コリン・クリービーの悲惨な事件の噂が下火になってきた頃、辺りはすっかり雪に包まれ、クリスマス休暇が目前に迫っていた。
「――それで、リリーはクリスマス休暇をどこで過ごす予定ですか?」
「学校に残るよ。待ってる家族もいないし、ホグワーツでのクリスマスも興味あるしね。ギルは誰かのパーティ?」
「お誘いはたくさん戴いてますよ。しかし私は一人しかいない!お断りの手紙は非常に心苦しいですがね」
夕食後のお茶会は縁のない高級な茶菓子が振る舞われるため授業より多少は楽しめる。が、正直会話が弾んでいるとは思わない。それでもしばしば呼ばれるのだから、ロックハートは聞き役がいれば満足なのだろう。
招待状を送ってきた名家を挙げながら大袈裟に嘆いて見せるロックハートの目を盗み、腕時計を確認する。
「ごめんね、ギル。そろそろ地下へ行く時間だ」
「また?彼はリリーを働かせ過ぎだと思いますね」
「なら直接スネイプ教授にそう言ってくれる?」
「あー、有能すぎるのも困りますね、お互いに」
わざとらしい笑みを浮かべ、ロックハートは見えない蝶を追うかのようにフラフラと視線をさ迷わせた。リリーはニヤリと上がる口元を隠し、未練なく立ち上がる。
「ご馳走さま。また明日ね」
「リリー!実は今、校長にお願いしていることがありまして。それが通れば、是非お手伝いを頼みます。素晴らしい発案なのでね、必ず実現しますよ」
「……?もちろん。仕事だからね」
壁に並ぶロックハートの写真から一斉に放たれるウインクを素通りして扉を閉める。彼の企みが何にせよ、今は様子見で構わないだろう。
それよりも、明日の魔法薬学に集中しなければ。
《本》によれば、12月の第二木曜日、午後にあるポッターのクラスで騒ぎが起こる。彼らは共謀しスネイプ教授の個人棚から残りのポリジュース薬の材料を盗み出す計画を立てたはずだ。褒められた行為ではないが、目敏いスネイプ教授からくすね逐せてみせるのだから、天晴れと言えよう。
私はそんな彼らのチャレンジを応援する。ここでの失敗は後の筋書きに影響を与えかねない。
今日は前準備として、ぺしゃんこ薬の調合をする算段だ。命に関わるものではないが、私のせいで薬が足りないなんて事態にはしたくない。
軽快に下った階段の先、うねる廊下を抜けて地下の主の扉を叩く。重苦しい響きを伴って開かれた先には今日も机と向き合う男の姿。
「お疲れさまです」
丁寧に頭を下げたところでスネイプの目には入らない。外面を整える必要もないこの部屋では、能力が重要視される。リリーは研究室への道すがら机を覗き込もうと忍び寄ってみた。
「仕事は隣だ」
僅かに頭を上げ髪のカーテンから視線を覗かせて、スネイプはニヤリと意地悪く口角を上げた。
嫌な予感がする
これは全生徒も共通の認識だと思うのだが、きっと待っているのはぺしゃんこ薬の調合なんて優しいものじゃない。
早く行けと言わんばかりの視線に追いやられ、足取り重く研究室へ進む。真ん中に鎮座する机。その上にはガサゴソと生き物の蠢く箱が二つ並べられていた。
トントンと外から刺激を与えても反応を返す様子はなく、肝っ玉の座ったやつかマイペースなおっとりタイプが入っているに違いない。
いざ。飛び出してきませんようにと願いながら、注意深く蓋を持ち上げた。
「なんだ、レタス食い虫か」
胸を撫で下ろし、蓋を戻す。レタス食い虫の粘液は魔法薬を濃くするためにしばしば用いられる。今日はその搾取と言ったところか。
「スネイプ教授、粘液ですか?」
「広口瓶二つ分。終わったらハグリッドに返すまでが君の仕事だ」
「罰則みたいですね」
「生徒のお行儀が良いのは喜ばしいですな、エバンズ先生?」
だから私に回ってきた、と
覗き込んだ隣室から首を引っ込め、箱に向き直る。わざわざ罰則用に用意したかのようなお誂え向き。決定的に違うのは、手袋も添えられているという親切心か。
厚めの手袋で一匹取り出し、腹をぐいぐいとマッサージしてやる。ドロリと溢れた粘液を瓶で受け、限界の二歩手前ほどまで搾り取ってから箱に戻す。それを延々と二箱分繰り返し、終わったのは1時間と少し経ってからだった。
本題はここからだ。ざわざわと騒ぐ箱を隅へ寄せ、机上を片付ける。
「スネイプ教授、終わりました」
「返却を忘れるな」
「その前に、ぺしゃんこ薬の補充をしておこうかと思うのですが、構いませんか?」
「……明日はロングボトムとポッターのクラスか。良いだろう」
「他に調合しておくようなものはありますか?」
「今はない」
許可を得て早速取りかかる。
まずは棚から材料瓶を抜き取り大鍋の横へ並べた。そして火を焚き十分に鍋を熱したあと最初の材料を入れる。
磨り潰したり、裂いたりと幾つかの処理を重ねながら大鍋を右へ左へかき混ぜる。すると半透明の白濁液が出来上がった。
少しとろみのついた液を軽く冷ましてから瓶へと注ぐ。見た目より臭いは悪いが、そういうものだと割り切るしかない。明日これを飲む羽目になる生徒は気の毒だ。
ラベルを貼り、レタス食い虫の粘液と並べて置いた。
リリーは欠伸を噛みしめつつ気の抜けた歩みでスネイプの元へ向かう。間もなく22時を迎えようとしていた。
部屋の境を過ぎた辺りでバチリと漆黒の双眼と目が合う。なんと間が悪い。珍しく顔を上げていた彼にキリリと取り繕うと、害した様子も嘲笑もなく目線が外れる。
「スネイプ教授、すべて机に置いておきました。レタス食い虫の返却へ行くので、今日はこれで失礼します」
「あぁ。明日は午後だな」
「早めに伺いますか?」
「いや、いい」
「ではおやすみなさい、スネイプ教授」
「……おやすみ」
積み上げた虫入りの箱を抱え直すと視界が遮られ、足元の確認だけで精一杯だった。体当たり覚悟で進んだ先にあるはずの扉はなく、行き場のない力みでよろめく足をなんとか踏ん張った。
後ろで鼻を鳴らすのが聞こえる。笑われたのか、呆れられたのか定かではないが、扉に打ち当たらなかったのは背後の男のお陰に違いない。
「ありがとうございます」
目一杯首だけを回した。返される言葉はなく、羊皮紙の擦れる音が耳を擽る。
危なげに階段を登りながら、初めから魔法を使うべきだったとため息をつく。今更杖を振るのもバカらしくなって、とうとう抱えたまま雪の降り積もる校庭へと辿り着いた。
明日は上手く行くだろうか
ポッターらのことだけではない。何か不備があればスネイプ教授の目と鼻の先で対処せねばならないのだ。彼に目をつけられれば行動しにくくなる。それだけは避けたい。
月明かりは厚い雲に遮られ、雪でぐっしょりと濡れた靴が指先を凍らせた。凍てつく風が髪を荒らす。塞がった両手が確かに箱を抱えているのは、腕のだるさと胸元の触覚だけが知らせていた。
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