21 リドルの日記


幸いにも、クリスマス前後でスネイプ教授の様子に変化はなく、醜態は晒さずに済んだことが明らかとなった。グレンジャーの毛も次第に落ち着き、新学期が始まってからは医務室での補講にも熱が入る。もともとセンスのいい彼女は教えるのも楽で、復帰後、授業に遅れることは有り得ないだろう。




1月も終わりに近付き、グレンジャーの退院が近づいてきた頃、私は彼女に本の差し入れをした。彼女好みの分厚い古い本で、私は図書室の隅でそれを見つけた。魔法生物関連の棚にひっそり並んでいたその本は、数ヵ月後、彼女が握りしめるであろうページが載っている。


「ありがとうございます、エバンズ先生」

「どういたしまして。もう少しで退院でしょ?返却は任せたよ」


ヒラヒラと手を振りカーテンを閉める。仕込みは上々。きっと然るべきタイミングで彼女は本を思い出すだろう。もしかしたらクリスマスプレゼントの「閃き鏡」を役立ててくれるかもしれない。

気掛かりなのは、トム・リドルの日記の方だ。忌々しい例のあの人の欠片。見守るだけと決めていたのに、すぐにでもジニー・ウィーズリーから取り上げて壊してしまいたい。悪霊の火を使えなければバジリスクの毒牙もない今、講じる手段がハッキリしないことが私の一番のブレーキとなっていた。






2月に入ると麗らかな陽が増え、グレンジャーの退院やマンドレイクの成長、スリザリンの後継者事件の一時的な停止など城中に希望が満ち始めた。

しかしリリーにとっては気の休まらない日々が始まっていた。


ポッターがトム・リドルの日記を拾った形跡がないのだ。


フィルチさんやマートルにそれとなく探りを入れてみたが、日記が捨てられた様子はない。だがニックとフィンチ-フレッチリーが襲われて以降、被害が出てもいなかった。

ジニー・ウィーズリーが抗っているのか、別の経路で入手されたのか、何処かに捨てられたままなのか。

日増しに焦りが募り、浮わついたバレンタインムードがさらに苛立ちを助長させた。

ポッターやウィーズリーの末娘を見かける度に荷物を覗く。だが実物を知らないのだから、ページを開かないことには確認のしようもない。これも悪化のうちだろうか。私一人が気に病む以外は概ね《本》の通りに進んでいると言えるのかもしれない。






2月も数日が過ぎた頃、物語は突然動き出した。

長らく沈黙を守っていた三階の女子トイレから水が溢れていたのだ。偶然にも第一発見者となったリリーは、水浸しのトイレの床で同じく水浸しになった小さな薄い本を発見した。ボロボロの表紙に50年前の日付、トム・リドルの日記に違いない。

あとは上手く役者が揃うかどうか。

直接私がポッターの荷物に潜ませることも考えた。しかしマートルのトイレに誰かが投げ捨てたものだと知らない状態で、この日記はそれほど興味を引くだろうか?日記自体のもつ力で惹き付けられるのだろうか?

奥の個室に閉じ籠もり泣き喚くマートルをそのままに、ポケットの手帳を取り出す。

授業の終わりを告げるベルが聞こえた。

急いで仕事の予定が書き込まれたページを過ぎ、後方のメモ欄に目を通す。ポッターの時間割りを書き込んだ場所だ。

魔法史なら寮へ戻る際にこの階を通るはず。フィルチさんの代わりは私が演じるとして、上手くポッターたちだけを引き付けたい。作戦を練る時間はなかった。一先ず廊下へと続くドアに手をかける。


「――っ!」

「「「うわぁ!」」」


お互い予想しなかった出会いに四人は固まり、奇妙な間が流れる。ドアのすぐ向こう廊下側には都合の良いことにポッター、ウィーズリー、グレンジャーの三人が立っていた。

つい数秒前まで考えていた人物たちとの遭遇に、リリーは飛び上がった心臓を無理矢理押さえ込む。そしていつもの笑顔を作り出し、彼らに視線の高さを合わせた。


「どうしたの?」

「あー僕たち――」

「マートルの声が聞こえたんです!心配になって、それで……」


顔を見合わせる男たちを庇うように、グレンジャーが声を張り上げた。彼女の咄嗟の判断に男たちが乗っかり、頻りにうんうんと首を縦に振っている。


「私と一緒か。なら彼女を任せる。これ以上廊下に水が溢れないよう頼むよ。私はフィルチさんに言いに行かないと」


ため息混じりに呟いて、素早くその場を後にする。あとは彼らが日記を拾ってくれるのを待つだけ。跳ねる水音に混ざりドアの開閉が聞こえた。




待ち続けた一仕事を終え、やっとリリーにも柔らかな春の気配が触れる。大きく伸びをしながら校庭へ踏み入れ、胸一杯に清らかな風を閉じ込めた。

夕食までは予定もない。ハグリッドを誘ってお茶にするか、禁じられた森を案内してもらうか、ファングと思いっきり走り回るのも今なら楽しめそうだ。


「エバンズ」


小屋へと向けた足は大きく振った手と共にピタリと止まった。ねっとりと絡み付くような低い声。振り向けば、予想通りの真っ黒なコウモリ。スネイプが立っていた。


「スネイプ教授、奇遇ですね」

「仕事か?」

「いいえ、外の空気を吸いに」


上から下へ、値踏みされるような嫌な視線が纏わり付く。お返しにとリリーもいつも変わらぬ黒衣を眺めてみた。首元までピッチリと隠す詰め襟にふわふわと風に遊ぶ長いローブ。そして手には、カゴ。

カゴ?


「スネイプ教授、ピクニックですか?」


これっぽっちもそう思わないが、彼が手にしているのはどう見てもピクニックバスケットだった。二人用くらいだろうか。みるみるうちに寄った眉間が不正解を物語る。スネイプは掬うように首を動かし、付いてこいと合図をした。

森を少し歩いて開けた日の当たる場所、湿った風が頬を擽る。鳥の囀ずりや羽ばたきが聞こえ、本当にピクニックではないのかと疑ってしまうほどに心地のよい場所だった。


「クリスマスローズを可能な限りだ。根までしっかり抜け」

「えっ!あのエキス、教授が作ってらっしゃったんですか!?」


何が行われるのかと身構えた矢先、知らされたのは衝撃の事実。スネイプはどさりとカゴを置き、身近な草の元に跪く。ポカンと立ち尽くしているとギロリと睨まれ、慌ててリリーも手を動かし始めた。


「すべてではない。ホグワーツの費用が無尽蔵ではない以上、自生しているものも利用するだけだ。温室にもあるのは知っているだろう」

「はい、ですが、乾燥程度なら未だしも、エキスとなると更に手間がかかるのでは?」

「碌に扱えもしない間抜け用だ。わざわざ買って金を溝に捨てるわけにはいくまい」


酷い言い様ではあるが、つまりその間抜けのために自分の時間を惜しむつもりはないと、そういうことではないのだろうか。

スラグホーン教授は生徒も金も嫌いな人ではなかったが、生徒や学校のためと言えど労力は惜しんだだろう。推測でしかないが、自分の時間よりも学校の金で手軽に用意していたと思う。

スネイプ教授の新たな一面に感服する。陰湿で人好きのしない振る舞いも紛れもない彼自身だろう。だがその奥深くにはこういった清らかさが燻っている。きっとこれはダンブルドア校長ですら気付くことのない、彼の内。




「陽が暮れる前に戻る」


彼の忠実やかさに感化され、気が付けば太陽は森に隠されていた。軽く返事をしてから汚れた手を拭う。薄明かりに酷使した目をグリグリと解し、膝に手をついた。


「ひっ!」


立ち上がろうとした足は中途半端に伸ばされたまま。項にざわりと何かが触れた。蜘蛛か、リスか、ただの枝葉か。それなりの質量を感じる存在にリリーは身を固くする。


「きょ、教授!あの、私の首に、何か乗って……!」

「動くな。今取ってやる」


ため息混じりの声に葉を踏む音が重なって近付く。リリーの真後ろで止まると、髪を掻き分ける指先が擽ったい。何かを掬い上げる手つきにピクリとだけ震えた。


「ボウトラックルだ」


リリーは無茶な体勢にガクガクと揺れ始めそうだった膝を伸ばして、差し出されたスネイプの手を覗き込む。

細く緑の身体を踊らせ、リリーをじっと見つめる丸い目。個性的な一枚の小さな葉を揺らす姿は昔の記憶を呼び起こした。


「ボウトラックルの寿命と記憶力はご存じですか?」

「専門外だ」

「この子、昔私が授業でスケッチした子に似ている気がするんです」

「素晴らしい記憶力を披露するのは結構だが、ここにどれだけのボウトラックルが生息しているか知っているか?」


明らかな嘲笑を含ませて、スネイプが鼻で笑う。合理的な意見に気を悪くすることもなく、リリーは肩を竦めた。


「ロマンがありませんね」

「生憎、ロマンで薬は作れん」


「会いに来てくれたなら、素敵なのに」と溢しつつ、引き受けたボウトラックルを近くのイチイに返した。

少し蓋の浮いたカゴを手にさっさと城へ歩くスネイプの背を追い、リリーも並ぶ。


「私、動物に好かれやすいんです」

「どこぞの騒々しい教授も手懐けられたようで」

「ズルですけどね」


聞き覚えのある表現に、スネイプは足元に向けていた顔を上げる。僅かにスネイプとリリーの目が合った。


「手綱はしっかり握っていろと言ったはずだ。勝手なことを吹聴されては不愉快極まりない」

「言っておきます」


クスクスと笑うリリーの声が風に乗る。

今頃どこかの自称襲撃事件を止めさせた男は、キラキラスマイルをくしゃみで歪ませていることだろう。その彼が発案するバレンタインサプライズを受けたスネイプ教授を想像して、更に笑いが込み上げた。

ジロリと睨まれ慌てて押し殺すも、時既に遅し。「仕事だ」とクリスマスローズを詰めたカゴを押し付けられ、にやける頬が引き吊った。満足げに鼻をならし悠々と立ち去る男に一房投げる。


「粗末にするな。拾っておけ」


こちらを見もせず言い放つ背。彼は背中に目があるに違いない。

追いかけてくる背後の気配にニヤリと笑ったスネイプの顔が何の黒い含みも持たなかったことに、笑った本人でさえ気付くことはなかった。







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