162 おやすみ


ホグワーツに比べればリリーの家周辺の雪は高が知れている。その雪も徐々に緩み残すは道端の汚れた塊のみになった頃。リリーにはある悩みが出来ていた。些細ではあり、困るとも言い辛く、かといってこの先ずっと続くとなるとそれは避けたい、そんな悩み。


『君の隣で永い未来を生きていきたい』


時間を置いた今思い出しても照れてしまうセブルスの言葉。その言葉の通り、彼は私の隣にいる。話し合って一緒に暮らし始めた。

それは良い。

空にした祖父の部屋が少しずつセブルスの色に染まっていく様を見ているのはむしろ好ましい。向かい合って食事を摂り、他愛ない話をして、共に生活用品や食材を買いに出掛ける。絵に描いたような平和な暮らし。

それも良い。

いつまでも無職ではいられないので私はホグズミードにある薬問屋を手伝い始めた。ホグワーツの戦いで店主が亡くなり、人並み程度しか薬材料の知識がなかった奥さんは、店を閉め息子と二人細々と暮らしていた。そこに縁があり、協力して店を再開させた。

セブルスはと言うと、私が眠り続けていた間からずっと魔法薬調合の仕事をしていたらしい。魔法省や聖マンゴ病院から依頼を受けて、複雑な魔法薬を調合する。ホグワーツの戦い直後のバタバタしていた時期は散々扱き使われたと愚痴ていた。今は他の機関や個人からも依頼を受けている。

どうせならと、古書店だった一階をセブルスの仕事場へとリフォームした。本棚を減らし、薬品棚へ変え、大きなテーブルを並べる。必然的に私は家へ出入りする度にセブルスのテリトリーを犯すことになるのだが、彼曰く『それが最大の利点だ』。

満月前には脱狼薬の調合が忙しい。リーマスの協力で狼人間の人権改善にも取り組み始めた魔法省。そこにセブルスの調合手腕は必要不可欠だった。再び仕事仲間となった二人。私の期待以上に埋まっていく溝に、自分勝手な嫉妬がないと言えば嘘になる。

でもまぁ、それも良い。


問題は夜だ。と言っても大人の男女に起こり得るあれこれではない。そこに不満はない。セブルスがどう感じているかは別として。

悩みはそこに至るまでの、いや至らなくとも発生してしまう。




「セブルス、そろそろ寝ますね。おやすみなさい」


日付の変わる少し前、リリーは一階へ下りてスネイプに声をかける。取り決めずともこれを日課とする家族は多いだろう。彼はホグワーツの地下を思わせる薄暗い部屋の中央で、薬材料のリストを眺めながら別の羊皮紙へ羽根ペンを走らせている。グレーのナイトローブに身を包み、寝る仕度は整えながらも仕事を続けていた。


「待て、あと少しで切り上げる」


そう告げて、スネイプはピリオドを打ち終えた羽根ペンをまたインク瓶へと浸した。羊皮紙へ戻す前に寄り道をして、羽根先でカウンターを指す。「やっぱり」と短く息をついて、リリーは古びた丸椅子へと腰かけた。


「手伝いましょうか?」

「君はもう私の助手ではない」

「でも二人ですれば早く終わりますよ」

「あと1分で終える」


仕事をしているセブルスを見るのは好きだ。揺れる前髪を目障りだと掻き上げたり耳にかけたり、無駄のない動きも、人と接するより豊かになる表情も、時折横目で気にかけてくれるのも、恐いくらいに幸せを感じる。

それでも、


「待たせた」


机上に並べられたものたちが杖の一振りで決められた場所へと戻っていく。


「寝てしまって構わないんですか?休んではほしいですが……」

「残りは朝で良い」


スネイプがカウンターへと立ち寄って、リリーは誘われるままに付き従う。各々部屋はあるのだが、寝るのは決まってどちらかの部屋。先におやすみを言いに行った方の部屋になることが多い。

同じベッドに寝転んで、私はすっぽりと彼に包まれる。

これが、悩み。


「やっぱり何も無理に毎日一緒にベッドへ入らなくても」


抱きしめる腕が強くなり、言葉を奪われる。


「君が安眠できないなら仕方ない。だがそうではないだろう?」

「仕事の手も止めてしまいますし、あなたの邪魔になりたくないんです」

「君はまたそうやって私の気持ちを決めつけようとする。邪魔になるはずがあるまい」


セブルスが欠伸を噛み殺し、ふっと身体の力を抜いた。


「君に『おやすみ』と言われると、どうも眠くなってしまう」

「……おやすみなさい、セブルス」

「おやすみ、リリー」


二人の間から隙間を消してトク、トク、とスローペースな彼の生きる証を聞けば、私もまた、眠りへと落ちていく。




「――というわけで、どうしたものかと悩んでい、ます」


どういった話にも適材適所がある。しかしリリーが友人として真っ先に思い浮かべるのはルーピンだった。彼の得意分野ではなさそうだがトンクスや偶然居合わせたグレンジャーも巻き込んで、リリーはもどかしい悩みを打ち明けていた。

アポもなくルーピンの家の扉を叩いたのは30分前のこと。にこやかに迎え入れてくれた彼らも今は三者三様の表情をしていた。


「今の話に何か困ることってあった?」


トンクスはニヤニヤと面白がる笑みを浮かべ、同様に話を聞いていた二人に意見を促す。


「私が寝る前に終わらせたい用事をしていてもセブルスはずっと待っててくれて……疲れてるはずなのに休んでくれないのは困る」

「私……お二人の惚気話を聞くとは思いませんでした」


切実な悩みでもあるのだとリリーが訴えてみても、トンクスは頬杖をついて含み笑いのまま。グレンジャーが陰湿で堅物な男の教師時代を思い出し、複雑そうな顔で苦笑した。


「嫌ではないよ、確かに。初めは可愛いと思った――トンクスその顔やめて――でも必ず一緒にっていうのはやりすぎじゃないかって……」

「もっとハッキリ伝えた方が良いのかもね」


ルーピンはグレンジャーとはまた違った複雑そうな顔で、けれどトンクスと同じ面白がる雰囲気も出しつつ穏やかに微笑んでいた。


「そこは、頑張ってるつもり」

「分かった!捨てられた子犬みたいになるんだ!」


その時のことを思い出して苦笑いするリリーに、トンクスが机を叩いて授業の回答者のようにその手を上げた。


「当たり」

「私、分かるなぁ。リーマスが何か言ったときにそれを断れば、彼もそんな顔になるよ。それを見るとこっちが悪者みたいな気分になっちゃうんだよね」


カラカラと笑うトンクスに、まさか自分の話になるとは、とルーピンの顔に赤みが差した。友人と元教え子に目の前でバラされ、ボソボソと小声で抗議を上げる。面映ゆさを両手で覆うが、その隙間からはほんのりとした赤が覗いていた。クスクスと笑うリリーに対し、グレンジャーは顎に手を当て首を捻る。


「あの……」


控えめに手を上げて発言権を窺うグレンジャーに、リリーが笑みで続きを促す。


「エバンズさんが覚えていらっしゃるか分からないんですけど、えーっと……あー、ナギニに咬まれたとき……その……最後に言ったのは『おやすみ』でした。だから……」


自身の首に手を当てて、言いづらそうに周囲の顔色を窺い言葉を選ぶグレンジャー。すべてを言い終えないうちに、リリーがハッと息を呑む。


「半年前私が旅に出たときも最後は『おやすみ』だった」

「おやすみ恐怖症だ!」


パチンと指を鳴らしたトンクスに残りの三人が顔を見合わせる。


「私はセブルスの気が済むまで付き合ってあげたら良いと思うよ。私たちはテディが生まれて生活がガラリと変わったから」


立ち直ったルーピンが微笑む。話題に上ったことに気付いたのか、奥の部屋から元気な泣き声が響いてきた。トンクスとルーピンは顔を見合せ夫婦のアイコンタクトを交わすと、ルーピンが席を立った。


「エバンズさん、子供が?」


早とちりしたグレンジャーが口に手を当てリリーの腹部を見つめていた。


「違う違う、できてないよ。セブルスは子供が苦手だし、どうかな。それにそもそも結婚したわけでもない。一緒にいたいとは思うけど、その形まではまだ深く話せてないから」


新たな幸せを噛み締めることで精一杯だった。子供も結婚も目の前で繰り広げられる幸せな家庭を見れば頭を過らない方が不自然。しかしどうしたいかと問われると困ってしまう。私には拘りがない。そして恐らくセブルスにも。


「私、リリーのウェディングドレス姿すっごく楽しみにしてるのに!」

「それはグレンジャーに期待した方が良いだろうね」




結局悩みは解決できずに帰ることになった。日暮れにはまだ早い住宅地を花を咲かせた話題を思い返しながら歩く。グレンジャーとウィーズリーの仲についても語り合いとても楽しくは過ごしたが、悩みが一つ増えた気分だった。

世の恋人たちはどういう手順で関係を変化させていくものなのだろう。決してねだるわけではなく、ただ少し彼の考えを覗いてみるにはどう切り出せばいいのか。

私たちには私たちのペースがある。

でもそれは、一体どんなスピードなのだろう。


「ただいま」

「おかえり」


玄関を開けてすぐセブルスが出迎えてくれた。角の二人掛けソファに座り、広げかけた夕刊予言者新聞を畳み直すと、指先でトントンと隣を叩く。私は真新しい黒皮へ身体を沈めた。


「仕事は終わりですか?」

「あぁ。明日は君との時間を作ると言っただろう。仕事の調節くらいできる」


一緒に暮らし始めてからは忙しく、二人揃って丸一日時間を取れるのはこれが初めてだった。


「行き先は決めたか?」

「それなんですが……」


リリーはスネイプの太ももへ手を置き、至近距離で彼を見上げた。


「ゴドリックの谷へ行きませんか?一度きちんとエバンズのお墓参りをしたいんです。承諾してくださるなら、セブルスと共に」

「……分かった。私も初めて行く」

「ありがとうございます」

「何の礼だ」


真っ直ぐ前を向くスネイプの肩に、そっとリリーが頭を乗せた。彼からも身を寄せる気配がして、自然と手を握り合う。

お墓にエバンズのゴーストがいるわけじゃない。そこにあるのは積み重なった生者の思いの欠片のみ。

それでも、エバンズがいなければ今の私たちはいない。

セブルスは今、何を思っているのだろう。私の我儘に付き合ってくれる彼の心中を窺えたら、私は何と声を掛けるだろう。

私はただ繋いだ手に力を込めた。







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