24 知ってる世界の知らない話


リリー・エバンズが消えた。

この事実は教職員にも秘匿され、一足先に故郷へ帰ったと説明された。現れた日と同じように忽然と消えたことを知っているのは、スネイプとダンブルドアの二人のみ。

新学期が始まっても、彼女が戻って来ることはなかった。「リリー・エバンズは故郷の魔法学校へ通うことになった」その説明を信じふくろうへ手紙を託した人間は、みな肩を落とすことになった。

しかし彼女一人が欠けたところでホグワーツは変わらない。毎年誰かが卒業し、毎年誰かが入学する。時には騒がしいイベントも起こる。


ダンブルドアが秘密裏にスネイプを呼び出したのは、1998年の5月も数日が過ぎた頃だった。

OWL試験にNEWT試験対策。それでなくても教員は学年末の試験作りに忙しい時期。余程急を要するものでなければ即刻引き返してやろう。そう心に決めながら、スネイプは半ば駆けるように校長室へと向かった。怒鳴り付けるように合言葉を吐き、動く螺旋階段をも駆け上がる。


「校長、前置きは必要ありません。本題から入ってください」

「わしもそうしようと思っておった」


絢爛な椅子に座る部屋の主はいつも以上ににこにこと読めない顔をしていた。スネイプは眉間のシワを見せつけて、ならば早くと言わんばかりに腕を組む。


「リリー・エバンズの所在が確認できた」

「――っ!彼女はどこに?」


それはスネイプにとって青天の霹靂。溶けた眉間に気付きもせず、ダンブルドアとの間を隔てる事務机へ両手を付いた。眼前で微笑む好好爺の意味深な笑みにハッと視線を逸らし、身体を起こす。


「君にとっても朗報だったようで何よりじゃ」

「……彼女は今どこに?」

「日本。本来いるべきところへ収まっている、と言うべきじゃろう」

「それは、一体……」


ダンブルドアはたっぷりとした顎髭を三度撫で付けると、机上で指を組んだ。


「今の彼女にここでの記憶は存在しておらん。我々の出会ったリリー・エバンズと言う人物は、何年も先の未来からやってきた彼女なのじゃ」

「それはつまり、彼女が何らかの方法で逆転時計を入手し使用したと?何年も過去へ飛ぶなど前代未聞です!」

「おお、セブルス。そう熱くなる必要はない。彼女に非はないのじゃ。日本の政府はわしにすべてを打ち明けてはくれなんだが、原因は不明だと言っておった」

「そんなことが、起こり得ると?」

「何も初めて奇跡を見たわけではなかろう。もちろん、すべては起こり得る」






その夏、スネイプは日本にいた。イギリスとは違う日本の夏。茹だる暑さに呪文を唱え、服は場所に合わせたものへと変えた。彼女と共に入った記憶の中でも立っていた道を、今は一人でゆっくりと歩く。

何故わざわざここまで来ているのか。

それはスネイプ本人にも分からなかった。ただダンブルドアの言葉を確認したかっただけ、日本の政府が彼女をどう扱っているのか調査するため、何年も過去に遡りやり直せる方法があるのなら自分も手にしたい。こじつけることはいくらでもできた。


『我々がリリー・エバンズと接触することは禁じられておる』


スネイプが所在を問うたとき、ダンブルドアは笑みを消してそう言った。釘を刺されずともスネイプにもその気は更々なかった。少なくとも、彼女に「会いに」来たわけではない。

そう思っていた。

前方から駆けてくる人間が、リリー・エバンズだと気付くまでは。

進もうと上げた足を着地させるまでに倍の時間を掛けて、スネイプは再び歩みを始める。二人の距離はぐんぐんと縮まって、すれ違う。その瞬間、リリーが目元を拭った。


「――っ!」


スネイプは振り返りこそしたものの、手を伸ばすことはなかった。ビクリと跳ねただけの指を押さえつける。半端に開いた口は固く結んだ。そして狭い路地を見つけると、彼はバチンと姿をくらました。






リリー・エバンズが事故に遭う日。

それは彼女の与えた影響を知る者すべてにとって、手に汗を握る日となった。起こるであろう奇跡を待つという奇妙な時間。彼女の元には何人かの魔法使いが配置され、その時が無事に起こることを今か今かと待っている。

スネイプもまた、その場所にいた。

二度目の日本。しかし記憶は褪せていなかった。彼女と見たこの日の記憶を、彼は今でも鮮明に思い出せる。

それは今と同じ夕暮れの街。ガードレールのないこの道の遥か上空で、茜の空に藍色混じりの薄暗い雲が点在する。黄色い服を着た少年が黒いランドセルを背負って、憂鬱な答案用紙を眺めてはため息をついていた。少しの距離を空けて歩くのは、大人へと成長したリリーの姿。

突風が、何も知らない二人を貫いた。


「あっ!」


少年が秘めたい紙を追って駆け出す。それに気付いたリリーが、迫り来るトラックに目を見開き彼を追った。


「危ないっ!」


リリーの叫び声が道路に響く。スネイプの杖腕は懐へと伸ばされていた。トラックと二人の間に障壁を作る、トラックそのものを消してしまう、クッション呪文を使用する。二人を救ういくつもの案が刹那に巡った。


バチン


次の瞬間、スネイプは何の変哲もない空き地に佇んでいた。懐から抜かれた彼の杖先は上に向き、その腕を見知らぬ男がガッチリと掴んでいる。彼に連れられ姿くらましで飛ばされた。己の状況を冷静に判断し、スネイプはそう理解した。


「離せ」


スネイプが乱暴に腕を振り払う。容易く解放されたその先を男へと向け、首を傾げた。


「何故止めた?」

「彼女は事故に遭う必要があるからです」


聞く者を竦ませるスネイプの声も、男には通用しなかった。この男は自分を監視するために存在していたに違いない。流暢な英語で返される言葉を聞きながら、スネイプはそう確信した。


「救える者は救うべきだ。違うか?」

「あなたのことは知っています、セブルス・スネイプ。あなたの真っ黒な過去も」

「過去は、変えられない」

「ええ、そう。変えられない。変えてはいけない。今彼女を救えば、過去は変わってしまうでしょう。そして今が、変わる。あの物語が世迷い言でないことは、あなたも痛感されているでしょう」

「あの通りになるとは限らない!」


男がピクリと何かに反応した。風に抗うようにして羽ばたく青白い蝶が彼に何かを囁く。役目を終えた伝令はさらさらと朽ち溶け消えた。


「彼女は問題なく我々の病院へ搬送されました。手厚く治療が施されます。問題はありません」

「問題ない?……一度でも死の恐怖を味わったことがあれば、そうは言えまい」


スネイプの杖先は依然として揺らぐことなく男を指していた。今にも閃光が飛び出してきかねない気迫に、男がようやく両手を挙げる。手のひらを見せ降参のポーズ。しかし杖が下ろされることはなかった。


「これから先をどう生きるかは、彼女本人に委ねる。それが我々の出した結論です。こちらとしては是非とも共に働いてほしいところですよ。私はそちらで言うところの『闇祓い』ですから」

「彼女はイギリスを選ぶ」

「その根拠は?」

「私がいるからだ」


男は大袈裟なほどに目を見開いた。そして返す言葉を探し目を泳がせる。曖昧な笑みを浮かべ、やがてはっきりとした苦笑いへと変えた。


「そういった話には慣れていないもので。リリー・エバンズ・スネイプという彼女の居場所は残されているわけですし、その時は諦めましょう。それでは、私はこれで」


男は下ろした両手を身体へ沿わすと、軽く頭を下げた。そして身体を捻るとバチンと音を立てる。そしてスネイプもまた、彼の居場所へと身体を捻った。






事故から数ヶ月後、リリーはイギリスにいた。

初めてチケットを取り、飛行機に乗って、電車を乗り継ぐ。そうして辿り着いた場所が見慣れた駅というのは、なんとも不思議な感じがする。キングズ・クロス駅、9と3/4番線。ホグワーツ生はここにある柵へ飛び込んで、自分たちのホームへと向かうのだ。初めの一歩は勇気が必要。大切なのは立ち止まったり怖がったりしないこと。怖いのなら、走ればいい。

リリーは柵へと手を伸ばした。触れるまで、あと数センチ。モリーの柔らかな言葉を思い出しながら、目を閉じる。足に力を入れて、前方へと体重を乗せた。

トンッ、と何かが背中を押した。


「わっ!?」


リリーは驚き、思わず目を開けた。二歩、三歩と衝撃を分散させながらよたよたと歩く。そこはもう、魔法に囲まれた世界だった。ホグワーツ生で満たされるホームも今は無人。


「遅い」


背後で低い男の声が唸った。


「ここへ帰るだけに一体何年をかける気だ。君の放置した私物を、こちらは捨てるに捨てられず困っているというのに、呑気なものだな」


覚えのある嫌み。ふっ、と笑って、それでも瞳は涙で滲んでいった。

ゆっくりと、振り返る。

トレードマークの黒衣は少し手が加えられていて、長いローブやマントの裾は踝で揺れている。記憶より何年も年月の経過した顔にはシワが増えていた。


「残りは家だ。取りに来い」


彼が差し出したのは、手に馴染む杖と一枚の写真。


「よもや、こちらでの記憶もなくしたのではあるまいな?」


写真の中の子供の私は、間抜け顔でカメラを見上げたまま。何度も通った地下の部屋で、テーブルを挟んだ向かいには若い彼。呆れたため息をついてはチラリと写真の私へ視線を送る。


「覚えています。すべて」


私と彼の、思い出。


「そうか。それは残念だ」


言葉に対し、声色は軽やかだった。

一歩進み出た彼の腕が、私を包む。


「約束だったからな」


OWL試験の褒美にハグをねだった記憶が、私の中にも存在する。


「もう生徒の姿ではありませんけどね」


そう返しながらも、控えめに彼のローブを握りしめた。じわり、じわり、体温を伝え合う。幾筋も流れる涙が彼のローブへと染み込んでいった。


「だが、変わらないものもある」


身体が離れ、視線がぶつかる。スネイプの漆黒の瞳が細められると同時に、その口角が嫌みなく上がった。リリーはその何倍も笑顔を咲かせる。


「おかえり、リリー」

「ただいま!」


これは、知ってる世界の知らない話。




END


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