40 鉤爪痕


夕食の時間、踏み入れた大広間では既にマルフォイの怪我の噂が広まっていた。私の頬を指差し、うんうんと頷く者もいる。


「リリー。大胆なことしたんだって?」


リリーの右隣に座りながら、ルーピンが新しくできた傷を指す。噂は生徒だけに留まらず、職員にも広まっているようだった。


「お揃いだね」


お返しにと、リリーはルーピンの頬にある古傷を指す。キョトンとした彼の気の抜けた顔がおかしくて、リリーがクスリと笑うと「参ったな」と頬を掻きルーピンも笑った。


「随分と仲の宜しいことで」


昨夜より機嫌の悪そうな顔でスネイプがリリーの左の空席を引く。ここに座ることは不本意極まりないと全身でアピールしながら器用にローブを翻し、どかりと座った。

生徒席と同じく職員席も通常の食事時は自由席となっている。話のある者や気の合う者が隣り合うのが常で、スネイプが隣に来たということは前者に違いなかった。ロックハートのお陰でリリーがスネイプの隣を陣取ったことは多々あるが、その逆は数えるほどしかない。


「セブルス、昨日はありがとう」


身を乗り出すようにしてルーピンが言った。


「貴様のためではない」


スネイプはサラダを引き寄せながらぶっきらぼうに返す。


「スネイプ教授、今日は?」


姿勢を正したリリーが声のトーンを落としてスネイプに聞いた。


「昨日の分を保存してある。取りに来い、ルーピン」

「分かった」


リリーの両隣で交わされる会話は業務連絡のような淡々とした抑揚の無さで、スネイプの纏う尖った空気が更にそれを助長していた。




「エバンズ、マルフォイを助けたそうだな」


ルーピンの気が他へ逸れたタイミングを見計らってスネイプが口を開く。リリーは頬張っていたクルミパンをカボチャジュースで慌てて流し込み、スネイプへと顔を向ける。


「結局怪我はさせてしまいましたので、私がどう動いてようと意味はありません」

「確かに。だがやつの父親はそうは思っていない」

「――と、言いますと?」


やつの父親――ルシウス・マルフォイと聞いて、リリーの心臓はドクリと大きく跳ねた。

彼は死喰い人だ。自分の保身のためなら何だって差し出すタイプだと《本》で感じた。私は私の保身のために、彼とは関わりたくない。


「迅速な君の防御呪文がなければ命も危なかったとお考えだ。君がどんな人間なのかと聞かれた」

「それで、教授は何と?」


ルシウス・マルフォイという不安要素は一旦脇へ退けて、スネイプ教授が私をどう評価しているのかが気になった。

澄ましてみたが下心は筒抜けだったようで、スネイプ教授は鼻で嗤うと茹でたジャガイモをフォークで突き刺した。


「本人に聞け、と」


私の期待を噛み砕くようにジャガイモが咀嚼されていく。脇へ退けた不安要素が私の皿に乗り、自分を見ろとタップダンスを踊っているような気がした。


「理事を追われたとは言え、あちこちに顔の利く男だ。相応の対応が無難でしょうな」


他人事だと思って。愉快そうにねっとりとした笑みを浮かべる男へ、ジトリと睨む一歩手前の視線を送る。


「スネイプ教授からやんわりとお断りいただけませんか?エバンズは結果に満足していないため責め句以外は受け取らない、とか」

「我輩はふくろうではない」

「ハグリッドを責めて私を責めないのは納得がいきません」

「君がどう思おうと、あの男には関係のないことだ」

「……ハグリッドのところへ行ってきます」


リリーは取り分けたチキンを平らげると席を立った。するとすぐ左隣でも椅子を引く音がする。


「君が行くのは地下だ。あの騒がしい詐欺師が去ったからといって、君の仕事がなくなるわけではない」


言い終わると、スネイプは先に立ったリリーよりも早く扉へ向かう。

『君の仕事』。授業準備の調合や罰則のような材料の処理を色々引っくるめて『君の仕事』。

ロックハートから逃げる度に押し掛けてようやく与えられていた仕事が、今は君の仕事と称されるまでになった。体よく押し付けられている現実には目を瞑り、気難しい彼の変化に歓喜する。

ハグリッドはポッターたちに任せておこう。私は明日朝一番で顔を見に行けば良い。

慌てて追った背中はいつもの滑るような大股で、私なんてお構いなしに進んでいく。途中スリザリン生と挨拶を交わしながら辿り着いたのは彼の研究室だった。


「煎じておけ」


杖を振って材料を呼び出したあとは相変わらずの足りない指示。さっと目を通して理解すると、リリーは了承の返事をした。


三年生は縮み薬の調合からスタートだったっけ。つまりこれがロングボトムのカエルを元に戻すことになるわけか。

去年ダンブルドア校長は『既にきみは多くの者の心に痕跡を残しておる』と言っていた。心ではないが、これも痕跡のうちに入るのだろう。

そんなことを考えながらでもリリーの調合は滞りなく進み、1時間ほどで満足のいく煎じ薬が完成した。いつものように保存をし、スネイプの確認用に少し取り分ける。

研究室と私室の境目に近付くにつれ、声が聞こえてきた。それはリリーもよく知る穏和な声とこの部屋の主の冷たい声。言い争っても内緒話をしているわけでもないと判断してから姿を見せる。


「リーマス、来てたんだ」

「リリーもいたんだね。気づかなかったよ」

「飲んだなら帰れ」

「はいはい分かってるよ。じゃあまた明日」


最後の一言は二人に向けられたものだったが、「また明日」と手を振り返したのはリリーだけだった。スネイプはその鋭い眼光でルーピンの背をグリグリと押し出しながら、手だけはリリーに差し出した。薬を見せろという合図だ。


「今日も完璧です」


鼻高々に渡すリリーを無視して、スネイプは受け取ったものを調べていく。色、臭い、さらさらと波打つ液体は申し分がないようだった。


「褒美だ」

「へっ?」


とても間抜けな声が出た。でもそれも仕方ない。なんたってあのスネイプ教授が『褒美』だなんて言うのだから。折角雨が上がったと言うのに、これでは明日もまた雨ではないか。

スネイプの取り出した小瓶と彼の顔を交互に見ながら、まだ状況を飲み込みきれていないリリーを置き去りにしてスネイプが続ける。


「必要なければ、」

「いただきます!」


慌てたリリーがぐいっと顔を寄せ、奪うように小瓶を掴む。澄んだ茶色の液体がチャプリと揺れた。窺うようにスネイプを見るものの、既に羊皮紙を広げ羽根ペンをインクに浸していた。


褒美と言うくらいだ。危険なものではないだろう


そうは思いながらも、リリーの手は恐る恐るといった風に小瓶の蓋を開ける。ふわりと漂う独特の清涼感には覚えがあった。


「ハナハッカ、ですか?」

「さよう。魔法生物の傷を甘くみるな。放っておくと痕に残る」

「気にしてくださったんですか?」


スネイプは言葉を探した。

端的に言えば、気にしていたのは事実だ。でなければわざわざ理由をつけて呼び出し小瓶を渡したりなどしない。

しかし自分が気にしていたのは綻んだ顔でにやけるこの女の傷ではない。後日この女の前に姿を現すであろうルシウス・マルフォイが、傷を見た後で自分の元へ来るだろうことが推測できるからだ。


「スネイプ教授?」


結局スネイプは肯定も否定もしなかった。鼻を鳴らし無言を決め込むと、リリーは勝手に納得したように頷き、ふわりと笑った。


「ありがとうございます」


丁寧に一礼して踵を返す女を見送る。スネイプはその背に数時間前に見た光景を思い返した。マルフォイが医務室へ運ばれたと聞いて向かう道すがら、チラリと見た背中。

彼女は十は越えるヒッポグリフを従えて、森へ向かっていた。

一頭だけであるなら懐かせるのも可能だろう。しかしあの数をとなると異常さを感じざるを得ない。生まれたときから側に付き専門職であるならまだしも、彼女はまだここへ来て1年だ。

以前、彼女は自らを『動物に好かれやすい』と評した。それが思い込みの妄想ではなく事実なのだとしたら?彼女には何らかの能力があり、悪用を恐れたダンブルドアが匿っているのだとしたら?

そこまで考えて、スネイプは自分の想像力を嘲笑う。何の確信もない。事実を並べ繋ぎ合わせるのに丁度良いものを作り上げたにすぎない。


手元に視線を落とし、教科書を写しただけの程度の低い羊皮紙を見つめる。引き伸ばされた大きい文字の薄っぺらな内容に眉間のシワを増やし、ため息をついた。視界で暖炉の揺らめきを受ける小瓶が輝きを増す。







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