36 待ち伏せ


校長室での一件から今日までの数日間、私はスネイプ教授に避けられ続けた。何ならドビーの方が彼をよく見かけていたくらいだ。私は碌に姿を見ない日も多く、ノックに返事もない。

嫌われる要素を増やしたくはなかったので押し入ろうとは思わなかったが、明日は入学式だ。このモヤモヤを残したままでは気持ち悪くて仕方がない。

帰省前後に励んでいた魔法薬の研究も、地下の主と気まずい今、中断せざるを得なかった。折角買った大鍋も存分に活躍できず、今は私の部屋で眠っている。

何故放っておいても《本》の通りに進むところへ首を突っ込もうとしているのか。数日前は疑問だったが今は分かる。何てことない、毎日顔を合わせる仕事仲間だからだ。みんな仲良くなんてのは寒気がするが、亀裂はない方が良いに決まってる。


コンコン


「リリー・エバンズです」


スネイプ教授の私室に日課のようなノックを送るがいつものように返事はない。お詫びにと、摘みたてのイラクサと乾燥途中だったクサカゲロウの仕上げたものを扉の前に置いておいたが、それはなくなっていた。

お詫び。彼の態度がそう表現させるが、私に詫びるものなどない。タイミングとして校長室での私の言動が気に入らなかったのだとは思っても、責められる所以はないと胸を張れる。

ダンブルドア校長に言われた通り、私は思ったことを言った。長い物に巻かれたわけでも、その場の勢いや思い付きでもなかったし、意見が対立したからといってこの態度はあまりにも幼すぎやしないかと面食らった。

「ふぅ…」と不満を押し出し、用意した丸椅子に腰かける。今日は地下牢で張り込んでやる。扉が開けば音が鳴るように呪文をかけ、暇潰しにと持ってきた本を開いた。






夏期休暇最終日。スネイプは朝からホグズミードへ出掛け、贔屓の薬問屋で脱狼薬の買い出しをしていた。どれほど嫌な仕事でも、首を縦に振った以上は遂行する。それが魔法薬に関するものであるなら尚更手は抜かない。

去年の冬に見たきりの脱狼薬の論文を引っ張り出し、ここ数日はその研究に係りきりとなっていた。鬱陶しいノック音には悉く無視をして、食事も私室で摂った。


こうなったらとことんあの男で実験してやろうではないか


ただ調合したところで何も知らぬ者がのうのうと暮らすだけ。負担を強いられるこちらには何の見返りもない。ならば勝手に利用するまでだ。必ず何か見つけて論文を書いてやる。その一心だった。

新学期が始まればノックの音も止むだろう。そうすれば、あの女の存在に触発されて校長室での苛立ちを一々思い出すこともなくなる。

その油断が仇となった。地下の奥で静かに寛ぐ女に気づくのが遅れてしまった。こちらが引き返すよりも早く顔を上げた女が駆けてくる。


また、イライラする


「スネイプ教授!今日こそは話を聞いていただきます!」


イライラする。ルーピンを弁護したその口で自分を呼ぶ声が気に入らない。


「そのお荷物は?脱狼薬の材料ですか?」


イライラする。私に用があって引き止めたくせにもう脱狼薬へ向いた意識が気に入らない。


「教授?」


イライラする。誰も私の意見など聞こうとしないくせに厄介ごとだけは押し付けてくる。


「退け」


スネイプは眉間に寄るシワをそのままに短い一言を吐いた。低く地の底から震え上がるような声。蜘蛛の子を散らす効果を持つ声に期待をするが、リリーは動く気配を見せない。


「私には避けられる心当たりがありません。何か気に障ったのなら、仰っていただかないと困ります」

「困る?一体何が困ると言うのだ。我輩が脱狼薬に一服盛るとでも?監視しないと気が済まないかね?生憎我輩にも魔法薬学を修める者としてのプライドがある。加えて言うならば、そのような姑息な手を取らずとも人狼一人くらいどうとでもなる!」


くだらない、と片眉を上げたスネイプが一気に捲し立てた。徐々に加熱した剣幕にはリリーも怯み、身を固くする。


「話は終わりだ」


未だ立ち塞がるリリーを無遠慮に押し退け、スネイプが私室への扉を開ける。


「終わっていません!」


閉めようと扉に力を入れたスネイプを制し、リリーが部屋へと滑り込んだ。距離を取るように事務机へと向かうスネイプを追って、リリーも奥へと進む。


「出ていきたまえ」


無理矢理落ち着かせた声をスネイプが絞り出した。乱暴に置かれた材料瓶がガシャンと音を立て、未だ燻り続けているスネイプの内を代弁する。


「お二人には根深い確執があると聞きました。それに自分はスネイプ教授に嫌われていると、ルーピンさんは仰っていました」

「よくお分かりで」

「ですがルーピンさんがスネイプ教授のことを悪く言われたことは一度もありません」

「だったら何だ?口先と心の内が同じだとでも?君は随分と幸せな考えの持ち主らしい」

「確かに、言葉と心は違います。スネイプ教授はルーピンさんを認めたくない一心で、わざと毒付いてみせている」

「なっ…!」

「ですがそれは結構。私が言いたいのは、そこに私を巻き込まないでいただきたい」


リリーはぐっと睨み付ける挑戦的な目をした。スネイプは殆んど無意識下でその目を避ける。似ても似つかないその目に昔を思い出す自分が堪らなく不快だった。逸らした視線に気づけば直ぐに戻す。しかしスネイプの瞳は濁り、すべてを拒む色が混ざり始めていた。


「それに私はスネイプ教授のお陰で魔法薬の楽しさを知りました。真っ黒な教授の調合メモを見るのも、繊細な手付きで材料に触れる教授の姿も、微量な変化の違いに一喜一憂するのも。こんな素晴らしい時間を失いたくはありません!」


リリーは思いの内を吐露してからはたと気付いた。これでは丸で告白ではないだろうか?失いたくないのは調合か目の前の男か。

自分から飛び出した言葉を反芻して顔が火照る。チラリと覗き見たスネイプ教授は何度も瞬きを繰り返し困惑が見てとれた。


「私は、魔法薬の調合が…好きです」


変な誤解を受けては困ると付け足した言葉も、なんだか滑稽で嘘臭い色を帯びる。破裂寸前のモヤモヤも今はすっかり空気が抜けて萎びた無花果のようだった。


「言いたいことはそれだけか?」

「…はい」

「ならば出ていけ」

「はい…」


意気消沈したリリーは今度は大人しくスネイプの言葉に従った。ペコリと下げた頭を大して上げもせず、とぼとぼと扉へ向かう。前が見えていないのか見る気がないのか、そのまま扉へ突っ込んでいく様子のリリーに、スネイプは思わず杖を振った。

障害物が消えたことにも気づく様子のないリリーの背を見送り、スネイプは椅子へと身体を落とした。ギシリと椅子が抗議する。

ようやく一人になれた部屋で深く深く限界まで息を吸い込み、ゆっくりと時間をかけてそれを吐き出す。机に肘をつき両手で顔を覆って、何度も深い呼吸を繰り返した。


あれは、何だったんだ


自分で言っておきながら狼狽えた女の姿が、からかいや嘘の類いではないことをまざまざと突き付ける。あれほど収まらなかった鬱憤が、いつの間にか消え去っていた。


どことなく面映ゆい妙な空気に堪えられなくなり、スネイプは立ち上がった。買い込んだ袋を手に隣の研究室へ逃げ込むと、杖を振って大鍋の準備をする。

目の前には真っ黒な脱狼薬の調合メモ。側には微量な変化の違いに一喜一憂した研究成果の痕。材料に触れる自分の手。そして掴んだものはあの女の摘んだ薬草。


「…っ!」


スネイプは熱湯に触れたかのように勢いよく薬草を離し、パラパラと床に落ちるのも気にせずつんのめるように研究室を飛び出した。追い求めるのは安息の地。そんなものこの世に存在しないとは知りながら、ただ足の赴くまま右へ左へと動かした。







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