19 呑み直し


「オグデンのオールド・ファイア・ウィスキー!嫌いではありませんね?さぁ、グラスを持って――乾杯!」


リリーは煙の上がるショットグラスを傾ける。グッと火照る喉を堪能して、同じくグラスを傾けたロックハートに目を向けた。


「それで、渡したいものって?」

「もちろん、クリスマスプレゼントですよ。直接お渡ししようと思いましてね。他のファンには内緒で」


シーっと唇に人差し指を当てて見慣れたウインクを寄越す。ロックハートが取り出したのは、大きな長方形の箱だった。


何だろう…?


著書全巻のサイン本ではないのは確かだ。ごてごてとした彼好みのラッピングに苦笑しながら、ありがたく受け取る。


「開けても良い?」

「もちろん!」


なるべく上品にラッピングを解き、重厚な蓋を開けた。飛び込んできたのは、とてつもなく大きな孔雀の羽根ペン。


「そう!私も愛用している、一級品の孔雀の飾り羽根です!」

「…ありがとう、ギル」


正直なところ、驚きすぎて感情が付いてきていなかった。

初めて握る大きな孔雀はふわりと軽く、視界で揺れる目玉模様の楽しい羽根ペンだった。更に驚かされたのは、持ち手に『リリー』と名前が彫ってあったこと。無粋だとは分かりつつ、どうしても価値を考えてしまう。


私は彼にとってこれに見合う存在だろうか?


「どうして…」

「さぁ、おかわりはいかがです?酔い潰れたって、誰も気にしませんよ」


分かりやすく誤魔化されて、グラスをウィスキーで満たされる。続けようとした言葉は、彼の揺れる瞳に呑み込まれた。決闘クラブのときもそうだが、どうも私はこの目に弱いらしい。

2杯、3杯とロックハートはペースを上げて呑み始めた。私より呑みつつ、私より喋る芸当に感服する。ゆっくりと酔いが回り、そろそろおいとましようかとグラスを置いた。

コトリ。その音に反応したのか、船をこぎ始めていたロックハートがポツリポツリと呟くように話し出す。


「初恋でした…。あなたの、目に留まりたくて…色々しましたよ。……こうして、クリスマスを…一緒に、過ごしてみたかった…。ですが今は…すべてのファンが、私の恋人……」


最後がいかにも彼らしくて、クスリと笑った。力尽きた彼の寝息を聞きながら、贈られた言葉を反芻する。


初恋


聞きなれた言葉だった。すべては母から授かった《呪い》のせい。出来損ないのヴィーラのように、私は他者の目に好意的に映る。すべてが恋愛感情に繋がるわけではないが、多くの人が《呪い》に魅せられ、私に不本意な思いを寄せてきた。目の前の彼も、その犠牲となってしまっていたのか。

フリットウィック教授との思い出話で、ロックハートについて思い出したことがある。彼は何度か学校で騒ぎを起こしていた。でかでかと宙にサインを書いてみたり、バレンタインをふくろう便で埋めてみたり。その何れかは、私に向けられたものだったのだと、十二年越しに知ることになるとは。

面倒な芽はなるべく摘み取って過ごしてきた。一時期は友すら作らず、《呪い》を受け入れてからも友人以上を望む相手には冷たく接して《呪い》から解放してきたつもりだ。記憶にはないが、きっとロックハートにもそうだったろう。


にも拘らず、彼は


贈られた孔雀の羽根ペンを暖炉に透かして見つめる。すっかり酔いは醒めていた。

貰ったばかりの羽根ペンで、ロックハートにメモを残す。

『素敵なプレゼントと楽しい時間をありがとう』

杖を振って彼に毛布をかけると、確かな足取りで自室へと向かった。




あんなにポカポカしていたのに一歩廊下へ出るとそこは極寒で、酒と暖炉とシャワーの力を借りても眠気は襲ってこなかった。時間がまだ早いせいもあるだろう。ソファでぼんやり適当な本を開いてみるが読む気にもなれず、すぐに端へと追いやった。


いつも、こんなときはどうしていたっけ


マグルにはテレビという娯楽があるらしい。電気という面白い技術で、絵画のように動いて話す。未知の技術に思いを馳せていると、あれほどロックハートの演説を聞いた後だというのに何だか無性に人恋しくなってきた。

今ごろグレンジャーは医務室にいるだろうか?いや、何も知らないはずが、ひょっこりお見舞いなんて不自然だ。

それこそ絵画にお付き合い願おうか?いや、道中見かけたのは酔い潰れた者ばかり。その上凍えそうな廊下で佇む羽目になる。

もしかしたら、誰か大広間に残っているかもしれない。ダンブルドア校長かハグリッドか。つまみに戴いたミンスパイを持って行こう。

勝手な妄想が膨らんで、ワクワクと部屋を飛び出した。廊下の冷えきった空気も気にならず、転がるように階段を駆け降りる。

が、玄関ホールに着いたとき、弾んだ気持ちもバクバクと打つ鼓動と共に鎮まっていくのが分かった。大広間への閉ざされた扉を開いても、真っ暗な部屋に動く影はない。


どうしてまだいるかもなんて思ったんだ


酒のせいで冷静な判断が出来なくなったに違いない。途端に馬鹿らしくなって、深くため息をついた。力の抜けるままその場にしゃがみこみ、ポリポリと痒くもない頭を掻く。

その時だった。カツーンと下から金属音が響いた。ピーブズでもいるのかと耳を澄ませば、それきり音はなく、再び静寂が続く。

そう言えば、今日はスネイプ教授を見ていない。帰る気はないように言っていたのに、クリスマス・ディナーにも現れなかった。体調を崩すような自己管理の甘さではないだろうが、ここまで来たついでだ。それに蜻蛉返りも味気ない。勢いよく立ち上がると、通い慣れた地下へと足を進めた。


コンコン、と澄んだ空気を震わせる。閉ざされた扉に「リリー・エバンズです」と名乗れば、薄く開かれ、漆黒の男が覗いた。


「何の用だ」

「…クリスマスを共に過ごす家族も友人もいらっしゃらないのでは?」


問いに答えるよりも先に口をついたのは、ドレスローブ姿への疑問。遠目に見ればいつもと変わらない漆黒だが、目の前にあるのは少しばかり上等な生地で同色の控え目な装飾も見受けられる。

丸く見開いた目でポカリと口を開けたリリーの様子に、スネイプの眉間のシワはますます深くなった。


「我輩とて付き合いくらいある」


言外に不本意な付き合いだと示しながら、吐き捨てるようにスネイプが答えた。次はお前が答える番だと表情で促され、どうしたものかと頭を巡らす。三十路を過ぎた大人の男が一日食事に姿を見せなかったからと様子を見に来るのは、おかしなことのように思えた。


「あー呑み足りなくて?」


しかし掲げたのはミンスパイの包み。チグハグな言葉に自分でも嘘臭いと思ったが、意外にも扉は大きく開かれた。一瞬戸惑ったものの、奥へ引っ込む男に「寒い」と凄まれ慌てて中へ滑り込む。


「どうせそれもダンブルドアだろう?我輩には酒だ。手伝え」


帰宅したばかりの暖まりきっていない部屋。スネイプは上等なドレスローブを壁へかけ、ラフな格好の首元を緩めながら棚へ向かう。贈り物のワインを取り出すと、杖を動かしピカピカのワイングラスを用意した。どかりとソファへ座り、リリーにも座るよう合図する。

惜しみなく注がれるワインを横目に、リリーがミンスパイの箱を杖でつつくと、温まったパイがフワリと香りを漂わせ始めた。


「クリスマスに」

「…クリスマスに」


乾杯、とグラスを傾ける。ミンスパイの甘い香りに遮られ、芳醇なワインを逃すように思われた。しかし二種類が混ざり合うと、元より一緒になるべきだったとすら感じる甘美な香りを造り出す。それを口一杯に味わいたくなって、直ぐ様ミンスパイにも手を伸ばした。それはスネイプ教授も同じだったようで、伸ばした先で手が触れると気まずそうに視線を逸らされる。


「甘いもの、お好きですか?」

「好き好んで食おうとは思わん」


スネイプは今手にしていることが信じられないと、罪もないミンスパイを睨み付けて口へ運ぶ。

僅かに彼の眉間のシワが和らいだ気がした。

初めからこうなると分かって、ダンブルドア校長は仕組んでいたのではないか。何でもお見通しの好好爺に敬愛と少しの悔しさを抱きつつ、心行くまで快美な時間を堪能した。

ディナーではアップルサイダーやエッグノッグを少々、そしてウィスキー、今はワイン。一時は酔いも醒めたと思ったが、しっかりアルコールは蓄積されていたらしい。少しおかわりしただけで、ふわふわと大らかな多幸感に満ち溢れていく。

あんなに話し相手を求めていたわりに、ポツリポツリと途切れ途切れの会話に酔い痴れる。相槌はあったりなかったり。一欠片の理性が、ここでグラスを置いておけと警報を発した。歩けるうちに、止めておけと。


「…パーティを楽しむ教授なんて、想像出来ませんね」

「付き合いだと言ったはずだが」

「私はギルと呑んでました」

「……」

「知ってました?私ね、ギルの初恋だったらしいですよ。馬鹿ですよね。…こんな、ズルの女に青春を注ぎ込んじゃって……そんな価値、ないのに…」


リリーは目を瞬かせ、うとうとと迫り来る睡魔に抵抗する。ふっと指先から力が抜けたとき、グラスを取り上げられたのを辛うじて知覚した。


「寝るなら戻れ」


パチンッと目と鼻の先で鳴らされた音に身体が跳ねる。失いかけた意識が僅かに戻ると、促されるまま扉に追いやられた。甘い香りの漂い続けるミンスパイの箱を抱え、ふらりゆらりと意識の外で足が動き始めていた。








渋々顔を出したクリスマスパーティ。窮屈な一張羅のドレスローブに身を包み、社交辞令の溢れる無意味な場から逃げるように離脱した。

今朝届いていたダンブルドアからのワイン。口直しにちょうど良いと一人で空けてやるつもりでいた。

その時だった。来訪者を告げるノック音と共に、またあの女が現れた。手には見覚えのあるミンスパイをぶら下げ「呑み足りない」のだと言う。

ふわりと香ったアルコールに既にいくらか呑んでいるのが分かった。酔っ払いの心など読めたものではないが、酒で口が軽くなるのではと、計略を孕んだ気紛れを見せる。

上等なワインを半分も減らさぬうちに、目の前の女がうとうとと揺れ出した。紡がれる言葉は意味のなさない羅列も多く、時間を無駄にしたとグラスに残ったワインを煽る。今にも寝そうな女を廊下へ放り出し、自分は残されたワインへと再び手を伸ばす。

『ズルの女』

酒に浮かされた目が、その言葉を吐く瞬間だけは、冷たく濁った。意味のない酔っ払いの戯れ言と棄てるには、引っ掛かるものがあった。


一体どんなズルだと言うのか


答えのでない思考を溶かすように、スネイプは再びグラスを傾けた。







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