に後ずさる。ガタンと机にぶつかり、恐怖に釘付けの身体はその場にぺたりとへたり込んだ。

はっ、はっ、と浅い息を繰り返す。脳に十分な酸素が送られずにくらりと曖昧になる意識の中で過るのは予言を語る《本》。


これが、私の目指す未来


これが、私の望むもの


私は――。


「リディクラス!」


響いたのは毅然としたルーピンの声だった。直ぐ様リリーに駆け寄るとその震える肩を抱き、現れた銀白色の球体を開け放たれたままの洋箪笥へと押し込む。


「大丈夫。ボガートだよ、リリー」


ルーピンがあやすように背を叩くとリリーは何度も頷いた。そしていつの間にか流れていた涙を隠すようにルーピンに縋り付く。

とくとくと脈打つ音を聴きながら人の温もりに触れているとひどく安心した。

啜り泣く声が終業ベルに掻き消える。


「ルーピン、そこで何をしている?」


二番乗りはスネイプだった。

スネイプは扉を開けてすぐ目に入った忌々しい白髪混じりの頭に舌打ちをして、他へ目を向ける。しかし机の間から見える後頭部が動く様子はない。俯き気味の姿勢に何か探しているのかと訝しめば、そうでもないようだった。


何かを抱いている


ルーピンは腕の中のものを隠すようにもぞりと動き、顔だけをこちらへ向けた。いつものヘラヘラとした笑みが今日は一層鼻に付く。


「早いね、セブルス。あー、こっちは気にしなくていいから、大丈夫」


気にしなくていいと言われれば気になるのが人の性。それが要注意人物であるこの男から発せられたものならば、気にしないわけにはいかない。

スネイプは不規則に並んだ古びた椅子を器用に避けながら、大股でルーピンとの距離を詰める。机の影に隠れたルーピンの身体が露になる位置まで近付いたとき、スネイプは彼の腕の中にあるのが物ではなく人であると気づいた。


「何をしている、ルーピン」


再度強めの言葉で説明を要求する。眉尻を下げ笑うだけの男に対して、腕の中の人物はビクリと震えた。


「それは、エバンズか?」


問いながらも、スネイプは強い確信の元で口を開く。見覚えのある髪とローブ。依然として話そうとしないルーピンに痺れを切らし、スネイプは庇われている首根っこを掴み、ぐいっと後ろに引いた。


「セブルス!」


怒気を含んだ咎める声が呼ぶ。しかしスネイプの視線は既に目の前の女に向いていた。されるがまま上げた顔はくしゃりと歪み、濡れた頬と僅かに赤みの差した目がつい先程まで泣いていたことを示す。

スネイプは両眉を上げた驚きの表情のまま、掴んでいた手を離した。


「何が……?」


一体この職員室で何があった?


じわりと熱の集まる懐に杖の存在を感じ、反射的に周囲を見回す。再び女に視線を落とすと、零れんばかりに涙を溜めた瞳とぶつかった。眉間にぎゅっと力が入る。


「ごめんなさい、スネイプ教授。お手間をとらせてしまって。リーマスもありがとう。もう大丈夫だから」


明らかな嘘を付きながら、女は視線を逸らす。捕まらぬようにとふらふらさ迷わせ、やがて大きく息を吐いた。

バチン!と軽い衝撃音をさせ、リリーが自身の頬を叩いた。再び上げた顔は、確かに笑っていた。


「顔、洗ってきますね」


扉に人の気配を感じ、リリーが立ち上がる。付き添おうと腰を上げたルーピンをやんわりと断り、リリーは一人で出ていった。

擦れ違ったマクゴナガルやスプラウトに悟られまいと俯き足早に去る姿に、スネイプは焦燥感のような胸の奥の痒みを感じた。


「ボガートだよ」


不意にルーピンが口を開く。近くにあった羊皮紙を契り、同じく借り物の羽根ペンで書き記す。


「授業に使いたいからこのままで」


『ボガート確保中。授業使用予定のため保存をお願いします。 ルーピン』


洋箪笥にぺたりと羊皮紙を貼り、ルーピンが満足げに頷く。


「あいつは何を見た?」

「私が教えられることじゃないよ、セブルス」


上げた口角をスッと下げ、ルーピンが冷ややかに言う。尤もな言葉であると理解しながらも、スネイプの中で苛立ちが育っていく。


「リリーも君にだけは知られたくないんじゃないかな」

「な……っ!」

「セブルス!何をしているのです!」


ルーピンの胸ぐらに伸ばしかけた手を、すんでのところで止める。お節介な目付きで駆け寄ってくるマクゴナガルから離れるように、スネイプが身を引いた。

隠れるように舌打ちをして、居心地の悪くなった職員室を立ち去る。後ろから引き止めるマクゴナガルと宥めるルーピンの声がした。


スネイプは地下へ向かいながらも、不快感の根っこがどこにあるのか分からないでいた。廊下を塞ぐ邪魔なハッフルパフ生に減点を言い渡しても、不快に残る霧が晴れることはなかった。







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