人狼にアズカバン帰り。今年の人選はいつにも増して理解しがたい。それでもダンブルドアが闇の魔術に対する防衛術の担当として選び、私以外の人間がどんな過程があろうと首を縦に振ったのだから、私の憂いは聞き流される。
おまけに脱狼薬という厄介な薬の調合までもを押し付けられた。既に三度の調合を終えている。そのせいかは知れないが、ルーピンは気味の悪いほど私へ親しげに接する。こちらの迷惑など考える気もないのだろう。ブラックとは――考えたくもない。
今も。
「スニベルス、考え事とは随分と余裕だな?」
目の前の考えたくもない男が杖先を揺する。反射的に杖を出したはいいが、子供の決闘ごっこに付き合う気など更々ない。
「ブラック、長年のアズカバン暮らしで時が止まってしまったことへは同情する。だが血気盛んな子供の暇潰しに我輩を巻き込むのはご遠慮願いたい」
しかし向こうが先に仕掛けてきたならば、当然やり返す用意はある。幼稚な攻撃など容易く防ぎ、地に頭を擦り付けさせてやる。リリーを裏切った人間がやつでないと分かった今でも、私へのすべてが消えることはない。例えホグワーツ中がやつに味方したとしても。
二人の睨み合いは数分続いていた。その緊張は次第に極限へと高まっていく。時折尖ったすきま風がマントを擽ろうと、二人はピクリとも動かなかった。そばの窓では日毎に明るさの増す月光が雲を押し退け顔を覗かせている。
コツリ
不意に音が廊下を走った。数拍の間をもって、音が間隔を狭め出す。それはシリウスの後方から近付き、彼は杖先をスネイプから逸らさぬまま視線を流した。
月明かりが規則破りの徘徊生徒を照らし出したとき、彼女もまた、雲が隠していた二人の様子に目を見開く。
「シリウス先生?――スネイプ先生!」
決闘直前の二人を視認しても尚、リリーは足を止めなかった。構えたままのお互いに杖を納めるタイミングを逃し、一対の黒と灰が現れた一人の生徒の動きを追う。
彼女はシリウスのそばを通りすぎると、クルリとターンする。そしてスネイプを背にシリウスとの間に立った。
「エバンズ、そこを退け。規則違反への処罰はその男との話を終えてから行う」
スネイプが苛立ちを含ませ言った。
「嫌です。お二人の仲が悪いのは学校中が知っています。ですが杖を向け合うのは穏やかじゃありません」
「そいつは生徒に庇われるのが我慢ならないだけだ。傷つけられないうちに離れた方が良い。私たちを見逃してくれれば、こちらも君が消灯後に抜け出していたことを見逃そう」
「ブラック――」
「庇う?」
スネイプの怒りに被せるようにして、リリーの高い声が廊下に響いた。小馬鹿にしたような嘲笑混じりの台詞にシリウスの表情が曇る。空の陰りもそれを後押しし、端正な顔立ちに迫力が増した。しかしリリーに臆する様子はない。一体彼女は何を言う気なのか。スネイプはほんの少しの興味に言葉を譲った。
「私なんてスネイプ先生の足手纏いにしかなりませんよ。そうじゃなくって、これは少し思うところがありまして。まぁ庇うと言えなくもないんですが――」
だらだらと無駄話としか思えない言葉の羅列。スネイプの眉間にもくっきりとシワが刻まれた。しかし彼女の声に紛れコツリと別の音が生じたのを彼は聞き逃さなかった。発生源は先ほど彼女が現れた方角。
「シリウス!」
現れたのはルーピンだった。呼ばれた本人は「面倒なやつに見つかった」と全身から滲ませ、杖腕をだらりと下げる。
なるほど、エバンズはこれを知っていたのか。
ならばと注意がルーピンへと向いた隙にスネイプは杖をローブの奥へと滑り込ませた。幸いにも――いや、計画的に――彼の杖腕は彼女の身体で目隠しされたまま。
「リーマス、これは――」
「無防備な二人に杖を向けていた理由は部屋で聞かせてもらう。面倒をかけたね、スネイプ教授、リリー」
驚くブラックに手のひらを見せつけ肩を竦めた。妙な笑みを浮かべるルーピンの視線を追って下へと落とす。そこでは目の前の生徒が同じようなポーズで首を竦めていた。だからと言って気にする素振りを見せるのも癪に障る。唇を引き結び、二人そのままの仕草で去り行く彼らを見送った。
角を曲がりその姿が見えなくなると、現れたときと同じ仕草でエバンズがクルリと回る。その表情はニヤリと勝利を噛みしめているようだった。
「グリフィンドール同士、馴れ合っていると思っていたが?」
「確かに良くしていただいてます。でも私にとっての一番が誰か、先生はよくご存じでしょう?」
ゆるりと上がった口角のまま、リリーがスネイプを覗き込む。しかし彼の視線はスルリと避け、返事も疎かにそっぽを向いた。その背で「ついて来いと」語り、大股で一歩を踏み出す。
「どちらへ?」
角を曲がり初めて出会った階段を上りだしたとき、リリーが無言を貫く目の前の男へ尋ねた。薄ぼんやりと浮かぶ足元を照らすのは先を行く一本の杖明かりだけ。それでも十分に騙し階段を飛び越えられた。
「君がこれ以上徘徊しないよう、寮まで監視を行う。罰則は追って指示する」
「お言葉ですが、私は徘徊していたわけではありません。廊下の隅で蹲っていたルーピン先生を介抱して、消灯前に戻り損ねただけです」
「ならばそのお優しい心掛けが仇となったな。文句はルーピンに言いたまえ」
「これはただの同情です。彼が何と戦っているのかを知ってるから」
その言葉に足が止まる。一秒遅れてエバンズも止まった。校長自ら私に秘めさせた面倒事。それを生徒に知られるような失態をルーピンは犯したのでは。そうなれば失墜は時間の問題。微かな希望を胸に彼女を見据えた。
「ルーピンから聞いたか?やつが何かしでかしたのか?」
しかし彼女の首は横に動いた。
「元々知っていただけです」
「また予言か。君はあとどれだけのことを知っている?いつまで我々に隠しているつもりだ」
「言うべきことは既に伝えました。他のことは……うーん、可能な限りずっと、ですかね。言ったらスネイプ先生は私に興味なくなっちゃいますから」
彼女は勝手にそう決めつけて、立てた人差し指で自分の唇へ蓋をした。しかし否定もできず、ただただ不快感に晒される。
「薬は明日からですか?罰則ではなくお手伝いならいつでも呼んでください」
「君にできることは何もない」
「なら私は大人しく勉学に励むことにします。保護者の期待に応えないと」
「我輩は何も期待していない」
「放任主義ってやつですね」
彼女はまた勝手に解釈を付け加えた。
「見送りありがとうございました。すぐそこなので寄り道はしませんよ」
「監視だと言ったはずだ」
脇を駆けた彼女が吹き抜けの大階段に出て上を指す。数の減った松明の明かりを補う呪文が聞こえ、月に見放された彼女のシルエットが鮮明になった。
「生徒は廊下での杖の使用を禁止されているだろう」
そう発したのは彼女の姿が見えなくなったあと。おまけに減点もし損ねた。そう謀ったとは思わないが不快感がぶり返す。
スネイプは燻る内をため息に変え、すきま風さながらに吐き出した。
『私にとっての一番が誰か、先生はよくご存じでしょう?』
記憶の彼女が勝ち誇ったような顔をする。本当にしつこいやつだ。私にとってのそれも、彼女は知っているというのに。
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