26 アクロマンチュラ


新たに犠牲者が出てしまった夜、ダンブルドアが停職となった。不満や動揺を漏らす教職員を宥め、マクゴナガルがなんとか纏め上げたものの、城中の空気は重く陰鬱さが渦巻き始めた。


ダンブルドアが城を離れる夜、彼はリリーを訪ねてきた。不釣り合いなL字のソファにゆったりと座り、出されたコーヒーに砂糖をたっぷりと入れて話し出す。


「家主不在の折、誠に失礼なことじゃと承知の上できみに頼みたい。家を訪ねさせてはくれんかの」

「私の家を、ですか?」

「わしは無類の本好きでの」

「校長のお眼鏡に適うものがあるとは思えませんが……」

「本の集まる場所と言うのを、ちと見てみたくなったのじゃ」


眼鏡の奥のブルーがキラリと光り、彼が言いたいのは予言の《本》だと分かった。確かに何故私の店に、誰が、どうやって、の部分が丸きり放ったらかしになってしまっている。《本》が現れてから大分経ってはいるが、これだけの《本》ならまだ何かしら魔法の痕跡が残っているかもしれない。私には分からなくとも、この偉大な魔法使いならば、何か。


「ご自由にどうぞ。家の物はすべてお好きにして下さって構いません」

「どうも、ありがとう」






それから2週間。ダンブルドア校長から音沙汰があるわけでもなく、スリザリンの後継者からの襲撃があるわけでもなく時が過ぎた。夏らしく活気づいてきた温室や森とは対照的に、城内は未だ極寒の冬に逆戻りしたようだった。

トイレ一つにも引率が必要となったため、フリーのリリーは重宝された。おまけにハグリッド不在の森番も任され、空き時間などなくなっていた。






ある日の二限目、ポッターたちのいる薬草学の授業に助手として参加することになった。城の薄寒さなど関係ないアビシニア無花果の大木は、あっちこっちに枝葉を伸ばし、恨めしいほどに生き生きとしていた。

生徒の刈り取った小枝を堆肥用に纏めているとき、ふとその隙間から這い出る影があった。屈んでよくよく見てみると、それは親指ほどの大きさの蜘蛛だった。何匹かが連れ立って一目散に森へ向かっている。それをすんでのところで捕まえて、手近なカゴへと閉じ込めた。

あとは簡単だった。ポッターの目に入る場所で、放つだけ。食い入るように蜘蛛を見つめる視線。森への散歩は、今夜決行されるだろう。


困ったことに、夜は見回りがあった。それもスネイプ教授と。自分で仕組んでいながら、あの日の浅はかさにため息が出る。日が落ちるまでの数時間、リリーは見回りを抜ける計画作りにのみ没頭する羽目になった。

結局朝方の見回りを担当しているロックハートに頼み込み、時間を交代してもらうことに成功した。そうしてなんとか真夜中前後の時間を確保する。




「そういうことですので、よろしくお願いします、スネイプ教授」

「犬の世話、だと?」

「大切な友人の大切な友です。ハグリッド恋しさで元気がないだけなら良いのですが、今夜はついてあげたくて」

「ケトルバーンに相談してはどうかね?」

「回復しないようならそうするつもりです」


椅子に腰掛け事務机に肘を置いてじっとこちらを窺う闇のような目を見つめ返す。


「選りに選って、あの男と交代とは……」

「朝方の見回りまでには戻ります。お手数をお掛けしますが――」

「勝手にしろ」


眉間のシワを増やしたスネイプ教授にシッシッと追い払われる。これで準備は整った。あとはポッターとウィーズリーに付いて見守るだけ。

アクロマンチュラに会いに行くなんて私が関与しなくても無謀だ。《本》では食われそうになる。なら悪化すれば、想定するのは最悪の事態だ。彼らを私の問題に巻き込むわけにはいかない。




時間ギリギリまで役立ちそうな呪文の練習をし、夕食後はこっそり箒を持って禁じられた森近くにあるハグリッドの小屋へと向かった。


「ファング、シーッ、静かに、ごめんね。あなたは今ハグリッドの不在に落ち込んでいる設定だから、散歩には連れ出してあげられない」


持ち込んだ肉にがっつくファングを撫でながら、どくどくと強く脈打つ胸を押さえた。大丈夫、大丈夫。何も悪化しない可能性もある。夜が明ける頃、こんなものかと笑っているに違いない。

すぐに無駄になるとは分かりつつ、ファングをブラッシングしてやる。リリーの膝に頭を預けながら気持ち良さそうに尻尾を揺らす姿が愛くるしい。


「夜が更ける頃にはここを出てくよ。ポッターたちが来れば散歩に行けるから……残念だけど」


時間を確認する以外は、極力灯りを灯すのを控えた。ポッターたちが不審がるのを避けたいからだ。どうかスネイプ教授が小屋を見ませんように…。見回りの担当場所からは直接見えないはずだが、一度気にし出すと胃がキリキリと締め付けてきた。

時計の針が頂点を回ると、クゥンクゥンと名残惜しげに鳴くファングを宥めてリリーは裏口から外へ出た。左手に箒、右手に杖。そして自分にはいつもの目くらましをかける。何度かけてもこの冷え渡る感覚には慣れそうもない。


やがて扉の開く音がした。ファングの鳴き声が歓喜に溢れ、ポッターの話し声もする。小屋を出る二人を追って飛び出したファングがチラリとこちらを見た。ドキリとしたが、ポッターに呼ばれるとファングは跳ねるようについていった。

真っ暗な森の中、木々の間を飛ぶのは簡単なことではない。ポッターの杖明かりは遥か下だが見失うことはなかった。時折枝葉を揺らし、ウィーズリーの悲痛な叫びを引き起こしてしまったが、ポッターは終始落ち着いているようだった。こういう肝の据わったところは、彼の母――エバンズにもあったと思う。

ピタリ、と杖明かりの動きが止まった。車を見付けたのかと辺りを旋回するが、大きな二つ目玉のライトは見つからない。ならば、何を?リリーは少し高度を下げてみることにした。

彼らが対峙していたのは蜘蛛だった。アクロマンチュラだ。リリーはすぐさま杖を構えた。彼らが傷つけられそうになったときは飛び出していく覚悟で。

だが蜘蛛たちはその場で食事をしようとはしなかった。まずは群れのボス、アラゴグに献上するのだ。カシャッカシャッと蜘蛛の出す音がここまで聞こえる。

恐怖で声もでないほど動揺したポッターの杖明かりは消え、頼りは蜘蛛の出す音とざわざわと揺れる茂みのみ。

直ぐにでも、姿を現さないフォード・アングリア車を探しに行きたかった。しかしここでポッターたちを見失うのは危険だと判断し、せめて巣の場所を確認するまではと箒を飛ばす。




だだっ広い窪地を視認し、リリーは急ブレーキをかけた。蜘蛛たちは構わず中へ突き進んで行く。巣の場所は確認した。あとは車だ。数匹ならともかく、無数のアクロマンチュラと対峙するには、リリー一人では力不足だと認めざるを得ない。


「ルーモス(光よ)!」


彼らがアクロマンチュラの巣に捕らわれた以上、私を気にするものは何もない。箒と一体化し矢のように飛びながら、光るヘッドライトとエンジン音を探した。


「アクシオ フォード・アングリア!」


来るとは期待していなかった。数時間のように思える時が経った。手は汗でびっしょりと濡れ、耳元に心臓があるかのようだ。


――どうか、どうか!


無謀でも巣に戻って彼らの盾となった方が良いのでは。そう思い始めたとき、左前方からブルルン、プスンと気の抜けるエンジン音が聞こえてきた。ライトをチカチカとさせ、調子が悪いと訴えている。


「そんな、そんな頑張って!」


手の加えられたマグルの乗り物を励ますなど自分でも信じられなかった。だが《本》の粋な描写が思い起こされ、つい人の背のようにバンバンと叩いて渇を入れる。


「ロコモーター フォード・アングリア!着くまでに何とかして!」


杖をまっすぐ上へ向けて車を飛ばした。箒で並走しながら、プスンプスンと情けない音を出す車を窺う。木々の上へ飛び出たとき、巣との距離はさほど離れてないと分かった。


「ポッターとウィーズリーを助けて!」


広い窪地へ向けて杖を振り下ろすと勇敢な機械が一直線に降下していく。ブルルルンとエンジンが軽快な雄叫びを上げたのを聞いた。車は荒々しく地面に着地した。


「ファングを!」


ポッターだ。間に合った!


二人と一匹を乗せた車が轟音を響かせ発進した。リリーは後を追いつつ逃がすまいと群れを成すアクロマンチュラへ杖先を向ける。


「レラシオ(放せ)!――インペディメンタ(妨害せよ)!」


逃げることに精一杯の二人が気付くことはないだろう。呪文は当たったり逸れたり効いていなかったりしたが、回数で補えばいい。

森を抜ける頃、ギラギラと欲望を漲らせた黒い塊はいなくなっていた。

ポッターとウィーズリーがハグリッドの小屋から帰るのを見届けて、入れ違いにリリーが中へ入る。フンフンと不思議そうに鼻をならすファングを撫で、目くらましを解いた。

ハグリッドサイズの大きな椅子に座り、ごつんと机へ額を預ける。足元にファングの温もりを感じても尚、握り締めた拳の震えが消えることはなかった。心地のよい倦怠を孕んだ達成感が、奔流となって押し寄せる。


何とか、乗りきった


波は突沸した大鍋のようにごぼごぼと揺れ、溢れた。パタリ、パタリ、と机に染みが広がっていく。真っ暗な小屋の中で、寄り添う一人と一匹。ただ目を閉じて、生ある喜びを噛み締めた。







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