15 決闘クラブ


次の授業までの暇潰しにとリリーが向かった職員室では、珍しくスネイプが一人、肘掛け椅子に座って日刊予言者新聞を開いていた。

ふくれ薬事件の後、私たちの距離感に変化はない。避けられることも監視が厳しくなることもなく、反ってそれが不気味であった。納得してくれたのなら万々歳だが、記憶から消されたわけではないと言うことだけは彼の纏う空気からヒシヒシと伝わってきていた。

コーヒーでも淹れるか、と備え付けの棚へ足を向けたとき、誰かが部屋へ入ってきた。黙ることを知らない賑やかな男はリリーを見つけるなりツカツカと近付き、致し方なくリリーはその男へと向き直る。


「おはよう、ギル」

「おはよう、リリー!とうとうです、とうとう準備が整いました!今から掲示を出します。きっと大人気ですよ!」

「待って、待って、ギル。話が見えないんだけど?」

「決闘クラブ!私はそう名付けましたね。初回は今夜。あなたには助手を勤めていただく約束ですよ」

「決闘クラブの助手を、私が?」


ハッとした。1週間前に夜のお茶会で話していたのはこの事だったのか。《本》ではいきなり決闘クラブが始まるものだから、その準備段階の話まで頭が回らなかった。《本》がポッター視点なら、語られなくて当然だろう。

助手自体に不満はない。この決闘クラブで大切なのはポッターがパーセルマウスだと判明することだ。私が誘導すれば良い。

しかし出来ることなら《本》の示す通りスネイプ教授に押し付けたかった。決闘など無縁の人生だし辛うじて形式を知っているだけだ。


「あなたには模範演技として私の相手もお願いしますよ。いえいえ、何も心配いりませんとも。あなたを傷つけたりなどいたしません!」

「えぇ、でも私は決闘の形式を知っているだけのずぶの素人。折角のギルの舞台が勿体無いでしょ?だから代わりに……スネイプ教授にお願いするのは?」


チラリと新聞に目をやると、ロックハートは初めてそこに人がいることに気付いたと言わんばかりの顔で同じ方向を見つめた。始終聞いていたに違いない話題の矛先は、嫌々新聞から顔を出してその深く刻まれた眉間を見せつける。


「我輩は忙しい」

「お願いします、スネイプ教授。模範演技もですが、生徒たちはこういったことに関心が深く、二人ではとても見回れないほど大盛況になる気がしてなりません」


何か言え、とロックハートを肘で突く。


「リリー、スネイプ先生は決闘をご存知ないのかもしれません。あまり無茶を言っては――」

「無論、決闘については心得がある」


このときばかりはロックハートを讃えたい。彼は煽りの天才だと。スネイプ教授は青筋を立てこめかみをピクピクさせながら、折り畳んだ新聞を手荒く机に投げ出した。


「ならば怪我の?心配なさらずとも手加減致しますよ」


その自信はどこから湧いてきたのか。一層深くなった眉間に気付かない様子のロックハートはにこやかなままだ。


「よかろう。我輩がお相手しよう」

「では今夜20時に大広間で!リリー、あなたには大広間の飾り付けもお手伝い願えますね?」

「もちろん喜んで」




舞台は整った。

ロックハートたっての希望で模範演技は金色の舞台の上で行うことになる。20時を前に決闘クラブは《本》の通り大盛況で、ほとんどの生徒が集まっていた。舞台の前列は生徒に譲り、リリーは少し離れて様子を見守る。


「みなさん、集まって。私がよく見えますか?私の声が聞こえますか?」


悠々と始まったロックハートの演説に、次第にスネイプ教授の顔色が怒りで赤茶く変わる。表情筋をヒクヒクと震わせ目が据わっている彼は、遠巻きに見るだけでも真っ平御免だ。先日私へ向けられたものも、なかなかに恐ろしい形相だった。


「1、2、3、」

「エクスペリアームス(武器よ去れ)!」


合図と共に放たれたのは紅の閃光。真っ直ぐロックハートの胸を突き刺すと、彼の身体を軽々と宙へ送り出した。


「モリアーレ(緩めよ)」


彼の身体が壁に叩きつけられる前にクッション呪文を挟み込む。これはスネイプ教授の決闘クラブ参加に尽力したお礼だ。


――ん?


壁への激突を免れたにも拘わらずロックハートはだらりと床に寝そべったまま。こんなタイミングで何か悪化したのではと不安で駆け出そうとするリリーを制したのは、勝利を噛み締めるスネイプの声だった。


「これほど早く終わろうとは。幸いなことに、ここにはもう一人先生がいらっしゃる」


舞台から見下ろすスネイプの視線を追って、一斉に全校生の顔が向く。ニヤリと意地悪く口元を歪ませたスネイプが楽しそうに首を傾げリリーを誘った。

気は乗らないが拒否できるはずもなく、リリーは女子生徒に助け起こされるロックハートを視認してから壇上へ上がった。

まずは向き合って一礼。そして杖を構える。


「1、2、3、」

「エクスペリアームス(武器よ去れ)!」

「プロテゴ(護れ)!」


スネイプの杖から放たれた紅の閃光は見えない盾に阻まれリリーに届くことはなかった。生徒から響めきが上がる。リリーはこれで終わりなら大歓迎だと思ったが、スネイプが杖を収める素振りはない。すっかり立ち直ったロックハートですら口を挟もうとはしなかった。


「 タラントアレグラ(踊れ)! デンソージオ(歯呪い)! ファーナンキュラス(鼻呪い)! リクタスセンプラ(笑い続けよ)!」


リリーの放つ光はどれもこれも盾に当たって儚く散った。

敵うはずがない。十中八九、彼には実戦の経験が消えない過去として燻っている。私が子供騙しの滑稽な呪いを重ねたところで、精々彼の余裕の笑みを苛立ちに変えるのが関の山。

リリーの使った呪文の意図的な悪意にスネイプが気付かぬはずがなかった。次は元気の出る呪文にしようか、などと考える隙をついて、彼は口を動かさぬまま杖を小刻みに動かした。


「――あ!」


突如、リリーの両足が縛られたようにくっつき大きくバランスを崩す。立て直す余裕もなくふらついた身体からは杖が飛び出し、スネイプの手に収まった。

ドスンと品のない音を立て強かにお尻を打ち付ける。ジンと痺れが全身に伝わり、痛みを耐え凌いだ。


「無言呪文なんて狡いですよ」

「使わない決まりはないはずだが?大いに参考になっただろう。無言呪文での不意打ちは、相手の間抜け面を拝めると」


スネイプは呆気に取られたままの生徒を真っ黒な瞳でジトリと見回し、鼻で嘲る。立ち上がれずにいるリリーへ距離を詰めながら杖を向けると、何人かの生徒がヒッと息を呑んだ。

追い討ちをかけるとでも思ったのだろうか。スネイプ教授は悪の権化ではないというのに。横目で生徒を見やり、苦笑する。

フッと軽くなった両足を別々に動かし、青白い顔のロングボトムに微笑む。驚くことにスネイプ教授からは手を差し出され、ぱちくりと二度瞬きして幻影でないのを確認してからその手をとった。ぐいっと力任せに引き立たされて、奪われたままの杖を押し付けられる。

手を取ったときのスネイプ教授は随分とスッキリした顔に見えたが、ロックハートが壇上へ舞い戻る頃にはいつもの不機嫌顔になっていた。

ふくれ薬やロックハートや悪趣味な呪いに対するちょっとした腹いせだったのかもしれない。大分手加減されたに違いないが、ロックハートよりは形になった。

しかし実戦では容赦などない。お互いが命を狙い、奪わんとする。

6年後、私は何をしているのだろう。このホグワーツが崩れ行く様をどこかで見ているのだろうか。死喰い人と対峙しなければならなくなったとして、私はそうあれるのだろうか。

逃げたとしても、誰も責めてはくれないだろう。


私は、逃げたい?


コリン・クリービーが石になったあの日、ダンブルドア校長に逃げないと大見得を切ったのは自分自身だというのに?


「模範演技はこれで十分!これからみなさんのところへ下りて、二人ずつ組にします」


暗くなる思考を隅へ追いやって、ロックハートの指示に従う。そこへスネイプの思惑も加わりウィーズリーはフィネガンと、グレンジャーはブルストロード、ポッターはマルフォイと向かい合った。

「1、2、3」の掛け声で辺りが煙に包まれた。大広間中を覆い尽くして、あちこちで上がる声を靄に隠す。


「フィンチ-フレッチリー、起きられますか?――シェーマスはどうしたんですか。怪我はありませんね?――ブルストロード!もう止めなさい!」


リリーの声が霞に響く。


「なんと、なんと」


混沌とした中で頭を抱えたくなるのを抑え、ロックハートの動きを追った。私が気になっているのはここからだ。床に座りっぱなしの生徒を介抱しながら、ロックハートとスネイプ教授の会話に意識を向ける。


ポッターとマルフォイを中心に生徒が空間を作った。マルフォイに耳打ちをしたスネイプ教授がニヤリと笑う。ここまでお膳立てされれば、次は《本》の示す通りの展開だろう。

助け起こした生徒に別れを告げ、然り気無くフィンチ-フレッチリーの側で待機する。悪化の影響で蛇に噛まれたとあっては、ポッターの立場が益々悪くなってしまう。

「1、2、3」と何度目かの号令がかかった。


「サーペンソーティア(蛇出よ)!」


マルフォイの杖先から踊り出た蛇はすぐさま攻撃の態勢を取った。リリーは周りのざわめきをすべて切り離し、蛇の動きだけに集中する。


「私にお任せあれ!」


余計な、けれど先を見れば必要な出しゃばりが、杖で蛇を吹っ飛ばす。ベシャリと長い身体を弾ませ着地したのは、リリーの目の前だった。見事に怒り狂った蛇はリリーをじっと見たあと、もたげた鎌首を横へ移動させ、ジャスティン・フィンチ-フレッチリーめがけて這い寄った。

不審な蛇の動作に気付いたのは私だけではないだろうが、今は首を捻っている場合ではない。蛇に合わせてリリーも横へずれ、片手を上げてフィンチ-フレッチリーをローブに隠す。

シューシューと音を出したのは、目の前の蛇ではなかった。

ポッターが言った言葉を《知っている》ため、私に恐怖はない。貴重なパーセルタングに対する興味を隠す方に神経を使った。彼がこの能力を得た経緯を知りながら、私は未だミーハー心が捨てきれずにいる。


「いったい、何を悪ふざけしてるんだ?」


怒ったように叫ぶと、フィンチ-フレッチリーは大広間を走り去った。

やがてポッター、ウィーズリー、グレンジャーが去り、終にはスネイプまでもがいなくなった。


「今日は終わりにしよう、ギル」


放心状態のロックハートにそっと耳打ちをして、ポンと背中を叩く。するとスイッチが入ったように高々と話し出す彼は、予定通り終了を告げた。




「リリー、どうして私はこうも上手くいかないのでしょうね?」


二人残された大広間でロックハートがポツリと溢した。いつもの彼からは想像できないしおらしさに絆されて、隅で背を丸める彼に気持ちを寄せながら、殆ど一人で大広間を片付けきった。

ピクシー妖精も決闘クラブも、発想や取り組む姿勢は悪くない。ただ、少しばかり実力が伴わないだけで。それを受け止めず自惚れて他者を欺き声高に聴衆を集めてしまうから、失敗してしまうだけで。

彼が今日の言葉を忘れてしまう日が来ても、私は覚えていたい。ライラック色の輝きの影に、憂うブルーの瞳があったことを。

《本》からは窺い知れない心の内。彼らは今ここで生きている。苦悩や矛盾を抱えながら。予言の操り人形としてではなく、一人一人の魔法使いとして。







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