159 友


退院して数日。私とワシミミズク二羽は穏やかながら忙しい日々を過ごした。蜘蛛の巣を落とし埃を消し家を住める状態へと戻していく。

キャビネットから飛び出したボガートは姿を私自身へと変えた。血濡れの人狼や血溜まりに沈む最愛の人に比べれば何てことない。私は「リディクラス(ばかばかしい)!」と自分をピエロに変えてやった。






珍しく雲の多い日だった。夏の日差しを遮ってくれることには感謝しつつ、それでもどことなく憂鬱な気分にさせる雲はそれが雨を含んでいなくともジメジメとした雰囲気を作る。

磨き上げられたキッチンで一人朝食を摂り、一階のかつて古書店だった部屋でふくろうたちの様子を確認すると、私は祖父の部屋へと入った。

ようやく、片付ける決心がついた。

掃除だけは先に終えたこの部屋を、今日は空っぽにしてしまう。祖父の背に合わせて作ったテーブルへ杖を置き、キャビネットを開いた。

一つ、二つ、思い出に浸り過ぎないように気を付けながら、マグル式で物を分けていく。

いる、いらない、いらない、いらない。リーマスに貸したこともあるローブ。とても似合っていて、祖父と歩いている気になってしまったのを覚えている。

いらない、いる、いらない、いる。アルバムだ。久しぶりに見た母はやはり美しい人だった。しっかり目に焼き付けておけば夢でも母は笑ってくれるだろうか。悪夢以外で母に会いたい。それに比べ、残されたあとの私の不細工なこと。にこりともしないのに、祖父はこうして写真を残してくれていた。


「エバンズ……」


監督生と首席の集合写真だった。一番眩しい笑顔がリリー・エバンズ。恋敵にもさせてもらえなかった人。ジェームズ・ポッターやリーマスもいた。ジェームズはハリーそっくり、いや、ハリーがジェームズそっくりと言うべきか。今のリーマスはこのときの面影を随分と残しているのに、家を訪ね再会した日は少しも思い出せなかった。

いらない、いらない……いる。フェリックス・フェリシスの小瓶。授業でのご褒美にスラグホーン教授に頂いたものだ。私の送ったそのままで出てきた。瓶を擦って汚れを落とせば少しの劣化もなく金色が輝き始める。使えば商売に利用できただろうに、取っておいたのはきっと私のため。


整理は大して時間が掛からなかった。時間や人といった無形のものを大切にしていた祖父。元々物を多く持つ人ではなかった。その数少ない遺品の中に私に関するものがいくつもあり、自分がどれだけ大切に思われていたかがよく分かる。




一つ終われば次の一つ。

私は一度だけ訪れたことのあるリーマスの家に来ていた。木々の生い茂る森の中、ポツリと建つ一軒家。以前訪れたときはハグリッドの小屋のような出で立ちだった。しかし今目の前にあるものは違う。何かを大きく変えたわけではないのに、そこにあるのは立派な木造のコテージだった。余分な蔓を切り落とし、苔の趣は残して蜘蛛の巣などの除去はきちんと行き届いている。

ここにリーマスはトンクスと共に暮らしているらしい。


約束の時間になり、トントントンと懐かしい玄関扉を叩く。ギィ、と重苦しい悲鳴を上げて開かれた中から顔を覗かせたのは、音とは正反対のくしゃりとした人を笑み。ホッと身体の緊張が抜けた。


「リーマス、時間を作ってくれてありがとう」

「こっちこそありがとう。ドーラは働き詰めでね。お腹には子供がいるのに、どうせ事務仕事ばかり回されてるからとなかなか休んでくれないんだ。今日は君が来るからってやっと休みを取ってくれた」


ごく自然に握手を交わし、お互いに少し探り合う間を取ってから、友人のハグを交わした。通されたリビングは玄関と一続きになっており、記憶にある内装と大体同じ。花瓶に生けられた花や棚に伏せられたペアのマグカップは幸せな新婚生活を思わせた。


「そのトンクスは?」

「慌ててお茶菓子を買いに行ってるよ」

「持ってきたのに、チョコレート」

「そのチョコレート以外を出そうと思って、ドーラは私を買い出し役にはしてくれなかった」


肩を竦めるルーピンにリリーが声を上げて笑う。「待たなくていいから」と紅茶を淹れたルーピンと向かい合い、ダイニングテーブルにはリリーの手土産を並べた。

ちょっとしたぎこちなさはすぐに解れた。無理矢理大人の振りをしたわけではなく、水に流したと言うよりは、踏み固めたが近い。ルーピンのリリーへの気持ちは友情へ昇華されていた。

トンクスと進展したきっかけに自身が関与していると聞きリリーは大層驚いたが、詳細を聞き出せないままトンクスが帰宅した。




「じゃあ、本題から入るよ」


淹れ直された紅茶三つとチョコレートにスコーンは和やかなティータイムの装い。しかしリリーの作り出す緊張感を伴う空気にルーピンとトンクスは隣に座る互いを見合わせ小首を傾げた。


「今日ここへ来たのは、聞いてほしい話があったから。何故私はダンブルドアの庇護下にいて、騎士団へ入らず、魔法省へは姿を変えて現れ、都合よくフェリックス・フェリシスを煎じていたのか」


ルーピンの顔つきが固く変わる。トンクスは話を呑み込みきれていない様子を見せたが、夫の変化に口を挟もうとはしなかった。


「それは突然現れた本が発端だった――」


私はゆっくりと時間をかけて説明した。予言が示していたこと、ダンブルドアだけが知っていたこと、私の罪。そして時には頼り、周囲を振り回してしまった《呪い》についても。しかしすべてを打ち明けたわけではない。困惑を深めながらも聞き続けてくれる二人に、あなたたちは予言の中で亡くなっていた、などと言えるはずがなかった。

陽が落ちると共にリリーの奮闘した六年間は語り終わる。枝葉に隠され常に薄暗い立地ではあったが今日は雲がそれに拍車をかけていた。家から漏れる光だけが森へ筋を作って降り注ぐ。オレンジの室内灯が三者三様の青白さを誤魔化していた。


「その本は今どこに?」


ルーピンは一言では表せない複雑な面持ちをしていた。チョコレートの存在など忘れてテーブルに両肘を乗せ、指先を組み替える。


「消えた。だから証明できるものは何もない」


ルーピンもトンクスも言葉が見つからなかった。ただうっすらと開いたままの唇から息を吐き出すことと吸い込むことだけを繰り返す。最低限の生命活動だけを残し他のすべてを話を受け止めることに費やしていた。


「私はリーマスを信じたわけじゃなかった。ただリーマスを《知ってた》だけ。二人が惹かれ合うことも、トンクスのお父様が亡くなることも、ヴォルデモートが復活することも、全部……」


追い討ちをかけるようにリリーが語る。

責められて当然なのだ。むしろそうあるべき。それでも二人は口を噤んだまま。リーマスは眉間にシワを作り、トンクスはそわそわと落ち着いていられないような仕草を見せた。


「ごめんなさい……私、帰るよ」


数多の呪文や魔法薬にはある理論が欠けた突拍子もない話だった。実際に《本》を目にした私でさえ受け入れるまでに1年間も費やしている。

紅茶とお茶菓子への礼を言って席を立った。


「「待って!」」


引き止めたのは、二人。同時に声を上げテーブルに手を付き身体を浮かせていた。シンクロした言動に顔を見合わせその心までもが同じかを確かめる。


「座って、リリー」


トンクスがテーブルを回り込み躊躇うリリーの肩に触れる。そのまま座り直したルーピンと視線で会話しリリーを優しく椅子へ導くと、彼女は隣の椅子へと座った。包むように取ったリリーの指先は氷水に浸けたようだった。


「難しいことは今からリーマスが言ってくれると思うんだけどさ、私は……んー……」


トンクスがにこりと笑う。


「頑張ったね、リリー」


ポトリと、柔らかくとても温かいものがリリーの心へ滴下した。その生命の一滴はじわりじわりと広がっていく。


「十分頑張った。父さんを守れなかったことは、私も自分を責めたよ。でもあのときの精一杯を私はしたし、リリーもした。頑張った事実は消えないんだ」


トンクスがリリーの肩を引き寄せぎゅっと抱きしめる。リリーは疲れきった心に春が芽吹く温もりを感じた。目を固く閉じ唇を噛みしめて、泣く権利などないと叱咤する。


「私も難しいことは言わないよ。リリーの抱えていたものがこんなにも大きかったなんて、思いもしなかった。今思えば納得できる部分もたくさんある。シリウスを救いたかったことも、あの時以上に感じるよ。もう一人で背負う必要はない」

「背負うも何も、その予言の本?は消えたんでしょ?ならリリーは自由だよ。違う?」

「ドーラ……」


たしなめるリーマスの声。目を開ければ広がる温かな空間。和やかなテンポの会話を続けてくれる二人に感謝して、私は控えめに笑みを作る。


「きっかけが何だろうと、私はリリーを親友だと思ってる」

「私を仲間外れにしないでくれる?」

「でもその気持ちは――」

「私のものだし、ドーラのもの」


もう我慢できなかった。私は年甲斐もなく声を上げて泣きじゃくった。拭っても拭っても溢れる思い。長い眠りから目覚めて数日、泣いてばかりいたのにまだまだ枯れることがない。タオルを差し出され背を撫でられれば、一層溢れてきた。


「フラーに相談するっていうのは?彼女、ヴィーラの血が入ってるんでしょ?」

「私はおすすめしないな。捉え方がたぶん、二人は違いすぎる」


私が泣き止むのを待つ間、二人はまた他愛ないやり取りをしていた。

《本》は消え、《呪い》は残り、役目は終え、友が残った。


私にはもう一人、この秘密を打ち明けるべき人がいる。







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