38 脱狼薬


式が解散となり、さっさと大広間を出る者やだらだらと残る者で混雑する中、一人涼しげに歩く男を追ってリリーは席を立った。彼の後を着いて行くのは雪掻きの済んだ道を歩くようだった。

堂々とした背中を眺めている内に、昨日の失言はなんてことなかったのだと思えてくる。気にしていたのは自分だけ。なんと馬鹿らしい。自嘲気味に口を歪ませると、黒い影が動きを止めた。


「途中までは済ませてある」


扉を開きながら背中越しにスネイプが言う。一直線に向かった大きな机には大鍋が四つも並んでいた。その内二つの間に立つと、スネイプは真っ黒な調合手順書を指す。スイーッと上から滑らせ、ある手順まで来ると指をとんとんと机に当てた。


「次はここだ。余分に手がある分、一気に出来の比較をする。君は右へ五回左へ一回を十回繰り返す分と、右へ四回左へ二回を十回繰り返す分だ」

「はい、教授」


決してリリーを見ることのない、いつもの調合スタイルだった。リリーはスネイプを真似て二つの大鍋の間に立ち、柄杓を手にする。


「では開始する」


スネイプが杖を振ると息を吹き返すかのように大鍋がグツグツと震えだした。焚かれた火の熱気が徐々に盛り上がっていく。四筋のもうもうとした湯気と煙の混ざりあったものが天井へと昇った。


「……九…………十……………」


精密な撹拌を終え、一息つく。リリーの大鍋は濁ったドブ色と雄のウシガエル色だった。スネイプの方はというと、同じような色味をしている。これが満足の行く結果ではないと、眉間がありありと語っていた。


「ネズミの尻尾を付け根から三センチ、ミンチにして入れる」


調合はこのまま続けると判断したスネイプからの指示が飛ぶ。リリーは並べられた材料瓶から尻尾を二本取り出すときっちり三センチを測り取った。それを一本ずつすり鉢で潰していく。


「次は左右入れ変えてみるのはどうでしょうか?」

「それではサラマンダーの血液の効力が薄まる」

「なら血液の量を増やして左を多く回してわざと効力を落としてみる、とか」

「手間なことを。ならば最後のトリカブトを増やした方が早い」

「それでは危険すぎます!」

「理論上は可能だ」


探究心と倫理観の間で揺れるリリーを鼻で笑い、スネイプは大鍋にミンチを入れた。続くようにリリーも担当の大鍋にすり鉢の中身を可能な限り多く削ぎ落として入れた。そして溶け込むように軽く右回りに撹拌する。


「混ぜすぎるな」

「適度が難しいですね」

「トリカブトの塊根は粉にしてある」


スネイプは僅かに顎を動かし小さな瓶を指し示す。リリーは瓶を引き寄せると、天秤できっちり計量した物を四つ用意した。


「では」

「仕上げだ」


一つずつ両手に持ち、四つの大鍋が同時にトリカブトを受け入れる。撹拌の名残が渦巻く中に粉が沈みきった。


ボンッ!


それぞれの大鍋が大小様々な突沸をみせた。中でも一際大きかったのがリリーの右手にある大鍋だった。


「馬鹿者!トリカブトを入れた後は突沸すると書いてあっただろう!何故すぐ手を引かなかった!」

「…ごめん、なさい…」


突然主張し始めたばくばくと煩い心臓にぱちくりと目を瞬かせ、反射的に謝りながらリリーはスネイプを窺い見た。ギリギリと刺すように睨み付ける目には怒りの他に焦りが混じる。


心配を、かけてしまった


「申し訳ありませんでした、教授」


今度は非を受け止めた上で口にした。

リリーが理解したと分かるとスネイプは放り出すように手を投げる。勢いよく降ろされた自身の手の感触に、ようやくリリーはスネイプに手を掴まれていたのだと知った。

大鍋の上に漂っていた愚かな手はスネイプ教授によって引かれ、守られたのだ。私が今無傷でここにいるのは隣で大鍋へ気を移す彼のお陰。

ならばもう一つ言わなければならない言葉がある。


「ありがとうございます」


幾分か落ち着いたスネイプの漆黒がリリーへ向けられる。


「出来を確かめる。入れろ」


リリーは渡された二つのゴブレットに少しずつ取り分けていく。もくもくとした煙は突沸の規模に比例して大きく昇っていた。

スネイプは並べられた四つのゴブレットに鳶色の細長い物を落としてはジリジリと消えていく様を眺める。


「人狼の髪だ。早く消えればそれだけ効果が高い。…出来の良い物ほど強烈に煮立つとは、厄介な…」


いつもの眉間で苦々しげに呟いたスネイプは、リリーの右手に鎮座する大鍋を置いて残りを消し去った。そして新たなゴブレットに中身を移すとズイッとリリーに押し付ける。


「持っていけ。必ず飲ませろ。さもなくば我々が痛い目を見る」

「拒まれはしませんよ。とても、不味そうですけど…」

「この材料なら美味くなる方がおかしい」


不味いことが喜ばしいと、スネイプは口角を上げニヤリと笑った。


「では行ってきます」

「ここへ戻る必要はない」

「分かりました。おやすみなさい、スネイプ教授」

「…おやすみ」


時計を確認すると日付が変わるまで残り一時間を切っていた。溢れないようにゴブレットへ呪文をかけ、リリーは足早にルーピンの私室へと駆け上がる。




コンコン


もしかしたら、寝てしまったかもしれない。そんな不安はすぐに消え去った。遠慮がちに扉が開くと、中から青白い顔のルーピンが覗く。


「遅くなってごめん。薬を持ってきたよ」

「ありがとう、入って」


通された部屋はまだ隅にトランクが並んでいた。カーテンは神経質なほどにぴっちりと閉められている。まだ満月には一週間あるが、太りかけた月を見るだけで心身ともに辛いのかもしれない。


「君が来るとはね。てっきりセブルスかと」


何処と無く落ち着かない様子でルーピンがソファへ座る。リリーも向かいに腰かけるとゴブレットをルーピンへと寄せた。縁を杖でコツリと叩けば、忽ち煙が上がり始める。


「煎じたのはスネイプ教授だから安心して。私は少し手伝っただけ」

「いやいや、君が煎じた薬だって飲むさ。…うわ、とっても…美味しそうだね」


持ち上げたゴブレットを揺らして眉を潜めるルーピンが苦笑混じりに肩を竦める。


「材料が材料だから、どうしてもね」

「何が入ってるかは聞きたくないな」


意を決したルーピンがガブリと一口飲む。焼きすぎたパサパサの肉を腐ったソースで食べたような顔で味わうと、時間をかけるべきではないと悟って一気に流し込んだ。


「これは、酷いね。いや、有り難いんだけど、ね、味が…」

「我慢するしかないよ。どうにもできない」


「おやすみ」と立とうとするリリーを制止して、口に残ったえぐみが和らぐのを待ってから再びルーピンが話し出す。


「少しだけ、良いかな?」

「もちろん」


リリーはゆったりと座り直して、続きを促す。


「初めて会った日に打ち明けるべきだった」


ルーピンはハッキリと言わなかったが、リリーには狼人間のことだと分かった。


「驚いただろう?ダンブルドアも人が悪い。何も私みたいな奴の元に君を預けることはないのに。私も仕事に目が眩んで君を騙していたんだよ」


伏せ目がちにルーピンが薄く笑って自傷する。組まれた指は動いていないが、今彼の心は鋭い爪で引っ掛かれているのだとリリーは感じた。


「知ってたよ」

「え?」

「狼人間だって知ってた。リーマスは言わなかったけど、嘘も吐かなかった。嘘吐いたのは私の方」

「どうして…?」

「その方が、気楽かと思って。ダンブルドア校長の紹介だから私は信じる。でも私が気にしないって言っても、リーマスもそうだとは思えなかったから。満月の夜を過ごすわけでもないのに、今だって」


リリーは恐る恐る言葉を選びながら話し、終わるとにっこり微笑んだ。気まずげに逸らされていたリーマスの視線が、揺れながらもリリーを捉える。


「こういうときにかける言葉って私下手くそなんだけど…リーマスはリーマスだから」


「だからさ」と続けながらリリーは立ち上がり、受け取ったゴブレットをかざす。ルーピンはもう止めはしなかった。


「何かあったとき、狼人間だから仕方ないとか君のせいじゃないとは言ってあげないよ。全部リーマスが悪い」


やがて来る満月の日、彼が薬を飲んでさえいれば。《本》の予言を思い返して陰る顔を無理矢理引っ張って笑顔に変える。


「嫌な奴でしょ」

「まさか。いい友人を持ったよ。本当に」


細められたルーピンの瞳は真っ直ぐにリリーを見上げ、草臥れた顔の浮かべる微笑みは今まで見た中で一番の柔らかさだった。


「仕事のご依頼はこの頼もしい友人までどうぞ。…今度こそ、おやすみ」

「おやすみ、リリー」

「あ、そうだリーマス」

「うん?」

「体調の変化は逐一報告して。隠してもバレるよ、見てるからね」

「はい、先生」


照れ臭くなって茶化したお互いにどちらともなく笑って、胸に灯り続ける温かな陽を抱えたままリリーは部屋を出た。夜の冷たい風がローブを潜る。それでも深めた親睦が冷えることはない。


何かを抱え生きているのは私だけではない。他人に隠した大きな秘密。いつか私のものも共有してくれる人ができたなら。抱える私を守るのではなく、一緒に持ってくれるような。


それは自分勝手な、小さく、儚い、望まぬ夢







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