4 彼はなかなか侮れない


子供っぽいなんて言われたことなかった。その逆もないが。私のいないところでは別として、面と向かって言われた記憶はない。

でも、今、私は、深刻な精神の若返りに直面している。


「水遊びがこんなに楽しいものだとは思わなかった……」

「「隙あり!!」」

「わっ!?」


春真っ盛りの湖の畔で大イカと思いっきり戯れて、のんびり小休止していたところに、ウィーズリーの双子が奇襲を仕掛けて来た。バシャンと遠慮なく水をかけられ濡れないようにとささやかながら気を使っていた服も髪もしっとり湖臭い。


「倍返しにしてやる!」


そう叫んで走り出した自分をどこか他人事のようにすら思う。若返りどころかこれは子供に馴染みすぎではないだろうか。普通に……いやかなり楽しめてしまっているのがなんだか悔しい。誰しも一度は若返りたいと思うものだろうが、私が想像していたのはこうじゃない。

でもまぁエンジョイしてるからいいか。


それまで横並びで走っていた双子が二手に別れた。どちらを追おうか判断しかねた一瞬で、視界がグラリと揺れる。


転ける!


そう思ったときにはもう左半身を地面に強かに打ち付けていた。咄嗟に出た手も大した防御にならず、手に怪我が増えただけな気がする。

双子は気付かず走り去ってしまっていた。それが痛みと共に惨めさを盛り上げて、入れ替わるように先程までの楽しさが初めからなかったように弾けて消える。

芝を払い、葉で擦った手のひらからじわりと血が滲むのを見つめた。湖に浸け裸足のままだった足の裏にも同じような傷。一度気になってしまえばじくじくと刺激し始める。


「ダサすぎる……」


双子には申し訳ないが追いかける気は失せてしまった。かといってこの足を再び地面に付けて湖の畔まで行くのも躊躇われる。しかし靴も杖もそこに置き忘れたまま。


「ドンマイ、私」


一先ず自分で自分を慰めた。

痛みを感じるということは、これが夢ではなく限りなく現実に近いという証明じゃないか。突然覚めてしまわないなら、入れ込んだこの世界を奪われる辛さを味わうことはない。無理矢理なポジティブさを深呼吸で締めて、情けない現状から立ち直る。

私の知ってる物語なら、偶然通りかかったセブルスが手を貸してくれるのに。諦めきれずに見渡すと、城から出てくる黒衣がいた。なんと、これは。愛の力だと言いたくなるタイミングに、両手を挙げてアピールしてみる。

が、無視。冷笑さえもらえなかった。チラリとこちらを見た気はしたのに。彼は私から100メートルは離れた場所を通り過ぎ、生徒には禁じられた森へと入っていった。


「彼が気になりますか?」


視界の外から声がかけられ、ビクリと肩を震わせる。振り返ると、クィレルが側にしゃがみ込んでいた。いたって普通の、寧ろ生徒にも丁寧すぎる教師の顔をした彼はなかなか侮れない。こんなに近くに来ても気付かなかったのは、私のせいではないはずだ。


「森へ何をしに行くんだろうかと思いまして」

「薬草が自生しているそうで、恐らくそれを摘むのだと思います」


へぇ、と気のない相槌をしながら私はまた森へ顔を向けた。色々なことが起こるはずだったその場所は、暢気にそよ風に揺らぎ鼻歌を歌っている。


「そんなことよりも。失礼」


形だけの断りを入れて、クィレルはリリーの手をとった。手のひらの傷に顔をしかめ、杖を向けると治癒呪文を唱える。リリーの手にじんわりと熱が籠り、痛みごと熱が引いていった。


「ありがとうございます」

「私にも治療できる程度で良かった。次は足を」


ここへ乗せろと言わんばかりにクィレルが自分の膝を叩く。治療のためとはいえ気が引けて躊躇っていると、足裏の傷が見える座り方へと誘導してくれた。少しきつめの横座り。傷の塞がる様はまだまだ見ていて興味深い。

これがセブルスだったなら、もっと容赦ない感じだろうか。クィレルほどの紳士さはなさそうだ。そもそも治してくれることがあるかが疑わしい。医務室へ行けと言われて終わりそう。


「リリー、友達が靴を持ってきてくれますので、また怪我をしないように」

「ありがとうございました」


彼の笑顔はたまに怖い。でも今日は普通の好青年だった。杖を懐へ入れ彼の指差す先には私の靴と杖を持って歩く双子の姿。合わせて笑顔を返すとクィレルは手を振りながら城へ戻っていった。

いつからだろうか、彼が私を名前で呼ぶようになったのは。セブルスのような目に見える贔屓はない。しかしマグル生まれとして世間話をするだけの生徒としては気に入られ過ぎている節がある。人として好かれているわけでも、況してや女としてはありえない。これは、違う。




「ちょっと不気味なんですよね。最初に接触を謀ったのは私ですけども」


大広間で時間ギリギリに夕食を摂り、そのまま地下へと下りた。長期休暇中だというのにのんびり出来ない性分らしいセブルスは研究室で大鍋に付きっきり。それでも「わりと真面目な話」として切り出した私を追い出すことはせず、実験の片手間に聞いてくれていた。


「何故それを我輩に相談する?ダンブルドアへ伝えれば良いだろう」


真鍮の天秤に乳白色の粉末を乗せながらスネイプはこれ見よがしにため息を吐いた。視界の端では許可された唯一の居場所に座りながらリリーが足を揺らしている。


「スネイプ先生がそう判断されるなら。やっぱり先に保護者に話すべきかと思いまして」


なんて。密に連絡を取り合った1年を経験しても、偉大なアルバス・ダンブルドア校長に根拠のない雑談をしに行くのはそれなりにハードルがある。それにこうしてセブルスと話す機会をみすみす逃すのは惜しい。


「形だけだ。そんなもの無視しろ」


私の邪な考えを知ってか知らずか――恐らくバレバレで、彼は突き放す冷たい声を出した。


「私の知ってるクィレルはヴォルデモートに取り憑かれた後の『可哀想な吃りを演じるクィレル』ですから、今の彼は読めなくて。自意識過剰でしたね」


めげずにそう言って、でもちょっぴり傷付いて、寮に戻ろうと丸椅子から降りた。


「いや……」


続きのある切り方で、スネイプがリリーへ向いた。情報をかき集め精査する間を取ると、彼女に椅子へ座るよう顎先で示し、自分は大鍋の乗る長テーブルへ凭れかかる。


「君の勘は外れていない。クィレルは君に秘められた魔力に引き寄せられている。恐らくな」

「それは奪うために、ですか?」


そう言えばここへ来た日、セブルスとダンブルドアは大きな魔力を感じ取ったと言っていた。秘められし力、なんてただのトリップあるあるだと楽観視していたが、狙われているのならそれは怖い。死ぬのだって一度で十分だ。


「君の実技は拙劣だが理論まで破綻させているとは。魔力はそう簡単に奪えるものではない。利用する、と言った方が正しい」


スネイプはまた大袈裟なため息を吐いたがリリーには届かなかった。彼女はぷらぷらと揺らす靴先を熱心に見つめるばかり。


「私、本当にそんな力を持っているんでしょうか?先生も仰ったように呪文の精度はバラバラで、私より優れた魔女なんていくらでもいます」

「君のような未熟者には分からないだけだ。ある程度力が備わってくれば、向かい合う相手の強さの予測がつく。些細な魔法の威力やふるまいからな。

クィレルは実戦経験に乏しいが、元々そういったものに敏感な人間もいる。隠す術を持たない子供相手なら一層分かりやすいものだ。

例えば君は、誰よりも遅く浮遊呪文を習得したが、初めての成功で羽根だけに留まらず周囲の友人もろとも天井まで浮かばせた。例えば君は、クィディッチの才能は絶望的だが、どんな粗雑な手入れの箒も従わせる」


落としたいのか持ち上げたいのか。そのどちらでもないにしろ、セブルスが私を見ていてくれていたのは確実で。私は自分の身の上を棚に上げて熱い胸の内を迎え入れた。

いつになく饒舌な彼は私に警戒心を持てと言ってくれているのだろう。ならば今日はあなたが助けてくれれば良かったのにと強欲な心が首をもたげる。平和な日本で暮らしここでもヴォルデモートを捕まえて。そんな私の引き出しにある警戒心なんてきっと虫食いだらけ。


「万が一ご迷惑をお掛けしてしまったら、ごめんなさい」

「事前の謝罪に何の意味がある。努力する気はない、と宣言したいのか?」


そう言って、彼はまた大鍋のご機嫌取りに戻ってしまった。ゴポゴポと沸く魔法薬、刻むナイフ、左右に移動して床をにじる靴音。けれど退出はまだ促されていない。


「未来を視てはいても、私はただのマグルでした。なのにどうして突然魔力なんて与えられたんでしょうか」


リリーは半ば独り言のように呟いた。返事がなくても構わないように。しかしスネイプは手を止めず背中越しにフン、と鼻で嗤う。


「魔法省へ駆け込んで実験体に志願してみては如何かね?」


そう言って彼は杖腕で私の右から広口瓶を呼び寄せた。ローブで隠れた左手は恐らく大鍋をかき回し続けている。器用な姿に見惚れながら、後少しだけ、と居座った。

魔法省、神秘部。時や脳など壮大なテーマを抱える無言者の集まり。そこでなら私のことも何か分かるのだろうか。何が、分かるのだろうか。

慣れ親しんだ世界との別れは辛い。しかし自分の死んだ場所に帰りたいとは思わない。帰りたいんじゃなくて、この世界にとって私の存在は許されるものなのか。そうセンチメンタルになる日がある。思う度に、今更だと悩みを捨て去るのだけど。


「神秘部行きはありかも……」


無意識に零れた思考の欠片は発言者自身に気付かれることはなく、しかし空間を共有していた別の人間が拾い上げる。


「……エバンズ」

「っはい!何でしょう?」


スネイプは相変わらず背を向けてはいたが、リリーは反射的に姿勢を正した。遊ばせていた足を揃え、手は膝の上。この身体に戻ってから染み付いた模範的なよい子のポーズで続きを待つ。


「学生の本分に集中したまえ」

「はい、先生」


彼の言葉を直訳するなら「出ていけ」なのだと解釈して、リリーは模範生のまま返事をした。椅子に別れを告げて扉へ向かうと、金属の輪っかに手をかける。


「今日はありがとうございました」


振り返ればスネイプは何かの液体を大鍋に滴下しているところだった。もうもうと立ち込めていく煙の中へ消えていく黒衣。ぬっと突き出された手がシッシッと追い払う仕草をする。その手もやがて煙の中へ。


掻き消えてしまう


心臓がドクンと大きく跳び跳ねて、その衝撃を足裏から逃がした。飛ぶように三歩――右、左、右――。

彼の手に届く。


「……何のつもりだ?」


セブルスの調合中だった大鍋は明らかに失敗だと分かるけばけばしいピンクをしていた。

消え去った煙から現れたのは全生徒が逃げ出すどす黒さを纏った男。眉間のシワはハリーを前にしても見たことのないほど深く刻まれ、その目はバジリスクもびっくりの鋭利な黒。私はそんな彼の手を両手で包むようにして捕まえていた。


「あの、ごめんなさい!」


慌てて離し、扉まで下がる。


「何のつもりだ、と聞いている」

「いえ、あの……特にこれと言った理由は……」


彼の片眉がぐいっと上げられた。私は咄嗟に目を伏せ抉るような彼の侵入を拒む。チッ、と舌打ちが聞こえたが顔を上げることなどできなかった。

本当に、理由はないのだ。ただ衝動に突き動かされただけ。セブルスの最期を読んだ私の馬鹿げた衝動だった。もう彼が犠牲になる未来は迎えずに済むというのに、目の前で彼が生きている奇跡を失うような恐怖。

本当に馬鹿げている。


「これを作るために我輩がどれだけの時間を費やしたか知っているか?」

「……いいえ」

「以降湖で遊べるとは思わんことだな。君のイースターは、今終わった。グリフィンドール20点減点」

「えっ!」


ギラリと血走る眼光に、続きの言葉を呑み込んだ。


「休暇中と言えど反映はされる。明日9時、ここへ」

「はい、先生……」


年度末間近の大幅減点。嘆く友人たちを思えば心が痛い。二人っきりの罰則。なんて、実際喜べるものではないと初めて知った。








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