39 魔法生物飼育学


入学式の翌日。

ハグリッドの初めての授業は午後からだった。不安がる彼に助手を申し出たのは夏休みのこと。そこから共にヒッポグリフの世話をして、授業の流れも話し合った。と言っても、私は《本》の予言を実現させるために誘導したにすぎない。


「いい、ハグリッド?どうしても困ったときは私を見て。初めては誰にだってあるし、精一杯サポートする」

「あぁ、大丈夫だ。ヒッポグリフの扱いには慣れちょる」

「生徒の扱いは?」

「あー、今日はハリーたちだ。問題ねぇ」

「だと良いけど……」


雨上がりの艶々とした芝生を踏みしめ生徒たちがやって来る。リリーはハグリッドと共に彼らを小屋の外で迎えた。

生徒が集まったと分かると、ハグリッドが森の脇にある囲い場へ引き連れて行く。スムーズにいかず緊張が伝わってくるが、今のところは問題ない。

やがてハグリッドが十二頭のヒッポグリフを従え戻ってきた。

おっかなびっくりの生徒たちが後ずさるのを、リリーは微笑ましく見守った。雄々しい美しさに気付くには時間のかかる生き物である。

ハグリッドは彼の言葉で生徒にヒッポグリフの扱いを伝えていた。たどたどしさは消え、この素晴らしい存在への愛に満ち溢れた説明は、どれほど生徒に伝わってくれるだろう。


「誰が一番乗りだ?」


ハグリッドが見本代わりに一人を指そうとぐるりと見回す。誰もいないようだった。バチリとポッターと目が合ったリリーは「助けてあげて」と意味の込めた視線を送る。


「僕、やるよ」


喜んで、とはいかないようだがポッターは柵を乗り越えバックビークへと歩み寄った。リリーは微笑んで、感謝を込めた頷きをポッターに送る。


無事にヒッポグリフとの触れあいを経験したポッターは優雅に滑空したバックビークの背から飛び降り、照れたような頬が痒くて仕方ないような笑みを浮かべた。


私の仕事はここからだ


リリーは今一度気を引き締めて、ヒッポグリフを解き放つハグリッドを手伝った。あちこちで頭を下げる生徒とヒッポグリフに目を配りながら、ドラコ・マルフォイには一層気を配った。


「ウィーズリー、少し離れなさい。そう、その辺りで、もう一度。胸を張って自信を持ちなさい」


「自信?そんなのないよ……」とグレンジャーに愚痴る声を背に聞きながら、然り気無くバックビークとの距離を詰める。視線の先にはバックビークの嘴を撫でるマルフォイの姿。

予想はしていたが、近い。近すぎる。この距離にもかかわらず腕一本の怪我で済むのは奇跡だろう。そして私はその奇跡を台無しにしてしまう。


「醜いデカブツの野獣君」

「プロテゴ(護れ)!」


リリーはマルフォイが言い終わるより先に杖を抜き、後ろ足で立ち上がったバックビークが鉤爪を振り下ろすより先に呪文を放った。

右前脚が透明の盾に阻まれる。そして続けざまの左前脚。一撃目で散った盾に再度力を与える間もなく、鋭く湾曲した爪がマルフォイの腕を深々と引き裂いた。


「マルフォイ!」


リリーとハグリッドが駆け出したのは同時だった。ハグリッドはバックビークを抑えようと後ろから。リリーはマルフォイを引きずって、未だ興奮するバックビークから離した。命に別状はないと確認し、杖先から舞う包帯を彼の腕に巻き付けていく。

そしてマルフォイとバックビークの間に立ち、杖を納めた。ゆっくり、ゆっくり、まるで薄い氷の膜にでも立っているかのようにバックビークへ進んでいく。


「バックビーク、落ち着いて……大丈夫。気高いあなたが爪を振るう必要は……っ!」


大きな鋼色の塊がリリーの視界を横切り、右頬に鈍い痛みを残した。ハグリッドの顔が恐怖で引き攣る。

しかしお構いなしにリリーはバックビークへと近づき、微笑んだ。まるで今のことなど忘れたように振る舞う彼女に周りは止めるべきかと戸惑っていたが、彼女がバックビークの嘴に触れた瞬間、安堵の空気が立ち込めた。


「ハグリッド、こっちは任せて。あなたはマルフォイを医務室へ」


擽るように喉元を撫でバックビークの擦り寄る羽毛を感じながら、リリーはハグリッドへ指示を出す。どちらが責任者かなどこの際関係ない。魔法生物での傷はガラスで切るのとは訳が違う。リリーには包帯で止血するのが精一杯だった。

ハグリッドがマルフォイを抱えたのを見て、リリーが柵を開ける。振った杖はすぐに仕舞い、呆然とする生徒たちを見回した。


「今日の授業は終了です。ヒッポグリフの誇り高さと鉤爪の危険性は十分に分かったことでしょう。みんな騒がず落ち着いて柵から出ること。解散!」


最後は少し声を張って生徒を動かす。恐々と後ずさる姿が痛ましい。生徒たちはヒッポグリフへの恐怖を植え付けられてしまった。


「エバンズ先生」

「今はこの子にあまり近づかないであげて」


最後に残ったのはグレンジャーだった。柵の外からポッターとウィーズリーが様子を窺っている。リリーとバックビークの雰囲気に安心したのか近付こうとするグレンジャーを制止すると、彼女はスカートのポケットから可愛いハンカチを取り出した。


「血が出てます」


自分が怪我をしたように顔をしかめるグレンジャーが距離をとったその場から腕を伸ばす。何も持っていない方の手でトントンと自分の右頬を示していた。


「ありがとう、グレンジャー。ヒッポグリフが怖くなっちゃったかな?」

「僕は怖くありません!悪いのはドラコだ!」


叫んだのはポッターだった。リリーはにこりと笑うとグレンジャーの気遣いを受け取った。


「ありがとう。さぁ、君たちは城へ戻って。私は彼らを森へ返さないと」


振り返ると、柵内に散らばっていたヒッポグリフが集まっていた。三人は口々に挨拶を残し、一礼してから城へ向かう。

借りたハンカチで拭った頬の血はもう殆んど乾いていて、掠れた鈍い色のラインを残す。目の前の灰色のヒッポグリフが悲しげに鳴いた気がした。


「今日はありがとう。帰ろうか」


私の《呪い》はいくつかの魔法生物にも有効で、ヒッポグリフを繋ぐ縄は必要ない。言葉は通じなくとも感情や意思は伝わり、私を追うようにみんな付いてきてくれる。きっと、バックビークを見るときの私の目が複雑な色を孕んでしまうことも見抜かれているだろう。

寄せられたふわふわの身体に甘えて、リリーはその手触りの良い翼を堪能する。鋼色の長い鉤爪が容赦なく湿った土を蹴り上げた。僅かに残った傷跡が点々と地面に続いていた。







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