今年度最初のクィディッチはスリザリンチームに所属した新しいシーカーのデビュー戦でもある。ドラコ・マルフォイの加入は最新の箒を引き連れスリザリンとしてはこれ以上ないコンディション。プレッシャーはその分膨れ上がる。だがそれに潰されるようでは選手としての才はない。
「セブルス、競技場までの道中、チームの出来について聞かせてくれないか」
そろそろ外へ向かおうかというとき、ドラコの父親が地下を訪ねてきた。ホグワーツの理事でもあるルシウス・マルフォイはその権力を操り闇の帝王が捕まったあとも変わらぬ日々を過ごしている。今日もその権力と傲然さで息子の試合を見物しようと言うのだ。
「我輩は常にチームを監督しているわけではない」
ご機嫌取りめいた相手など面倒なことこの上ない。だが断るのは一層面倒事を増やすだけ。嫌々さを滲み出していても付き合う他なかった。
スネイプはソファに投げ出していた緑のマントを手に取るとルシウスの隣へ並ぶ。
「それを着るのか」
「何か問題でも?」
「いや。君の無頓着さは今に始まったことではないからな」
不躾な視線を全身に感じ、ヒクリとこめかみを震わせる。私の格好が気に入らないならば隣を歩かなければ良いだろうに。こんな場で着飾ったところでどうなる。昨年度はそういう男もいたが、自ら笑いの種になってやる気など毛頭ない。ため息はすんでのところで呑み込んだ。
外は快晴と呼ぶに相応しいものだった。雲の増える季節、これだけ澄んでいるのも珍しい。こういう日は如何に太陽を味方につけるかが勝敗を分ける。隣で同じようなことを話す男に適当な相槌を打った。
立場上は客人であると言うのに、ルシウスは競技場に着くなり半歩前を歩き出した。ピッチを囲むように設えられた観客席は場所の優劣に大差はないはず。拘りの席があるといったところか。口を挟む気にもなれず、上へ上へと向かう彼に黙って従った。
「ご主人様!」
周りの魔法使いたちに埋もれた小柄な生き物が手を上げた。キーキーと独特な声色を発するその生き物はホグワーツにも大勢いる。ギョロリと大きな目玉に貧相な身体を草臥れた枕カバーで包むその生き物の名前は確か……ドビー。もう何年もマルフォイ家に仕えている屋敷しもべ妖精だ。
「ドビーめは言いつけ通りの席をご用意していたのでございます!」
恭しく頭を下げる生き物は二つの空席を指し示す。ルシウスに言葉を返す気などなく、ステッキで追い払うような仕草をした。その動作を気にすることもなく、小柄な生き物は深々とお辞儀をしたあと姿をくらました。
「こんにちは」
今年度に入ってから耳に馴染んだ女の声がする。ルシウス越しに顔を覗かせた彼女はいつもの黄色いローブを黒へと変えていた。
「セブルス、こちらの女性は?」
ルシウスの催促に応じて初対面の彼らを紹介した。ナルシッサとは真逆にいるような彼女だが、私とも会話を続けられるだけの話術がある。彼の相手としてこれ以上の適任はいないだろう。
案の定ルシウスは彼女に興味を示した。流石にここを離れるわけにもいかず、隣で話し込む二人を他所に試合を観戦した。
試合は終始スリザリンの優勢で展開。しかし逆転勝ちが容易に起こるのがクィディッチだ。コツコツと貯めた得点をスニッチひとつで引っくり返されてしまう点だけは昔から納得がいかない。
不意にグリフィンドールの選手一人が素早い動きを見せた。それに続いてスリザリンの選手からも一人。何かを視界に捉えたらしい。間違いなくポッターとドラコだ。視線の先にはスニッチがあるのだろう。ざわめき立つ観客に隣を窺えば、流石にルシウスも息子の動きを目で追っていた。
「スリザリンチームは全員が最高の箒を使っている。競り合いで負けることは――」
しかしルシウスの予想は大きく外れた。ドラコは箒から落ち、スニッチはポッターの手の中。グリフィンドールの逆転勝利。怪我を負った様子のシーカー二人に観客は試合の興奮と心配の半々で、ピッチに浮かぶ担架二つを見物していた。
「ルシウス、医務室へ――」
「結構だ。私は帰らせてもらう。変えるべきは箒ではなく、どうやら選手だったようだな」
冷えたグレーで担架を一瞥し、心底気分を害した表情でルシウスが吐き捨てる。颯爽と立ち去るその後ろを、どこからか現れた屋敷しもべ妖精が追っていった。
医務室へ寄ってドラコの怪我を確認し、地下へと下る。積み重なった提出課題を採点する気にはなれず、ソファへ身を沈めた。投げた緑のマントが真似をして、隣でぐったりと黒皮に掛かる。そのまま力を抜いていれば、日頃の疲れからかウトウトと瞼が重くなってきた。
トトントトン
教師を訪ねるとは思えないノック音。一気に意識を引き戻された。面倒事は連続して起こるものなのか。一度は無視した音も二度三度続けば流石に鬱陶しくもなる。
扉を開けば、案の定、リリー・エバンズがそこにいた。
「ここにご友人は担ぎ込まれていない」
医務室で彼女を見た。ドラコと共に運ばれたポッターのベッドサイドで他のグリフィンドール生と並んでいたはずだ。
「みんなは談話室へ勝利のパーティをしに行きました。ハリーは医務室で一泊することになりましたけど」
「功労者を除けてパーティとは、お優しい仲間たちではないか」
「はは……本当にその通りで」
「それで?君も爪弾きにされて来たか?」
これ見よがしに鼻で嗤って腕を組む。そうでないことくらい分かってはいたが、だからと言って理由が検討つくものでもない。暗に理由を促せば、言い淀む姿は珍しい。
「少し、お話を聞いていただけたらと」
「我輩にか?ダンブルドアではなく」
その『お話』がいつものくだらないものではないと、すぐに察しがついた。彼女の秘めるもの。それを抱えきれず溢しに来るような何かがあった。
「殆んど愚痴みたいなものになってしまいそうで。それを校長先生にお聞かせするのは憚られます」
「我輩なら構わないと?」
口実だとか好きだなんだといつものようにベラベラ喋るかと思えば、エバンズはただ曖昧に笑うだけ。益々様子がおかしい。
「入れ」
これもダンブルドアに命じられた情報収集のため。子守りもメンタルケアも守備範囲外だというのに。自身に何ら得がない時間の浪費だ。報告の際に二つ三つ文句を言う権利くらいはあるだろう。
ため息を呑み込み扉を大きく開ける。道を譲れば、彼女は会釈と共に中へと進んだ。
いつにも増して空気が重い。
向かい合って座ること数分。一方的に話す者が黙ってしまえば部屋は沈黙で満たされる。責付こうかと考えて、特に予定もないのだからと足を組むに留めた。これはただの気紛れ。
「今日、ルシウス・マルフォイが来てましたね」
ようやく口火を切ったリリーにスネイプは簡潔に肯定を返し先を促す。
「それに、ドビーも」
「あいつも知っているのか」
「はい。あー、一方的にです」
組んだ足を解くスネイプの身動ぎだけが部屋に響く。リリーは膝の上で指を組み、熱心にその交差する影を見つめていた。
「ドビーは……私の自己満足の犠牲者なんです」
リリーの視界の外でスネイプの眉間が深く沈む。
「私は視た未来をお二人に打ち明けました。それを後悔してはいません。私には数多の命を救った自信があります。ですが一方で、不利益を被った存在が否定できないのも事実です。もちろん、死喰い人は別として、ですが。……ドビーは、マルフォイ家から解放されたがっています」
「あの屋敷しもべ妖精が?」
「はい。ハリーはドビーを自由にするはずでした。主人のいない屋敷しもべ妖精はそれなりの苦労もするのでしょう。でも自由があれば好きなときに好きな場所で好きなことができる。それが彼の望みでもあります。……現状とは正反対」
ルシウスの屋敷しもべ妖精への扱いは昔からぞんざいだ。魔法界全体を見て、それは珍しいものではない。扱いがどうだろうと手放すつもりなど毛頭ないことも確実。あの屋敷しもべ妖精が一生をあの一家に捧げることは容易に想像がつく。
「君にどうこうできる問題ではない」
「分かってます。ですからただの愚痴になってしまうと始めに断ったじゃないですか」
彼女のやりきれない思いが私への言葉に上乗せされ小さな棘となる。自分の手に負える範囲を越えたのだと割り切れない弱さが、今日の出会いによって増幅された。そんなとこだろう。
「腹を括れ。いちいち君の愚痴には付き合ってられん」
「これが括ってるつもりだったんですよね」
エバンズは情けないヘラヘラとした笑みをこちらに向けて、瞳だけは他へと流す。その目が妙に達観して見えた。ぞわりと肌を撫でた気味の悪さに顔をしかめる。視線を戻した彼女が首を傾げ、今度は私が机上の羊皮紙へと目を向けた。
その目線を追って、リリーが「あっ」と声を上げる。
「ごめんなさい、お仕事の邪魔をしてしまって。話せて少し楽になりました。もうこれきりにするのでご安心ください。ありがとうございました」
また一方的な台詞。ペラペラと述べて去る彼女は楽になったようにはとても見えない。それは開心術を使うまでもなく、ぎこちない頬に表れていた。
しかしスネイプがそれに言及することはなく、扉の奥へ消えるリリーの背をただ見送っていた。
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