10 気持ちを押し付け続ける


温室での罰則から、私がセブルスを訪ねることはなくなった。本はちゃんと図書室で探すし、魔法薬学の疑問はハーマイオニーか上級生が解決を手伝ってくれる。食事中も何となく職員席を見ることが減って、友達との会話に集中できた。

これで大多数の生徒の仲間入り。

きっとセブルスにとってもそう。

私はまだこの世界のすべてを軽んじてしまっているのだろうか。本の中の登場人物として、彼らを自分とは違うモノであると。友情を感じ、ドビーに心痛め、セブルスに執心してはいてもどこかで――。

違う。

ただ、私が嫌なやつだっただけ。セブルスの人生のほんの一部を垣間見て、彼を知った気になっていただけ。改めて考えれば考えるほど、どんどんと気持ちは落ち込んでいく。


「平和じゃない……」

「あら、新しい口癖?私は前の方が好きよ」


一人きりだった寮の寝室。そこにいつの間にかハーマイオニーが加わっていた。ここは彼女の寝室でもある。しかし彼女は自分のベッドを素通りして、ベッドで伏せるリリーの足元へと腰かけた。早春の夕暮れの心許ない光源に、部屋のランプを灯す。


「ヘイワダー……」

「私でももう少し上手く演じられるわ」


ハーマイオニーは手にしていた分厚い古書を膝に乗せ目次に目を通すと一ページ目を開く。ベッドが軋みリリーが身体を起こしたと分かると顔を上げた。


「一度くらい泣いてみれば良いのに。案外すっきりするわよ。私だってトイレで泣いたことがあるもの。無神経なやつのせいでね」

「泣くようなことじゃないっていうか、ただの自己嫌悪というか……」

「原因が何か私にはさっっっぱり分からないけど、ちょうど涙が止まらなくなる呪いを見つけたの。試してみても良いかしら?」

「え、や、遠慮しとく!」


本当に杖を出しかけたハーマイオニーにリリーが慌てて首を横に振った。


「ハリーも心配してる。ロンは……まぁ、分かるでしょう?」


ハーマイオニーが眉を潜めると、リリーは「まぁね」とクスクス笑った。


「そろそろ夕食よ。時間内には大広間に下りてきて」


リリーへ髪の乱れと顔に残る枕の痕を指摘して、ハーマイオニーは分厚い古書を自分のベッドへと預けた。


「ハーマイオニー、ありがとう」

「リリーがスネイプから仕入れた情報があると、私の魔法薬学のレポートが捗るって知ってた?」


返事を待たずに閉まる扉を見届けて、リリーは再びベッドへ沈む。ゴロゴロと何度か寝返りをうつと、また身体を起こした。今度はそのままベッドから下り、手櫛で髪を整える。


「よし!」


向かうのは、友人たちが待っていてくれる場所。


楽しく夕食のミートパイを食べながら、今日は少しだけセブルスへ意識も向けて、デザートのゼリーまでお腹一杯食べた。ロンには「またスネイプ贔屓が再発した」なんて言われたけど、ハリーとハーマイオニーは笑ってくれた。


夕食後は地下へと下りる。授業を除けばいつ振りだろうか。左手にはしっかりと魔法薬学の参考書を抱えた。セブルス・スネイプとは話ができなくても、せめてスネイプ先生とは関われるように。

何人かのスリザリン生とすれ違い、慣れた視線を浴びる。セブルスの私室まであと少しとなったとき、目立つ黄色いローブが現れた。彼女はふんわりとトレードマークの微笑みで立ち止まる。


「こんばんは、ミス・エバンズ」

「こんばんは、先生」

「スネイプ教授なら私室にいらしたわ」


私の手元へ視線をやって、彼女が言った。さっきまでそこにいたに違いない台詞に、何の用だったのか探りたくなる心を押し止める。


「ありがとうございます」

「熱心ね。私のDADAもよく勉強しているのが分かるわ」

「でも実技は思ったように伸びないんです」

「それは練習次第よ。理論はしっかりしているようだから、発音が重要ね。こんなに頑張って、就きたい仕事があるの?」


仕事……考えたこともなかった。いつまでもホグワーツに留まれるわけじゃない。不審な私の将来をダンブルドアたちがどう考えているのか分からない。でももし選べるのなら、私は何をしたいだろう。


「特に、まだ何も」

「そう。てっきり難関に挑むのかと思ってたわ。イギリスだと、闇祓いや呪い破りかしら。でもまだ焦る必要もないから、いずれ考える日が来るわ」


最後に「またね」と笑みを浮かべて、彼女は地下階段を上がっていった。


リリーは気を取り直して残り少しの階段を下る。目的の扉の前に立つと、右手で軽く拳を握った。腕を上げ、三秒の間をとってから、妙ちくりんなリズムを打つ。返事の代わりに蝶番の悲鳴が聞こえ、扉が開いた。


「あの、お久しぶりです」

「今日は我輩の授業を受けたはずだ。よもや寝ていたのではあるまいな?」

「まさかそんな!今日はその授業の質問に来ました」


参考書を掲げ嘘偽りないとアピールすれば、セブルスは片眉を上げ右足を引いた。クルリとその場でターンして、中へと戻る。途中ソファを指差して、彼自身は事務机へと座った。もう何度も見た、少し待っていろという合図。


「飽きたのではなかったのかね?」

「飽きる?何をですか?」

「……ここへ来ることをだ」


セブルスが仕事を片付ける合間にポツリポツリと会話が進む。私は参考書をテーブルへ置き目的のページを開くと、彼を見つめた。羽根ペンが忙しなく動き、ベタついた前髪が揺れ、鉤鼻が覗く。その様を見ていると、言葉がスルスルと心から溢れてきた。


「飽きませんよ。先生にとっては残念なことに、私の好意は他の子よりしつこいんです」

「……そのようだな」

「どうしてここへ来たんだろうって考えることがあります。それは世界を救いたいなんて大それたものではなくって、理由があるなら……スネイプ先生、きっとあなたが理由なんです」

「理解できん。君の話には欠けている部分が多すぎる」


机に向かうスネイプの眉間がぎゅっと寄って、リリーはふっと笑みを溢す。その気配に顔を上げた彼は想像通りの表情で、リリーはまたふふ、と笑った。そして大きく息を吸いゆっくりと瞬きをして、瞳に強い思いを灯す。


「スネイプ先生の想像以上に私は重いですよ。この先も気持ちを押し付け続けます。でももし……先生にとって邪魔でしかないなら、その時は言ってください。嫌われたいわけじゃありませんから」

「今は嫌われていないと?」


リリーはぎゅっと口角を上げて、先程とは違う無理矢理な笑みを作った。

バクバクと心音が部屋中に届いているような錯覚。この静かな空間で、私の内側だけが騒がしい。しかし数秒待っても「邪魔だ」「嫌いだ」と明言されはしなかった。

好かれているのでは。

なんて勘違いできるほど幸せな頭はしていない。監視だったりダンブルドアから何か指示があるんだろう、と冷静に捉える私がいる。それでも、私が秘密を抱えたままでいれば、その対象ととしてそばに居続けられるんじゃないか。そんな考えが頭を過った。


私はもう少しそばにいても良いだろうか


そんな私の心に答えるようなタイミング。椅子を引く音がして、布擦れと靴音が近づいてくる。


「本は用意したか?時間を無駄にするな」


セブルスは私の向かいのソファへ落ち着くと、前傾姿勢で本を覗き込んだ。その視線はもう「スネイプ先生」で。私はぐるぐると疼く熱を頭の隅へと押し退ける。


「この理論についての質問で――」

「焦らずとも来年度の春には授業で取り扱う」

「でも今日出されたレポートでこの理論に触れたら、評価が上がりますよね」


スッとスネイプの口角が下がり、リリーはニヤリと口角を上げた。


「君は点の取り方こそ上手いのかもしれないが、レポートはそうやって書くものではない。――私へのご機嫌取りでもないぞ」

「もちろん、レポートに書いたことは記憶として残るよう努力しています、先生」


模範生ぶって答えれば、セブルスからはわざとらしいため息が聞こえた。羽根ペンを呼び寄せる彼に持ち込んだ羊皮紙を差し出すと、チラリとこちらを見て彼は白紙にペン先を付ける。


「この理論は――」


語られ出した理論は確かに複雑で、セブルス自身へ気を向ける余裕なんてないほどだった。何度同じ箇所の説明を求めても、言葉を変えて応じてくれる。教師として申し分のない姿。

その度に浴びる辛辣な言葉を無視すれば、だが。







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