156 永遠に


遥か昔から野性生物の楽園として営みが繰り返されてきた深い森。ポツリと現れる小さな湖の側には小屋があった。そこに住み着いた変わり者が離れてもう何十年も経つ。

放置されたみすぼらしい小屋の戸が、断末魔のような軋みを上げて一人の男を吐き出した。出てきた男もまた小屋と同じかそれ以上の風体で、一張羅の黒のローブを引き摺りながら亡者さながらの歩み。新たな住人は、小屋から湖へ5メートルほど進んで足を止めた。

そこはよく陽の当たる美しい場所だった。風に撫でられた湖面がキラキラと輝く様と木々の囁きが心地よく耳を擽る。

男の前には荒く削られた人の頭ほどの石と、同じく荒く削られた文字があった。


『 リリー・エバンズ

すべてに愛される人 』


「おはよう、リリー」


男は彼女の前に膝をつき、まるで頭に触れるかのようにいとおしげに石を撫でた。そして髪に絡んだ葉を抜き取る仕草で、乗ったイチイを払い除ける。その男の手はひどく痩せこけ元々長い指が異様な長さに見えた。その手に合わせたかのように男の顔もまた痩けて青白い。虚ろな漆黒の目は彼女を見つめる瞬間にだけ、ジリと熱が灯る。

男は昨夜の風で周囲に落ちた葉を一枚一枚丁寧に拾い集めると、森へと返した。そして代わりに何本かの花を摘んで、時折吹く強い風によろめきながら、また彼女へと戻る。

向かい合って地面に座り、目を閉じた。

これが男の日課であり、生きる目的であり、唯一の慰め。誰も知らないこの場所で、一人眠る彼女のために。

太陽が真上を過ぎ、森の端にかかるまで、男はじっとそこを動かなかった。ローブが風にはためいても、長いべっとりとした黒髪が頬を叩こうとも、ピクリとも動かなかった。水を求めて来た生き物の気配がしても気に止めなかったし、生き物も石像のような男に見向きもしなかった。

やがて男がゆっくりと目を開ける。その瞳には、閉じた時とは違うものが映り込んでいた。彼女を挟んだ男の向かい、眠る彼女に寄り添うように、大きな黒い生き物が一体。骨に張り付いた皮を覆う毛はなく、目は濁った白。爬虫類のようでいて、コウモリのような翼に長い尾。セストラルは男が気付いたことを悟ると首をもたげた。


「テネブルスか?」


男はその生き物に問いかけた。しかし確信があるわけではなかった。ただ彼女を追ってくるセストラルがいるならば、それはテネブルス以外に考えられなかった。一番懐いているのだと、何年も前に彼女が言っていた。セストラルは肯定するように首を下げ、また彼女に寄り添う。


「そうか……君も彼女と共にいたかったんだな。勝手に連れ去ってしまって悪かった」


一瞬、男にはセストラルが銀白色に輝いたように見えた。男は目を見開き、そして細め、ぐしゃりと顔を歪ませる。痛々しく、苦しげで、泣いているかのような、けれど心は歓喜にうち震えている。そんな顔だった。

男はセストラルに手を伸ばした。下げられたままのその頭へ。セストラルは逃げることなく、むしろすり寄って、男の骨ばった指を受け入れた。しっとりとした皮を撫で、ゴツゴツとそのすぐ下にある骨を辿る。

ふいに、セストラルと目が合った。瞳のないその目では視線など分かるはずもないのだが、確かに男にはそう感じた。その瞬間、じんわりと温かい何かが流れ込む感覚がして、男はそのすべてを逃さないようにと、ローブの胸元をぎゅっと強く引き寄せる。


「君は、ずっと、そばに?」


呟くような声は震え、伏せた男の鉤鼻からは涙が滴っていた。セストラルは何も反応を返さなかったが、男は陽が沈んでからもしばらくは肩を震わせていた。




翌日、男は彼女の前に姿を現さなかった。

その翌日も。

またその翌日も。

自らの手で穴を掘り、墓石を削り、文字を刻んでからというもの、男は一日も欠かさず彼女の元へ訪れていた。風も、雨も、男の枷にはならなかった。


そんな男の姿が消えて数日が経ち、セストラルがピクリと鼻を震わせる。そして随分と長い間畳まれたままだった翼を広げ、澄み渡る大空へと羽ばたいた。


セストラルが再び墓石へ戻ったとき、その背には一人の男が跨がっていた。男は白髪混じりのとび色をふわりと浮かせ、セストラルから飛び降りる。顔を横切るように残る傷痕を掻くと、墓石の前にしゃがみ込んだ。悲しげに目を細めそこに刻まれた文字をなぞる。


「リリー……ここにいたんだね」


彼女の周りは綺麗に整えられていた。飾られた花は傷みの度合いが疎らで、毎日供えられていたことが窺える。しかし一番古いものは既に枯れてしまい、飾っておくには相応しくないものだった。


「セブルスは?」


男は立ち上がると、草臥れたローブを風に遊ばせたまま小屋へと向かった。とても人が住んでいるとは思えない小屋だった。ノックをしようと腕を振り上げ、悲しい想像を裏付ける臭いに気付く。男は懐から杖を取り出すと、鼻へと向けた。

踏み込んだ中は外観と同じくひどい有り様だった。自分ですらこんな場所には住んでいなかったと思いながら、いるはずの黒衣を探す。

それはすぐに見つかった。

お世辞にも美しい死に様とは言えない状態。しかしベッドの中で眠るように逝ったのであろうことは窺えた。

ワンルームの真ん中にポツリと置かれたテーブルの上には宛名のない封筒と開いたままのインク瓶、投げ出された羽根ペン。差出人は明らかだった。男は躊躇ったものの封もされていない封筒を開く。

入っていたのは死期を悟ったセブルスによるリリーへのラブレター。

ついに伝えられなかった思い。彼女と過ごした日々を、自分はどう感じていたのか。何枚もの便箋に渡って後悔と愛が書き綴られていた。




セブルスの葬儀は限られた近しい人間だけで執り行われた。晩年彼の過ごした小屋のそばで、セストラルと彼女に見守られながら。


「セブルス、この手紙はちゃんと自分で渡すんだよ」


とび色髪の男が他の者には存在も知られていない手紙を杖と共にそっと彼に握らせる。白い炎が棺を包み、セストラルが大空へと飛び立った。


『 セブルス・スネイプ

深い愛と共に生きた人 』


セブルスは愛する人の隣で永遠の眠りについた。


その日以降、その場所でセストラルが見かけられることはなくなった。


知る者の限られた二つの墓は、

今も花が途切れることはない。







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