慌ただしく試験の採点が終われば、夏期休暇がやってくる。
今年度の闇の魔術に対する防衛術の担当は可もない代わりに不可もなかった。ダンブルドアにとっては辞めさせる理由もなく、来年も続投が決まっている。あの教科の馬鹿げた呪いの噂を断ち切る人物がやつらだということに不満はあれど、私にはどうすることもできない。
何度目かの付き添い姿現しでエバンズはようやく慣れを見せ始めた。著しく大人しくはなるものの、無駄な休息は取らずに済んだ。
埃まみれのスピナーズ・エンドで、去年同様ピアスを預り早口で捲し立てる。聞き取れず「もう一度」と頼んでくるかと思えば、少しくらいは聞きとっていた。生意気にも言い返してくるとは。
全くもって面白くない。
どうやらこの1年、勉強を続けていたらしい。この調子ならばすぐに私はくだらない言葉遊びから解放されることだろう。それは誠に喜ばしい。
多くは例年通りを望んでいたが、そう上手く行くはずもなかった。平穏な休暇は今年も奪われる。
「スネイプせんせい?」
拙い舌の動きがスネイプを呼んだ。
「何だ」
「いえ、てが止まっていたので」
「自由に食事を摂ることも許されないのか?」
「きらいだったのか、と心配しています」
「腹に溜まればそれで良い」
スネイプは適当に皿の料理を口へ放った。味わう気もなくただ咀嚼を続ける。口の中が空になれば他を入れ、皿が空になるまで延々とそれを繰り返した。それが彼にとっての食事。
「メニューのリクエストは?」
「そもそも我輩の分は必要ない」
「でもつくればあなたは食べてくれます。今みたいに」
「……材料費もタダではないからだ」
一度食せば彼女は調子に乗って二度三度。ホグワーツに比べれば幾分野菜の多い料理が並ぶ。連絡もなくここへ戻らぬ日も多いというのに、ここへ来ればいつも私の食事が用意されていた。一度食べた日から、いつも。
「せんせいが食べなかったぶんは私が食べてます」
グラスを傾け口の中を空けて、リリーは浮かびかけたスネイプの疑問に答えた。自分が単純な思考をしているように思え、スネイプは手をつけていないスープを彼女へ寄せる。
「これもどうだ?」
「…………?」
「その量では物足りないだろう」
「……なっ!違います!いちどにふたりぶんを食べるんじゃなくて――わかってて言ってますよね!?」
一拍置いて、リリーはスネイプの意図を読み取った。グッとスープ皿を押し返し、彼女は自分の皿の料理を突き刺す。そしてフォークに横たわるチキンへかぶり付いた。モグモグと大袈裟に顎を動かし呑み込んで、澄ましたままのスネイプへ視線を送る。彼はスープへスプーンを潜らせると顔を上げた。
「我輩は見世物ではない。それとも、妙なものでも入れたのか?」
「同じなべからふたりぶんのスープを入れました。それもスネイプせんせいの目のまえで」
「目を離した隙に仕組んだ可能性もある」
「そんな隙、ありましたっけ?」
「ないな」
そう言って片眉を上げるスネイプは、沈めたままのスプーンを持ち上げた。乳白色の液体がするりと喉を下る。そしてもう一口。
「これは近所のおばあちゃんじきでんのレシピで――」
彼女の語る人物に心当たりがあるはずもなく、初めて知る近隣住民の情報に耳を傾ける。共に散歩して辿り着いたと言う公園。その場所には心当たりがあった。褪せることのない記憶の中に。それは母以外の魔女を初めて見た場所。
「ブランコは赤だった」
「ブランコ?緑でしたよ。すわるばしょは黒でした」
「そうか……」
時間が経てば風景は移ろう。人が老いるように、その場所も変化していく。思い出と全く同じままのものなどない。色は褪せ、金属は錆び、風化する。潰され、建て直し、上塗りする。
「きょうは一段とかんがえごとが多いですね。ちなみに今はなにを?」
「……同じ時は二度と来ない、と」
「だから人は写真をとったりしてのこすんでしょうね。それでも変わらないものはあります。私がせんせいのそばにいることとか、私のかえるばしょはここだとか、私がずっとあなたを追いかけつづけることとか」
「何故変わらないと言える?」
彼女は浮かべていた笑みを消し、思案を始めた。
親友を自らの言葉で失い、唯一の存在を護りきれず、心酔した闇とは線を引き、ダンブルドアの元にいる。変わらなかったものなど何もない。
これから変わらない保証も、何も。
「ならあなたのリリーさんへのきもちは変わっていくと思いますか?」
「――っ!」
「同じだとはいいません。変わらない証拠もありません。でも、変わらないものはたしかにあります。そもそも変わることは悪ではありませんしね」
「……君は変わるべきだろうな」
「成長はしてますよ!しんちょうだって伸びたし、こうやって英語ではなしもできます!」
椅子を引きずりリリーが席を立つ。手を頭の天辺へ当て「ほら」と示した。しかしスネイプは何もない空間をただ手で払うだけ。
「暴れるな。埃が立つ」
「ちゃんとそうじしてあります!」
「随分と態度の大きい屋敷しもべ妖精だな」
「私は杖持ちのまじょです!」
リリーはスネイプの言いつけ通り持ち歩いている杖を出し意味もなく振る。沈む雰囲気を払拭しようとお互いが話に乗って盛り上げているようだった。
「それを使ってみろ。ホグワーツに戻れなくしてやる」
真偽の量れない彼の声色にリリーは杖を懐へと戻す。ギィ、と音をさせ椅子に座った。鼻で嘲うスネイプをチラリと窺い、空いた杖腕にフォークを掴む。
「いい子だ」
「それ、ほめてないのは分かってますからね」
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