160 本


セブルスへ打ち明けることはリーマスたち以上に勇気を必要とした。どちらを軽んじているわけでも、もちろん信頼の違いでもない。


リーマスたちに打ち明けてから日を置いて、私はスピナーズ・エンドのセブルスの家を訪ねた。ここへ来るのは初めて。しかし私は《知っている》。間もなく夕暮れを迎える空に重なり遠くに聳える煙突も、重苦しい町の空気も。

目的地へ辿り着き、深呼吸をひとつしてから扉を叩く。薄く開いた扉から外を窺う男は黒髪のカーテンの隙間から漆黒の瞳を覗かせていた。不健康そうな顔色はいつものこと。しかしその服装は僅かばかりラフさを感じさせる灰黒色だった。


「セブルス、あの――」

「中へ」


リリーが用件を告げる前にセブルスは彼女を招き入れた。一人掛のソファを指すと何も言わずに隠し扉の奥へと消える。

一人居間に残され、不躾ながらも部屋を見回した。玄関のない造り、壁を埋める暗い背表紙の本、部屋の中央へ寄せられた家具。やはり初めて来た気はしない。




数分経って戻ってきたスネイプは古い銀メッキのトレイにティーセットを乗せていた。


「それで?話があるのだろう?前置きはいい。本題から入れ」


ぐらつくテーブルにトレイを置いて、スネイプは古い肘掛け椅子へ座った。カップに深紅が注がれると芳醇な香りが部屋へと広がる。しかしリリーには繊細な味を感じ取ることができなかった。口を湿らせるだけに留め覚悟を決める。


「ホグワーツにいた6年間、私がお伝えしなかったすべてを聞いていただきに参りました」

「ダンブルドアとの間にあったものだな。君の行っていたものが、ようやく分かると」

「はい。すべては1991年の夏に始まります。生き残った男の子、ハリー・ポッターが入学した年です――」




話したのはこれで二度目。幾分か流暢な語り口で、上手く説明できたとは思う。リーマスたちには伝えなかったことも、セブルスにはすべてを打ち明けた。

突然現れそして消えた予言の《本》、予言を歪める自分の存在、それを公表しなかった理由、ヴォルデモートの復活、知りながらも見捨てた命、救えた命、セブルスが辿るはずだった予言、初めから知っていたリリーへの想い、過去、忠誠、贖罪――。

彼も口を挟むことはなかった。時折何か言いたげに唇を薄く開いては、ぎゅっと引き結ぶ。眉間は最大限に寄せられていた。


「これが、すべてです」

「俄には信じ難い……」


紅茶は初めの一口以降減らずに冷めてしまった。会話の間を時計の秒針が埋める。


「お察しします。ダンブルドアへ相談するまで、私は1年間様子を見ましたから」


彼は顎に手をやり思案顔で宙を見つめていた。


「もしかしたらダンブルドアの肖像画から話が聞けるかもしれません。あとは、この手帳くらい」


リリーは唯一箱に残っていた黒い手帳をスネイプへ渡した。6年間使われたその手帳には彼女の辿ってきた軌跡の一部が書かれている。彼は一ページ一ページを注意深く確認しながら捲った。打ち消し線のない男の名前で手を止めると、臭いものを突き付けられたように顔をしかめる。


「君は本当にすべてを――」

「知っていました。初めから、すべて。知っていて、多くの犠牲に目を瞑ったのです」

「危うく君もその犠牲になるところだった!知っていたなら何故自分からダンブルドアへ杖を向けた?私にさせておけば良かっただろう!逃げることだってできた!」

「言ったはずです『すべてを投げ打ってでも愛するあなたに生きていてほしい』と!」


セブルスはまた雷に打たれたような顔をした。初めて告げた日と同じ。彼は矢先を折られたように浮かしかけた身体を戻し、肘掛けに寄り掛かる。私は彼の表情の意味を《知っている》。

彼もまた、過去に同じことをした。


「闇を討ち滅ぼすためには予言通りに進めるのが一番でした。私は逃げたくなかったし、あなたにも死んでほしくなかった!セブルスには分かるはずです、私の気持ちが。……あなたも、エバンズに対して同じ思いだから」


リリーは気持ちを奮い立たせるため、ぐっと口角を上げた。無理矢理の痛々しい笑み。しかしそれもすぐに消えてしまう。


「打ち明けてもいないあなたの過去をずっと知っていながら、私はそれを隠していました。申し訳ありません」


癖付いたようにリリーが左手の指輪へ触れる。


「セブルスがずっと、私が長い眠りから覚めたあとは一層、気にかけてくださっているのは分かります。幸せな日々でした。

ですがもう私のことは忘れてください。

説明した通り私はすべてを知った上で自分本位に歩む道を選んできました。私はあなたが思う以上に穢れた人間です」


リリーは両手を広げ透明の血液で染まった身体を晒したが、スネイプは碌に見ようともしなかった。ただ黙って動かずテーブルの角によほど面白い何かがあるかのように見つめるだけ。


「それに、私はズルい女です」


ピクリとスネイプの指先が跳ねた。


「エバンズが息子に守りを与えたように、私も母から貰ったものがあります。《祝福》か《呪い》か……私にはあらゆる生き物を惹き付けやすい魔法がかけられています。

もしセブルスに心当たりがあるのなら、それは間違いなくこの影響。気を付けてください。惑わされないように」


一方的に話を終えて、リリーが立ち上がる。スネイプは僅かに顔を上げたものの、話す素振りはなかった。


これでいい


言い終えて、臆病な私からは決めた覚悟が溶け出していた。私たちの間にたゆたうものだけじゃない。私は彼が救おうとした多くを、知りながらも見捨てた。その事実が彼に染み込んでしまう前に立ち去ってしまいたかった。行いすべてを肯定されたいとは思わない。ただ彼からの否定を、軽蔑を、ここでじっと座って待つことなどできなかった。




「帰ります。長々とすみませんでした。おやすみなさい、セブルス」


そう言って闇夜を帰るリリーの背を、スネイプは肘掛け椅子に縛り付けられたまま見送った。言葉は出なかった。

信用してはみても、ずっと引っ掛かっていた彼女の秘密。それがようやく明らかにされた。些事であるはずがなかった。しかし大きすぎた。自分の隠し通そうとした秘密など些末なものに過ぎない。


私を含めた途方もない予言を、彼女は一人で……


この膨大な規模の予言は聞いたことがない。しかし彼女の戦った6年を思い返してみれば、自ずと真偽は見えてくる。今更嘘をつく理由もない。校長室の肖像画へ確認を取るまでもなかった。

彼女の言動に対するすべての答え。得た喜びなど湧き起こるはずもない。彼女とのあらゆるやり取りが、表情が、思いが、次々と頭の中を流れていく。

一体いつからだろうか。いや、明確な境界は存在しない。少しずつ、少しずつ、私の中にリリーが染み込んでいった。リリーのために捧げる人生の中で、ただ闇雲に生き後ろを振り返ってばかりの私に、リリーは先導するランタンのように私を照らしてくれていた。

それが終わった今、私の中に残るもの。

リリーへの思いは恐らくこの先も消えはしない。しかしリリーへのものとはまた違う思い。それはリリーに魅惑の魔法がかけられているからではないと胸を張れる。


大切に思う人間は一人でなければならないと、

誰が決めた?


「エクスペクト・パトローナム(守護霊よ来たれ)」


飛び出したのは銀白色に輝く牝鹿。呪文を使えるようになってから、この形以外をとったことがない。奥底にある本質が現れる守護霊。私の人生はリリーなくして語れないし、彼女がいなければ今の私は存在しない。

しかし


牝鹿を喚び出すための幸福は

なかったかもしれない私の未来には――


『私のことは忘れてください』


「馬鹿者。本当にそう願うのなら、忘却術のひとつでもかけていけ」






リリーの秘密を知ってから、スネイプはたっぷり3日、時間を置いた。昨日の今日で訪ねたところで上手く伝えられるとは思わなかった。

二人には似たところがある。抱え込むことが得意で、頑固、そして愛し方も。

年月をかけじわじわと蓄積されてきた思いが3日で薄れるはずがない。

様々な表情を見せた彼女への評価が、かけられた魔法ひとつでなくなるはずはない。

彼女の真の後悔を私が非難できるはずもない。




その日は生憎の雨だった。晴れていれば陽は高い位置に見えるはずだが、今日はイギリス中が陰鬱な雲に覆われているのではと思うほど一面の曇天。

スネイプは家から出ることなく姿くらましをして、リリーの家があるマグル街の路地へと現れた。風に浮くフードを目深に引き、何度か通った彼女への道を足早に進む。パシャンとローブの裾が泥跳ねで汚れようと気にする潔癖さは持ち合わせていない。

数十メートル先にリリーの家が見え、スネイプは足を止めた。


どうも様子がおかしい


近隣は灯りの漏れる窓が多いが彼女の家はどの窓からも人の気配を感じない。それどころか一階はカーテンも引かれていない。留守なら出直せば良いだけのこと。しかし「忠誠の術」で隠されたはずの家はその素振りを見せようとはしなかった。

雨が執拗に叩きつける窓。玄関扉から少し離れたそこからは整然と本棚に並ぶ数多の古書が望めるはず。


「どういうことだ……」


彼女が祖父から受け継いだその店に、本は一冊も残されていなかった。

ゾワリ、とスネイプの背を冷や汗が伝う。

今更些細な罪が一つ二つ増えたところで現状は悪くなりようがない。スネイプは玄関扉に開錠呪文を唱えて中へと踏み込んだ。

一階、キッチン、泊まった部屋、そして彼女の部屋。生活感というものがすべて泡となり消え去っていた。少し留守にしているわけではない。そう確信できてしまう。


「リリー……」


呟いた名に虚しさだけが返る。

必要に応じて呼んだだけだというのに、振り返った彼女は何がそんなに嬉しいのか私に向けるには似気ない笑顔を咲かせた。


『セブルス』


噛み締めるように呼ぶ彼女の声。個体を識別する番号代わりでしかなかった自分の名も、彼女に呼ばれれば再び意味を持った。


今は記憶の中にだけ

私は、また……







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