2 呪われたハロウィン


平和をつまらないものとして切り捨ててしまうのはそれこそ平和ボケしているから。しかしここへ来てすぐの1年があまりにも濃いものだったからどうしても刺激が足りないと感じてしまう。


入学してからもう2ヶ月が経とうとしていた。

一回り以上も離れた子供たちとの生活はなかなか上手くやれていると思う。毎日テンションを上げてハイな青春ごっこをやることに疲れがないと言えば嘘になる。しかしその疲労も精神的なものが多く、身体はちゃんと11歳だった。20代後半よりも遥かに無理が利く。


今日は呪われたハロウィン。

と言ってもトロールの出番はなく、みんな穏やかに手作りランタンやコウモリの滑空を眺めてカボチャ料理に舌鼓。

クィレルはターバンも巻かず過剰な吃りもせず神経質さはあるがそれでも普通の野望みなぎる魔法使いで、今もマグル学を担当している。一方、闇の魔術に対する防衛術はなんとロックハートだ。


「平和だ……」


ド田舎そのものの星空を大広間の天井を介して観測する。風上からどんぶらこ、どんぶらこ、と流れてくる桃よりも悪質な雨雲を見るに、今夜の空は号泣を決め込んでいるようだ。

向かいの席でカボチャタルトとカボチャジュースを楽しんでいる癖っ毛の男の子は、命日だという感覚はないのだろうか。両親のこともその最期も覚えていないなら仕方ない反応かもしれない。そしてヴォルデモートと対峙しないこの世界で、彼が両親の最期を見ることもないのだろう。

それが良いことか悪いことかと悩みだせば、私の第二の人生までもが光より早く過ぎ去ってしまいかねない。比べようのないことには拘りすぎないのが得策。

この数百人が集まる大広間で今日という日を一番重くしているのは、十中八九セブルス・スネイプ。時折隣のクィレルと会話を挟みながら興味なさげに食事を進めている彼は、毎年この日をどう過ごしてきたのだろうか。


「リリーのそれは口癖だってことが2ヶ月も経てば分かるわね。あとスネイプばっかり見ることも」


パンッ、と目の前で両手のひらを打ち鳴らされ、ようやく職員席から目を離した。その手を辿れば着いたのは隣で呆れ顔をしている友人。ハーマイオニーはセブルス宛らの器用な眉使いで片方を上げ、「反論があるなら聞くわよ」と言わんばかり。


「スネイプもご飯食べるんだなぁ、って」

「そりゃ食べるよ。ゴーストじゃないんだからさ」


カボチャのタルトを取り分けておいて骨付きチキンを頬張りだしたロンが、正気を疑う、と視線を寄越した。

トロールの事件がなくとも彼らは仲良くなった。ロンが余計なことを言ったりハーマイオニーが塞ぎ込んだりはしたものの、輝かしい私の努力の賜物とロックハートの放ったピクシー妖精のお陰である。


「クィレルも災難だよな。あんなやつの隣に座らされるなんて」


あっという間にチキンを平らげて指に残った欠片を舐めとりながらロンが続けた。それを聞いていたハリーもハーマイオニーも異論はないようで、もっと言えば側のネビルまでもが苦笑している。顔をしかめているのは私だけ。

セブルスは顔がいいとは言えないし、性格もいいとは言えない(ある種の「いい性格」だとは言えるが)。でも何が良いのかと聞かれれば、三日三晩時間を頂くことになる。大広間に座る誰にも理解されずとも、好きなものは好き。それは本を読んで夢想していたときからで、実際に生きる彼を目の当たりにしても変わらなかった。


「クィレルが羨ましい」


あぁやって当たり前の顔をして隣に並べる関係は並大抵の努力では手に入らない。ぼんやりとまた職員席を眺め、セブルスの口へと消えるパンを追った。


「……、……リリー!」


不意に呼ばれ、脇腹をつつかれる。不満顔で犯人を見れば、ハーマイオニーは顎をグイッと動かし職員席へと促した。たった今まで眺めていたはずの場所ではにこやかなクィレルがこちらへ手を振っている。私が見つめていたのは隣の男だが、視線に気づいてくれたのは彼だった。隣に陰湿な色の不人気ナンバーワン教師がいるせいか、爽やかな好青年に見える。

同様に手を振り返した。

マグル学を教える彼は定期的に協力者を募集している。マグル生まれの魔法界が染み付いていない下級生限定で、年々変化するマグル界の生きた情報を集めることが目的。形式はスラグ・クラブに似ている。私はそれを利用して興味本位で近付いた。

ヴォルデモートなしの彼はとても気安い人物で、私の語るマグル界を楽しそうに聞いてくれる。彼は思想に賛同していたわけじゃない。力や承認欲求に抗えなかっただけ。四席離れて座る目立ちたがりのミスター・スマイルに比べれば、友人にしたいタイプ。神経質な彼からどう思われてるのかは分からなかったが、この分だとお気に入りの生徒リストには入れてもらえてそうだ。

クィレルが手を下ろし隣を向いた。

あぁ、また。何を話しているのだろう。ハーマイオニーたちの会話を話半分で聞き流しながら、セブルスを見ていた。

バチン、と火花が散りそうなほどしっかりと、その漆黒に射貫かれる。一瞬で逸らされる直前に鼻で嗤われた。クィレルが私を指差していたから私の話題なのだろう。

どんな内容であれ、頬が弛んでしまう。


「ハーマイオニー、君の友達だろ?何か言った方が良いんじゃないか?」

「あら、ロン。あなたの友達でもあるはずよ。自分で言ったら?」

「二人とも。放っといてあげようよ、幸せそうだし」




パーティを終え寮へ戻る子供たち(今は私も子供なのだが)の間をすり抜け、地下へと下りる。緑に交ざる赤一点に四方からチクチクと嫌味や嘲笑が纏わりついたが気にならなかった。ここで挫けていては嘲笑を得意技とする嫌味の親玉への扉は叩けない。


「何故君は用もなくここへ来る」


扉を開けてはくれた部屋の主は眉間を寄せていた。どう見ても歓迎ムードではないが、いつ来ても彼はこう。いつも歓迎されていないだけの可能性には無視をして、にっこりと親愛なるよき生徒の顔を作る。


「用はあります。明日提出の魔法薬学レポートを仕上げたいんです」

「我輩が手を貸すとでも?」

「質問もアドバイスも今は結構。本を貸してください」

「ここは図書室ではない」

「その図書室に良いのがないんです!ギリギリまで待ちましたが返却されなくって。ここなら誰にも貸し出されず魔法薬の専門書が選り取りみどり!お願いします!」


両手を合わせぎゅっと目を閉じた。彼のローブが石畳を擦る。はぁ、とため息まで聞こえた。


「専門書を理解できるとは思えん」


言葉とは裏腹に、目を開ければ視界にはセブルスの研究室が広がっていた。彼は私が通る分だけの隙間を開けて扉を支えてくれている。


「ありがとうございます!」


私は足取り軽く黒い背表紙の並ぶ本棚へと進み、ダンブルドアに貰った眼鏡をかけて吟味を始める。

レンズ越しの世界は私に英語を日本語として映してくれた。これを掛けていれば書いた文字も自動で英語に変えてくれる。自力でなんとかしたいところではあるが、1年と2ヶ月で独特な魔法界の単語までもを網羅するのは私には無理だった。この眼鏡に頼っていたせいでもあるが。

ついでに言うなら、会話はピアス型の魔法道具に力を借りている。難点は呪文の手助けはしてくれないこと。お陰で実践的な授業の成績は軒並み悪い。舌の動きだとか発音だとか、義務教育でギブアップした頭には厳しすぎた。

便利な好好爺っぷりが評判のダンブルドア。彼にかかれば何でもござれな物語を多く嗜んできたが、ここにいれば分かる。本当に彼は粗方のことを成し遂げて見せるのだ。その能力でヴォルデモートへの対抗もハリーにさせず自ら打ち込めば良かったのにと思ってしまうのは私だけだろうか。

でも、まぁ、ここにはもうそんな脅威は存在しないのだけど。




量が二倍になっただけでいつもの部屋と大して変わらない羽根ペンと紙擦れの音。仕事に一段落をつけたスネイプが顔を上げた。自身のいる事務机から少し離れた場所にはソファテーブルへ肘をついた前傾姿勢で羊皮紙と本を交互に覗き込むリリー。時計を見れば寮に戻っているべき時間は過ぎている。本来ならば自分で管理しろと小言の一つも言うところだが、歳のわりに続く集中力に免じて今日のところは見逃すことにした。


「時間だ。あと5分でここを出ていかなければグリフィンドールから点を引くことになるぞ」


そう言われてリリーはハッと時計を見る。随分集中してしまっていたらしい。一年生が出歩いて良い時間は大幅に過ぎているが、そこはお優しいスネイプ先生の温情か。恩情かもしれない。


「あと2分で終わります。気の利いた言い回しさえ思い付けば1分で」


何かヒントはないかと必死で分厚い専門書の文字を追う。そんなリリーの様子にスネイプは僅かに腰を上げた。長く書き連ねられたレポートの判読は叶わなかったが、彼女の覗き込む専門書の内容が頭に入ったのなら、なかなか興味深い人材かもしれない。


「理解できたのか?」

「いいえ。でもスネイプ先生の様子からして選んだ本に間違いはないと思いますし、レポートは分かってる風に書けましたから、楽しみにしててください」


顔を上げてニヤリと笑えば、セブルスはぎゅっと眉間を寄せていた。そして彼が杖を取り出すのをキョトンと眺める。


「アクシオ(来い)」

「あっ!」


眼鏡がひゅんと裏切った。手に飛び込んできた眼鏡を掴み容赦なくレンズに指を触れさせる彼は、眼鏡の世話になったことがない違いない。深い悲しみとレンズの恨みをもって彼を睨み付ければ、彼はニヤリと意地悪く笑っていた。その顔に許してしまいそうになるのだから惚れた弱味というのは存在する。


「これに頼らなければ何か言葉を思い付くかもしれん」

「そんな無茶苦茶な!」


抗議しても彼はどこ吹く風。新しいオモチャを手に入れた子供のように指先で眼鏡を弄ぶ。つつつ、と蔓をなぞりカーブの形を覚え込むように往復させていた。

2分どころか5分が過ぎた。残りはハーマイオニーに朝一で縋ることにして、今日は帰ろう。書いた覚えはないのに間違いなく私の文字だと分かる英語のレポートをくるくると巻き、借りた専門書は正しく元の位置に押し込んだ。


「今後は図書室から本が消える前に手を打つことだな」


本棚のついでに事務机へ立ち寄って、セブルスから眼鏡を受け取った。ローブへと仕舞う最中触れた蔓に熱を感じてしまう。


「善処しますが、折角の口実を無くしてしまうのは惜しいですね」

「何の口実だ。この部屋に何か仕掛ける気なら後悔させてやる」


ギラリと暗い目が光る。抉るように突き立てるその目から逸らすことなくリリーは笑みを浮かべた。


「授業以外でもスネイプ先生に会う口実ですよ」

「何だと?」

「お会いする前から大好きなんです。あー、つまり予言であなたを知った日からですが。言ってませんでした?」


全く照れずに言うのは流石に無理だったが、なんてことないようには言えただろう。一層深まった彼の疑心の眼差しが言葉を本心だと見抜いてくれることを願う。

大切な人と突然の別れをしたり、自分自身がトラックに跳ねられ一度死んだ経験をした人なら分かってもらえるかもしれない。言えるときに言いたいことを言っておかないと後で悔やむことになると。


「人を馬鹿にしているのか?」

「まさか!」


まぁ当然彼の反応はこうなる。心外だと、心を読んでみろと瞬きも我慢して見つめてみたが、セブルスは舌打ちをして自分から断ち切った。


「今後食事に集中しない場合は大広間から出ていけ」


脈絡のない話題ではあったが彼が私の内で何を見たのかは分かる。いつの記憶かは分からないくらい頻繁に彼に気を取られているが、恐らく今日のパーティでのことだろう。


「ちょうど10年ですね。ハリーは今日まで無事に成長し、ヴォルデモートは囚われの身。二人は喜んでくれているでしょうか?」

「さぁな」


お互いあっちこっちに話題を飛躍させながら、それでも会話は成り立っていた。口に出さないだけでセブルスからは「帰れ」と圧がかかる。


「1分間、黙祷しませんか?」


セブルスと向かい合う位置のまま姿勢を正し、思い付きを口にした。唐突で怪しいのは分かっているが、彼にはっきりとそう態度で示されると少しくらいは私も傷つく。不貞腐れた声で「黙祷」と言って、目を閉じた。


体感で長めの1分を計って目を開ける。

呆れて、でもポッター夫妻に捧げる静かな祈りを妨げることもなく、ただ私が満足するのを待ってくれているのだと思った。リリーに免じて。しかし黙祷を終えた先で見た目の前の男は目を閉じていて、同じくポッター夫妻の…いや、十中八九リリー一人と向き合っていた。


「何だ?」


そう発してからセブルスは目を開けた。見えていないはずなのに見抜かれていたことにドキリと心臓が跳ねる。


「一緒にしてくださるとは思わなくて」

「私の過去を知っているからといって、私を知った気になるな。自分を特別だとは思わんことだな」


すべてを隠す冷たい目。その出口のないトンネルめいた漆黒へ引き込まれる。

私は決して特別にはなれない。彼の忠告は『大好き』だと言った私への牽制。

一度死んで若返って本の世界へトリップした女が特別でないなら何を特別と表現するのだ。そうごねてみたい気もするが、減点と罰則のコンボは恐ろしい。それに彼は私が死んだことも実年齢も知らない。開心術で覗かれていなければだが。


「もちろんですよ。許されるギリギリで我慢してます」

「私の許すギリギリは踏み荒らされているが?」

「芝でも植えて整地しましょう」

「出ていけ」


彼の要求は至極簡単。ご丁寧に出口を指して、シッシッと手首を返される。大人しくそれに従って扉の前で振り返れば、彼の首元が少し緩められていた。


「もうお休みですか?」

「睡眠も取れば食事もする。ご存じないようならお伝えしておくが、我輩はただの人間だ」


彼は何気なく言ったのだろうが、その言葉がひどく私に響いた。心臓を締め付けられ歪みそうになる顔を扉へ向ける。「おやすみなさい」は背中越しに告げた。


彼は人間。

ロボットでもスーパーマンでもない。感情もあるし痛みも感じる。そんな彼の強さを、この先世間が知ることはない。世界をひっくり返してしまったことを後悔する気はないが、彼への評価が現状維持に終わることへは些かの不満がある。

とは言え、息づく勇敢さを覆い隠して余りあるほどのスリザリン贔屓と陰湿さと無頓着な人付き合いや外見と嫌味とスリザリン贔屓とハリーへの辛辣さと威圧感と皮肉とあとなんだっけ、そうそう、


「仏頂面!」


バンッ、と扉の向こうで殴り付けるような反論が返ってきた。面と向かって言ったわけでも名指ししたわけでもないのに反応があったということは自覚があるのだろう。

今更ニコニコしても生徒が気絶するだけだから、ここは現状維持で良いですよ。と心の中で呼び掛けて、減点を言い渡されないうちにと地下階段を駆け上がる。


平和だ……

それはとっても素晴らしいことに違いない








Main



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -