11 実り


今年の夏期休暇もリリー・エバンズはスピナーズ・エンドへやって来た。三度目の付き添い姿くらましは少しの慣れも見られず、念のためと用意していた酔い止めの魔法薬が役立った。


「ルールは家を漁るな、来客に姿を見せるな、食事などは各自で用意する。でしたよね」


トランクを玄関からすぐのリビングへと運び込み、エバンズは大きく息をついた。そしてすぐに咳き込む。何度か古書を求め帰ってはいたが、碌に掃除はしていない。埃は1年分溜まっていた。


「窓を開けろ。二階もだ」

「ただし先生の部屋は除く」

「さよう」


去年と同じ指示を彼女へ出し、自分は杖を取り出す。家事の呪文など大して知りもしないが必要に迫られ掃除だけは習得した。瞬く間に埃が片付き、ようやくマントを肘掛け椅子へと放り投げた。

首元を緩め暖炉を覗く。煙突飛行ネットワークへは繋げていない。しかしいざというときは問題なく使えるだろうと確認してようやく椅子へ腰かけた。

またしばらくはこことホグワーツとを往復する忙しない日々が続く。『休暇』だとは到底思えない。バタバタと階段を駆け下りてくる足音を聞けば、ため息は自然と零れていった。




7月も2週間が過ぎた頃、去年通りの生活に変化が訪れた。そのきっかけはダンブルドアだ。突然家に押し掛けてきたかと思えば、エバンズも同席させて、ああだこうだと勝手な言葉を残して去った。


「君は校長に何を言った?」


今しがたその男の出た扉に鍵をかけ、振り向き様に彼女へ聞いた。問い詰めるような声色にエバンズは臆する様子もなく、苦笑いを浮かべ肘掛け椅子へと腰を下ろす。家主を前に我が物顔。先程も校長へ紅茶と茶菓子を用意していたのだから知らぬ間に随分と自由に過ごしているらしい。


「近況を知りたいと手紙をいただいたので、ありのままの一日を書いただけです」

「つまり?」

「ここに籠って本を読んだり……あ!最近は自力で読めるように努力もしてるんです」


そう言えば、とここでの彼女を思い出す。校長から与えられた眼鏡をテーブルへ置き、本棚を見つめる姿を何度か見た。部屋でも似たようなことをしていたのだろう。彼女は私がここへ戻るといつも家にいる。

だが、


「君を軟禁した覚えはない」

「知らない土地で遠出する勇気が出なくって」

「かのグリフィンドールも君を獲得できてさぞ誇らしかろう」


鼻で嘲笑うと、「痛いところを突きますね」と言葉が返る。変わらず苦笑いを張り付けて、肘掛けの解れた箇所で指を遊ばせていた。


「こっちは?」


問いながら、俯いた拍子に覗いた彼女の耳を指した。そこには言語の壁を越え会話を成立させるためのピアスが着けられている。当然だろう。今こうして話せているのはその魔法道具あってこそだ。


「会話は一人じゃどうにもなりませんから」

「引き籠っているからだ」

「一緒に出掛けませんか?校長も仰ってましたよ――」

「『きみたちにとって実りある休暇となるように』我輩もその場にいたのでね。しかし残念ながら我輩にとっての『実り』はホグワーツにある」

「研究ですか。因みに今は何を?」

「君に教える気はない」


だがダンブルドアから暗に申し付けられた手前、何も変えないわけにもいかない。しばし思案の間を取って、妥協案を捻り出す。


「ピアスを寄越せ」

「えっ、そんな、どうして――」

「あるから頼るのだ。休暇中はこちらで預かる。いざとなれば眼鏡での筆談が可能だろう」

「急すぎます!ロンの家に泊まる予定もありますし――」

「ちょうど良いではないか。耳が慣れる。ピアスを預けるというのであれば、我輩も多少は相手をしてやろう」

「こ、個人レッスンですか?英語の?」


分かりやすく輝き出した目にほくそ笑み、早く寄越せと手を差し出した。


「その代わり、外出したければ我輩を巻き込むな。君の『実り』は君自身で作りたまえ。勇敢な君の友人に頼むなりすれば良い。ただし杖は必ず携帯しろ」


揃えた指先を何度か曲げて見せ、ようやくエバンズはピアスに手をかけた。チラチラと何度もこちらに目をやりながら、未練がましく一つ二つと私の手に魔法道具を転がす。


「言っておくが、我輩の時間を割くからには容赦はしない。覚悟しておけ」

『待って待って早口すぎます!』

「我輩と話したければ英語を使え」


焦りながらもエバンズは一心に私の唇を読もうとしていた。それに効果があるのか定かではないが、何とか単語だけは拾えたようで、今度は首を上下に振っている。


「もいちど、ゆっくり」

「もう一度」

「もう一度」


発音を正せば復唱される。唇ばかりに向く視線はそれなりの不快さがあるものの、奇妙な玩具を手に入れたような多少の高揚感が胸を突いた。


「精々頑張りたまえ」

「頑張れ?頑張れって、私に?」


律儀に返事をしてやる気にもなれず、片眉を上げるに留めた。それでも肯定は伝わって、先ほど以上に顔を輝かせる彼女の姿がそこにはあった。




8月に入れば、エバンズは大荷物を抱え、このスピナーズ・エンドを出ていった。近くにある店の暖炉を借りて、初めての煙突飛行移動。行方不明の報せが届かないところを見ると、成功したらしい。付き添い姿くらましで酔う体質の彼女なら、多少の不快感は避けられなかっただろう。

1ヶ月と少し、中でも後半の半月ほどは週に数回英語の個人授業をして、それなりに彼女と関わっていた。あと数日は静かな日々が戻る。わざわざここへ足を運ぶ必要もない。

彼女がいると、この家にも生活感というものが出る。埃もなく、空気は澱んでおらず、台所は磨かれ、食料の備蓄も抜かりない。まるで昔に戻ったようだった。今にも怒号が聞こえ、啜り泣く悲鳴のような謝罪が家を満たすのではと。


「一体いつの話を思い起こすつもりだ」


グシャリと前髪をかき上げて、スネイプはリビングの本棚から古書を数冊抜き取った。そしてクルリと回転する。滞在時間は僅か二分。バチンと乾いた音が、物寂しい部屋に響いた。







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