30 帰省


マクゴナガルがホグワーツを発った夜、リリーはダンブルドアに呼び出されていた。身に覚えはなく、お茶会にしても遅すぎる時間。

校長室の扉をリズムよくノックすると、名乗る前にゆっくりと開き招かれた。事務机の向こう側で王座のような椅子に腰かける部屋の主は朗らかに笑っている。悪い話ではないらしいとホッと胸を撫で下ろして、指された椅子へと落ち着いた。


「ダンブルドア校長、お話というのは?」

「ちと確認せねばならんことが出来ての」

「何でしょう?」


やっと《本》の描く未来に興味でも出てきたのかと、少し前のめりになって返す。


「きみは家へ帰りたいと思うかね?」


『家へ』。数日前に打ち切ったマクゴナガル教授との会話の続きかのような問いかけだった。帰りたいのか、そう言ったダンブルドア校長の瞳は優しげで、虚勢など容易く呑まれてしまう。じわりと背凭れに熱を奪われる。


「帰りたいです。ですがそれは――」

「すべてが終わってから?」

「はい」


ダンブルドアは言葉端を横から掬い取ると穏やかな笑顔のまま頷く。リリーも返すように口角を上げるが、上辺だけの笑みはどこかぎこちない。


「わしは以前、きみに酷な頼み事をした。ここに留まるよう言ったのは、他でもないこのわしじゃ。しかしリリー、わしはきみをここへ閉じ込めるつもりで言うたのではない」


眉を寄せ瞬きを繰り返すだけのリリーに、彼は尚も続ける。


「誰よりも休暇が必要なのはきみじゃろう、リリー。帰省したければ、そう言ってよい」

「っで、ですが!」

「帰りたい家があるというのは、何にも替えがたい素晴らしいことじゃ」


ダンブルドアの目が悲しみに揺れるのを、リリーは見てしまった。開こうとした口をぎゅっと結び、握る拳に視線を落とす。ゲッゲッと不気味に呻くフォークスが新たな命を始めようとしていた。






夏休みが始まって半分も過ぎた頃、マグルも住む郊外の住宅街にバチン、バチンと立て続けに音が弾ける。路地に突如として現れた人影は滑るように歩き、一軒の古びた家の前で止まった。

先頭の人間が杖で扉の境目をなぞると、カチャリと何かの外れる音がした。満足げな笑みを浮かべ扉を開け放つ。カランコロンとカウベルの揺れが耳に馴染んだ。


「ただいま」


微笑むリリーを迎えたのは無数の古書たち。1年ぶりの我が家だというのに誇りっぽさはない。後ろで両手を擦り合わせ真ん丸の目玉で見上げる優秀な屋敷しもべ妖精の仕事ぶりに感心する。


「ようこそ、我が家へ」


リリーが振り返ると、入り口にはもう一つの大きな人影があった。その人物は影そのもののような格好で、ギョロリと部屋を見回すと眉間にシワを寄せる。


「ここが店舗です。荷物は上へ。祖父の部屋をお使いください」

「ドビーが毎日掃除しました!」

「ありがとう、ドビー」


リリーの言葉に妖精はにこーっと口を歪ませる。そして頻りに首の蝶ネクタイを弄った。それは半月ほど前にリリーが彼に贈ったものだった。シンプルな小ぶりの黒で、合わせて買ったシャツによく似合う。


「スネイプ教授」


リリーは未だ言葉を発そうとしない男に話しかける。


「巻き込んでしまって、本当にごめんなさい」


案内したかつて祖父の使っていた部屋で、リリーは何度目かの謝罪を口にした。頭を下げ視線をスネイプの足元へ移すと、目の前にドサリとボストンバッグが落とされる。


「巻き込んだのはダンブルドアだ。君ではない」


スネイプはダンブルドアにこそ腹を立てはしたが、目の前で頭を垂れる女を責める気はなかった。自室でするように首元を緩め、太陽の当たる寝室に顔をしかめる。


「顔を上げろ。我輩は既にここにいる。一度引き受けたものをどうこう言うつもりはない」


リリーが思い切って『帰りたい』と告げた日から数日後、ダンブルドアは悪戯を仕掛けた子供のように楽しげな表情でスネイプを連れてやって来た。無理矢理引っ張って来られたスネイプの顔はダンブルドアと対照的で、この世の終わりが隣に立っているかのようだった。

ダンブルドアはどうやってスネイプを説き伏せたのか。リリーには分からないし知るのも恐ろしい。ただあるのはスネイプが引き受けた事実。3日間だけという条件付きで、スネイプはここにいる。


「一人寝の出来ぬ子供でもあるまいし、我輩がここにいる必要があるとは思えんがな」


リリーは曖昧に笑って、上げた視線をスネイプから逸らす。その先でカチャリカチャリとティーセットを揺らし滑空する銀メッキのオーバルトレイ。動くトレイの下からは甲高いドビーの声が聞こえた。


「ドビーは紅茶を淹れました!」

「ありがとう。そこのテーブルに置いてもらえる?」

「お礼を言われるのは大好きです!」


用済みになったトレイを抱え、ドビーはぺたぺたと部屋を出ていった。


「しもべのいる生活は悪くない」


今しがたドビーの出ていった方を見ながら、満足げにスネイプが鼻を鳴らす。その様子に幾分か柔らかな表情をしたリリーが椅子を引いた。


「冷めないうちに頂きましょうか」

「あぁ」


両手で囲えるほどの小さな丸テーブルに向かい合うと、想像以上に距離が近い。座ったハイスツールに足を絡めながら、紅茶の香りに意識を集中させた。


「祖父の遺品がそのままで…お邪魔でしょうが、適当に避けていただいて構わないので、自由に使ってください」

「邪魔ではない。思い出なのだろう?」


部屋を確認するように走らせた目を僅かに細めたスネイプにリリーは目を見開いた。それが気に入らないとばかりに彼は細めた目から睨みを利かせ、紅茶を含む。


「大切な思い出たちです。このテーブルも、祖父の背に合わせて私が用意しました」


愛しげに縁を撫でたリリーの手をスネイプが見つめた。中指でなぞる動きに釣られ、テーブルに置かれた彼の手もまた、ピクリと跳ねる。


「何か不足があれば仰ってください。店の本も自由に読んでくださって構いませんから」

「商品ではないのかね」

「そうですが、元々誰かのお古なんです。今更読み手が増えたところで変わりませんよ」


「私もよく読みます」と続けてからリリーは口元で弧を描き、また一口紅茶を味わう。鼻に抜けるダージリンの強い香りがした。


「リリー・エバンズにお手紙が来ています!」


開けたままの扉から顔を覗かせたドビーが白い封筒をひらりと振る。リリーは了承を微笑みで伝え、カップを空にした。


「早速仕事の手紙が来たようです。何もない場所ですがゆっくりしてらしてください」

「あぁ」


カップの取っ手に指を滑らせスネイプが応える。儀礼的な笑みを浮かべて席を立つ女を見送ると、彼女の祖父が生前使っていたという部屋にスネイプが一人残された。

何故、たかが助手の帰省に自分が付かねばならないのか。ダンブルドアはこの件に関して『今は知る必要はない』の一点張りを貫いている。

まるでいつかは教える気があるかのような言い種だ。すべてを差し出すと誓った日から、偉大な魔法使いの手駒になることを甘んじて受け入れてきた。自分は指示されるままに従う。だが操り人形でありたくはなかった。


ダンブルドアは私に何をさせたい?


重く沈む答えのない問いを、カチャリとカップの立てた音で誤魔化した。すっかり冷めてしまった紅茶を置き、自ら持ち込んだバッグへと手を伸ばす。開いたままの扉からは階下の笑い声が届いていた。







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