27 誘拐


その朝、マクゴナガルによってマンドレイクの収穫が告げられた。これが引き金となり、襲撃事件は大きな局面を迎える。




「生徒は全員、それぞれの寮にすぐに戻りなさい。教師は全員、職員室に大至急お集まりください」


城中を震わせる声を、リリーは校庭で耳にした。手には刈り取ったマンドレイクを抱え、スネイプの待つ地下研究室へ向かう途中だった。

とうとうこの日が来た、来てしまったのだ。グッと噛んだ唇の痛みは、リリーの心を鮮明にした。


その足で向かった職員室。マクゴナガルから発せられたのは、ジニー・ウィーズリーの誘拐だった。ワッと泣き出すフリットウィック、立つことも出来なくなるマダム・フーチ。噛み締めたリリーの唇からは血の味がした。

解散が告げられ、次々と教授方が部屋を出る中、去り際にこちらを見たスネイプ教授の意図を、コクりと頷くことで受け止めた。

私が向かうのはスネイプ教授の研究室だ。彼が戻るまでの間に、少しでもマンドレイク回復薬の調合準備を整えなければ。




何度も足を運んだスネイプの研究室には、学校で一番大きな鍋が用意されていた。眠るように横たわるマンドレイクの頭の先から爪の先までを、リリーは少しの土も見落とさないよう丁寧に洗った。そして大鍋に水を満たす。寮生への説明を終えたスネイプが戻って来た。


「直ぐにでも火を点けられます」

「では始める」


リリーがマンドレイクを鍋へ入れ終えたのを見て、スネイプが火を点けた。大鍋に不釣り合いなくらいの小さな火。大鍋全体が温まるまでどのくらい時間がかかるのだろう。だが焦りは禁物だった。

スネイプが大きな柄杓を取り出し、鍋へと浸ける。ここからしばらくは根気と体力勝負だ。鍋全体が均一の温度になるよう常にかき混ぜ続けなければならない。

ゆっくりゆっくりと目と肌で確認しながら火の調節をする。沸騰してしまえばすべてが水の泡の繊細な作業。何度か撹拌役を交代する手筈だが、その間リリーに出来ることはない。


「スネイプ教授、ロックハート教授の様子を見に行っても構いませんか?」

「あいつがまだ城に残っているならな」


決して手は止めず、リリーを見ることもなく、スネイプが鼻で嗤う。軽蔑したような、怒りを我慢しているような、冷たい音だった。

彼の背に一礼して研究室を出る。静まり返った廊下にリリーの足音だけが嫌に響いた。




コンコン


「ギル、いるんでしょ?入れて」


薄く扉が開かれた。キョロリとロックハートの目が周囲を窺い、リリーが一人だと分かると中へ招いた。


「リリー、私は……あぁ、こんなこと……」

「ギル……今からどうするつもり?私に何か出来ることはある?」


チラリと床を見た。転がった大きなトランクにはまだ何も入れられていない。再び見据えたロックハートは、手に杖を握っていた。


「ありません、リリー。あなたにも私にも出来ることなど!あなたはここに来るべきではなかった……。さぁ、黙っていてください」

「確かに来るべきではなかった」


吹き飛んだのは、ロックハートだった。壁にぶつかり、ぐったりと起き上がる様子のない彼を見下ろす。


「話す気がないなら部屋に入れないで」


チラとでも話してくれていたら。本当は秘密の部屋の入り口など知らないと、これからどうするべきか分からないと、彼が他者に頼りたいと思ってくれたなら。私はどんな手助けだってしようと思ったのに。例えそれが荷造りだろうと。

結局彼は悔いることも改めることもない。嘘でガチガチに固めた心に立ち向かうことを選ばなかった。

リリーはロックハートの杖を拾い、自分のポケットに突っ込んだ。万が一にでもポッターたちに危害が加えられることのないように、保険として。




地下の研究室へ戻る途中、医務室へ寄った。長らく階段の一番上でポツリと浮いていたニックも今は医務室の天井へ移動していた。よく見れば頭が少し天井にめり込んでいる。

ミセス・ノリス、クリービー、フィンチ-フレッチリー、クリアウォーターの並ぶベッドを通り過ぎ、リリーはグレンジャーの元へ向かった。目を見開き固まった彼女。手には未だ本の切れ端が握られていた。


何故まだここに……!


背筋にスッと冷たいものが流れた。凍り付いていく指先に抗うように心臓だけがドクドクと騒ぎ出す。浅い呼吸を繰り返しながらぎこちなく操る指先をグレンジャーの握り締めた紙へと伸ばす。

ぐいっと引いた。しかし余程固く握られているのかびくともしない。グイグイと焦りと苛立ちを色濃くしながら何度も紙片を揺さぶる。

何度目かのチャレンジで、損なうことなく紙を引き抜くことが出来た。くしゃくしゃになったそれは案の定バジリスクについてのページで、隅にはグレンジャーの筆跡で『パイプ』と書かれている。

時計を見た。リリーがスネイプの研究室を出てから既に30分が経過している。そろそろ戻らないと。しかしこの紙をそのままにはしてはおけない。


「マダム!」

「まだいたの?薬は?」

「今はスネイプ教授が。私もすぐに戻ります。ですが一つだけ確認させてください」

「何です?」

「最近、見舞いに来た生徒はいましたか?」

「そう……パーシー・ウィーズリーが数日前に一度。ですが帰っていただきましたよ。怖い思いはもうたくさん!」

「ありがとうございます、マダム」


最後にマダムを強く抱き締めて、リリーは医務室を出た。


思い出せ、思い出せ


《本》でポッターはマートルと話したがっていた。マートルが最初の犠牲者だと気づいたからだ。その探求心はジニー・ウィーズリーが拐われた後も健在だろうか?ポッターは今、寮で他の生徒と共に燻っているだろうか?

答えは否だ。何かしたい、その思いでいっぱいだろう。外見の殆んどを父親が占めているが、中にはしっかりとエバンズが息づいている。私もかつてそのお節介に救われた。

ポッターとウィーズリーはマートルに会いに来る。

リリーは三階のマートルの女子トイレへの道を駆けた。廊下にはゴーストでさえもいなかった。トイレへの扉を薄く開き中を窺うが、人の気配はない。まだ彼らは来ていないようだった。


「インパービアス(防水せよ)」


グレンジャーからのメッセージが記されたページの切れ端に呪文をかけ、軽く丸めてトイレへ転がした。最初にここへ来たものが必ず発見する場所に。

問題はもうひとつあった。ポッターたちが紙を見ていないということは、ロックハートのことも伝わっていない。彼は何の活躍もしないが、《本》で連れ立つことになっている以上、何とかして一緒に行かせたい。それにはロックハートの名を二人の耳に入れる必要がある。

トイレを後にし、どこへ行くでもなく城を歩く。不審げな絵画の視線だけがリリーを追っていた。




本来いるべき地下とは真逆の登り階段で、リリーはハッと閃いた。


絵画、そうだ絵画だ!


彼らが必ず通る場所に、彼らと最も会話の多い絵画がいる。彼女に託そう。時間もかけていられない中、他の案は浮かんでこなかった。


「レディ」

「合言葉は?」

「いいえ、レディ。中に用事があるわけではありません。生徒が抜け出したりはしていませんか?」

「いいえ、誰も」

「ならばもし、誰か出てくるようなら、ロックハート教授が対処なさるので安心して寮にいるように、とお伝えください」

「こんなときに出るような子がいるの?」

「勇気を試すには絶好の機会ですから」


困ったように肩を竦めると、レディは納得したように頷いた。


「ありがとうございます。では私はこれで」


恐々と見た腕時計はスネイプの研究室を出てから1時間が過ぎたことを指し示した。







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