25 犠牲者


5月の第二土曜日。その日はカラリと晴れていて、絶好のクィディッチ日和だった。グリフィンドール対ハッフルパフ。試合は行われずに終わるのを、彼らはまだ知らない。

それぞれのチームキャプテンが選手を鼓舞する様子を遠く職員席から眺める。食欲はない。決めかねている今日の行動に、胸が詰まっていた。

なんとか少しのヨーグルトを口にしてグリフィンドールのテーブルへ目を向ける。視線の先にはグレンジャーがいた。そしてレイブンクローのテーブルを見れば、ペネロピー・クリアウォーター。

はぁ、と溢したため息は、マクゴナガル教授に掬われる。


「調子が悪いのですか?ポッピーに診てもらってはどうです」

「いえ、これは心的なものなので」

「今なら五年生、七年生用に安らぎの水薬がたくさんストックされてるはずですよ。尤も、原因を取り除くのが一番でしょうが、リリーは話したがりませんからね」


ツンと拗ねたような台詞にふんわりと心が温まる。心配してくれる人がいるのは本当に有り難い。すべて打ち明けてしまえない苦しさも同時に抱えるが、それでもやはり、嬉しいものだ。


「ありがとうございます、マクゴナガル教授。観戦は控えることにします」


決めた。グレンジャーがバジリスクに辿り着くまでは見届けよう。

まだ席についたままの彼女たちを置いてリリーは図書室へ向かった。途中、無人の空き教室で目くらまし呪文を自分に唱える。先回りした図書室にはちらほらと生徒がいた。試合開始が迫るにつれて減ってはいくが、対戦寮ではないレイブンクローやスリザリンのクィディッチに興味のない者は城へ残る。かつてリリーもそうだった。

20分ほど待ったとき、息を切らしたグレンジャーが飛び込んできた。窘めるマダム・ピンスに謝りながら、真っ直ぐ向かうは魔法生物の棚。数ヵ月前にリリーが彼女へ渡した本を抜き出し、近くのテーブルで怒濤のようにページを波立たせ始める。


よし、彼女は大丈夫だ


入ったときより慎重に、図書室を後にした。玄関ホールまで戻りホッと息をつく。同時に肺を押し潰されたような痛みが襲った。今から彼女は恐怖を味わい、凍りつく。なまじクリービーやフィンチ-フレッチリーよりも親しい相手なだけに、痛みは強い。

だが、これが正解なのだ。無理矢理ポジティブに捉えるなら、今日グレンジャーが襲われることでポッターを取り巻く環境は和らぐ。誰も不必要に傷付かない。

グルグルと渦巻く無彩色のマーブル状のものを追い出すように、細く長い息を吐く。僅かに心に彩度が戻った気がした。




「何故ここにいる」


グレンジャーらのことが明るみに出るまでの間、私が選んだのは地下だった。玄関ホールから近いこともあるし、スリザリンの寮監である彼の元なら情報も早く届くだろう。

それに、まだどこか疑われているような気がする。大した目的もなく居座るリスクも少なからずある。しかし隠し事がある以上、怪しさを拭い去れはしない。直接私が何かしているわけではないと示せれば重畳だ。

生徒が襲われるのを今か今かと一人で待つ図太さも、今の私には備わっていなかった。


「観戦されるなら出ていきます」

「そういうことではない。ミネルバが君を扱き使いすぎではないかと言ってきた。何か抱えているようだ、ともな」

「ご迷惑をお掛けします」

「全くだ。我輩に覚えなどない。だが――」


区切りをつけて話す彼に、嫌なものを感じた。胸に溜まった空気をゆっくりと鼻から押し出し、瞬き一つで心を閉ざす。


「抱えているものを話すのなら、何か手助けが出来るやもしれん」


努めて穏やかな口調を作り出しているような猫なで声だった。まるで私のためだと言い聞かせるように。ぐりぐりと躙る視線だけが彼の腹の内を語っている。

リリーはにっこりと微笑んだ。手のひらをスネイプに向け、何も握っていない、これが真実だと振ってみせる。


「お言葉に甘えたいところですが、生憎何も。強いて言うなら、生徒とのコミュニケーションに慣れないことくらいです。ですがこれは……」


スネイプの出る幕はない、との続きは留めて、リリーは曖昧に口角を上げるだけにした。彼は何か言おうと薄く開いた口をぎゅっと結ぶ。

スネイプ教授は閉心術に長けているそうだが、意識しないときの感情は表に出やすい。取り分け怒りに分類されるものはよく分かる。今だって小鼻を膨らませ、納得していないと言外に示していた。

睨み合いのような、居心地の悪い空気が包む。だがそれは勢いよく燃え上がる暖炉によって遮られた。


「今すぐに職員室へ!」


マクゴナガルの声だった。一瞬暖炉に向けられた顔を見合わせ、眉を潜めてコクリと頷く。まず先に近くに立っていたリリーが暖炉に飛び込む。着いた先で出口を譲ると、スネイプ、フリットウィック、シニストラが次々と飛び出し、何人か扉からも入ってきた。

これほどまでに鋭く険しい顔のダンブルドア校長を私は見たことがない。すでに競技場に向かっていた教授方を除いて大方集まったのを見て、重々しい口を開く。


「つい先程、新たな犠牲者を出してしもうた。前回同様、二人同時に石にされておった。ハーマイオニー・グレンジャーとペネロピー・クリアウォーターじゃ」


動揺を隠さない教職員の声がざわめく。リリーはフリットウィックに駆け寄り、その低い肩を支えた。肩に添えた手に乗せられる彼の手は、こんなに小さかっただろうか。


「わしはこれから魔法省に行かねばならん。先生方には生徒たちをお願いしたい。これ以上の犠牲は断固として許してはならん」


メラメラと燃えるブルーの瞳が、ぐるりと室内を見回す。皆一様に短く頷いた。

それから業務連絡のようなお達しがあった。生徒は午後18時までに寮へ戻す事。授業には必ず教員が引率をし、トイレにも付き添う事。クィディッチは延期し、夕方のクラブ活動も禁止する事。夜間の見回りを強化して監督生とゴースト協力のもと、二人一組で行う事。

マクゴナガルが競技場へ生徒たちを呼びに戻り、臨時の会議は解散となった。

ピリピリとした雰囲気の中、リリーの心は朝靄に輝く湖のように凪いでいた。《本》に載っていない犠牲はなく、内容も《本》の通り。これ以上の安心はない。

すべて順調だ。




一人残された職員室。リリーは見回り参加者リストを食い入るように眺め、そして簡単なホグワーツ城見取り図を手にしていた。与えられたのは、組分けと巡回の割り当ての仕事。以前のような簡易的なものではなく、本格的に隙なく行うにあたって必要となった。

私は《本》の描写を思い返した。ロックハートや監督生のパーシー・ウィーズリーが疲弊するはずだ。どう考えても人手が足りない。


「これは大変だ……」


見回りの甲斐あってか何もない日が続くし、見回りの甲斐もなくジニー・ウィーズリーは秘密の部屋へ行くことになるだろう。だが手抜きは私の信用に関わる。

一先ず問題は今夜のポッターとウィーズリーの動きだ。あわやスネイプ教授に見つかるというところで運よく回避する。悪化を恐れるならここだろう。通り道になりそうな場所にはなるべく鈍い人選をして、鋭いスネイプ教授には自分がペアで付くことにした。

ダンブルドア校長不在の、眠れない日々が始まる。







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