154 ホグワーツの戦い


フェリックス・フェリシスの幸運なしにヴォルデモートの前に立つのは初めてだった。しかも彼は分霊箱の存在をポッターに気付かれた挙げ句知らぬ間に破壊されている事実を知ったばかり。重ねて私たちはそのポッターにホグワーツを追い出されたも同然。


となれば、命があるだけ良いと考えるしかない。

私は初めてこの身に磔の呪文を受け、セブルスが苦しみもがく姿も見た。それでもヴォルデモートはセブルスに死喰い人たちの指揮の一端を担わせた。

ヴォルデモートが抵抗勢力へ向けた要求は至極簡潔。


『真夜中までにハリー・ポッターを差し出せ』


しかしその要求が呑まれることはなかった。




「アクロマンチュラの巣はこの先です。彼らは言葉を理解しますが対話を試みるのは愚かなこと。自分を餌に城まで誘き出す方が手っ取り早い」


城への猛攻も禁じられた森深くまでは届いてきていない。リリーが右斜め前を指すと背後についていた仮面の男が二人離れて行った。そしてまた彼女は歩き始める。背後にはあと二人、フード姿の死喰い人がついていた。

これが私に下されたヴォルデモートの指示。禁じられた森に潜む生き物たちをホグワーツ城へとけしかける。森に詳しく幾種かの生き物たちとは友好的な関係を築いている私が抜擢されたのは偶然ではないだろう。


『我々は各々の任務を遂行するため、お互いをも利用する』


ヴォルデモートに私の情報を流したのは間違いなくセブルスだ。だからどうということはない。それは当然の選択だった。

最後までそばにいるつもりだったのに、碌に話しもできぬまま、セブルスとは離されてしまった。数人の死喰い人を宛がわれたのは誤算だが、すべてが思い通りにいくならこんなに苦労はしてきていない。


すべての死喰い人に役割を振り分けようやく一人になれた頃、痛々しい面持ちでルシウス・マルフォイが姿を現した。


「闇の帝王がお呼びだ。すぐに叫びの屋敷へ」


治すことを許されなかった口元の傷が話す度に痛むらしく、彼は頻りに顔をしかめた。しかし気もそぞろな様子は傷ばかりが原因ではないのだろう。


「伝達をありがとうございます。……ご子息が心配ですか?」


今まさに魔法界の頂点に立とうとしている闇の化身を待たせているというのに、リリーは悠長に話し始めた。マルフォイは怪訝に小首を傾げたが、周囲に人気がないことを確かめると口を開く。


「他のスリザリン生と共に城を捨て、こちらに戻ると思っていた。ナルシッサはひどい取り乱し様だ」


目の前にその時が再現されているかのように、マルフォイは虚空を見つめ目を細めた。


「彼は独自にポッターを追っていると耳にしました。それが叶うかは分かりませんが、どちらにせよ彼は必ず戻ります。ご家族との愛を、大切にしてください」

「言われずとも」


そう言って、マルフォイは去っていった。

リリーは深呼吸を繰り返す。どれだけヴォルデモートを待たせていようとどうでも良かった。彼の機嫌を損ねようと喜ばせようと、どうせこの先は決まっている。


最後に一目、セブルスを見たい




ヴォルデモートが死喰い人全体へ姿を晒した最後の場所に、スネイプはいた。木々の間からホグワーツ城を望める拓けた場所で、城中を駆けることも許されずに時折来る報告を聞いては指示を出す。

リリーは彼に気付かれないようイチイの影からその後ろ姿を見ていた。黒のマントが風を受け大きく広がる。大空へ舞い上がるタイミングを計り羽ばたきだけを繰り返しているようだった。


彼の分のフェリックス・フェリシスは用意していない。自己犠牲で贖罪に生きる彼にとっての幸運が一体何か。彼は生きる意思を見せたが、それでも恐かった。身を捧げて何かをもたらしたいと思ったら。それが彼にとっての幸運だったら、と。

最後の最後で私は彼を信じることができない。


その代わり、私はこの身をもってセブルスの生を延ばす


抱きしめて、キスをして、名前を呼んで、呼んでもらって。これで最後なのだ。目一杯彼を感じたい。でも愛する人はとても聡明で、観察眼も鋭い。バレるわけにはいかなかった。この瞬間のために私は生きたのだから。


「エクスペクト・パトローナム(守護霊よ来たれ)」


彼が一人になった瞬間を見計らってリリーが唱えた。飛び出した銀白色のセストラルがしなやかに彼の前へと着地する。


『ナギニは魔法で守られています』


これで彼は次の行動を定められる。ポッターを探し彼の運命を伝えるため策を練ることができる。

リリーは姿をくらました。




心を閉ざして現れたのは叫びの屋敷。バチンと大きな音は随分と待たせた男にも聞こえているだろう。その不吉な姿を探し階段を下って、それと分かる扉をノックした。


「リリー・エバンズです」

「入れ」


彼の機嫌は如何様なのか、神経を逆撫でする奇妙に高い声だった。


「お呼びでしょうか、我が君」


予言通り煌めく球体に守られた大蛇を横目に、リリーはテーブルのそばに立つヴォルデモートの足元へ跪いた。恭しく彼のローブの裾へキスをして、少し離れて立ち上がる。青白い指でニワトコの杖を弄る彼の頭ほどの高さで球体が妖しく回っていた。


「おまえは非常によくやっている」

「ありがとうございます。間もなく抵抗勢力も崩れる頃でしょう」

「おまえの父も優秀な男ではあったが、おまえほどの働きは見せられなかった」


『おまえの父も』


リリーは反芻した。繰り返しなぞることでじわりじわりと言葉が染み込むのを待った。歩き始めたヴォルデモートを首で追いながら、喉に貼り付いた言葉を剥がそうと渇いた口で空気をゴクリと呑み込んだ。


「っわ、たしの、父を……?」

「その目を見るまではそんな男がいたことも忘れておったわ」


『二人を頼みます。私は私の進む道を見つけてしまいました。彼と一緒ならば、私は未来に希望が持てる』


リリーは父が祖父へ宛てた手紙の文面を思い出した。

私と母のためだと言って、私と母から離れた父。支持する者を見つけ『彼』を支えるべくすべてを捧げた。


その『彼』が、まさか


「父は、父は今どこに?」

「死んだ。何十年も前のことだ」


サッと気温が下がった。中身の減ったチューブのように全身を巡るべき血液がぎゅっと足元へ押しやられる感覚。ふらついた足元を半歩下げることでなんとか踏み留まった。

生きていると期待したわけではない。しかし父と行動を共にしていた人物からはっきりと最期を訃げられてしまうのは、望みすべてを断ち切られるに等しい。


「父娘で同じ運命を辿ろうとは不思議なものよ」


ヴォルデモートはニワトコの杖を長い指でなぞり、リリーを見据えた。


「我が君――」

「ニワトコの杖、宿命の杖、死の杖――つまり、これだが――俺様は伝説の杖の正当な所有者となるべくアルバス・ダンブルドアの墓からこれを奪った」


リリーは刻一刻と時間が迫って来ているのを感じた。父の死に動揺した瞬間を頭から吹き飛ばすほどの心拍。死の足音がもうすぐそこに。


「しかしこの杖は真の力を示そうとしない。何故か?」

「私には、さっぱり……」


リリーはグッと右手の杖を強く握りしめ、左手では黒曜の輝く指輪を少しでも感じられるように指を密着させた。しかし腕が上がることはない。浅い呼吸で耐えなければならない痛みへの覚悟を作っていく。


「俺様は考えに考え抜いた。そして答えに行き着いた。おまえは賢い女だ。察しはついているな?」

「いえ……」

「それは真の持ち主になれていないからだ。ニワトコの杖は最後の持ち主を殺した魔法使いに従う。ポリジュース薬でセブルスと入れ代わり、おまえはアルバス・ダンブルドアを殺した。杖を真に俺様のものとすることは、リリー、おまえが生きている限り不可能なのだ」


フッと、リリーの視界の端で何かが動く気配がした。ヴォルデモートの死角にある古い木箱。その向こうにある隠し通路は彼女自身使ったことがある。

咄嗟にリリーは手首から先だけを細かく動かし無言で全身金縛り呪文を放った。本当に何かが動いたのか、動いたのが聞き耳を立てるポッターか、考える前には動いていた。万が一にでも今ここでポッターに何かあってはいけない。確実にセブルスが役目を果たし、ポッターが自分の運命を受け入れてからでなければ。


私のように


「杖を制し、ポッターを制せば、おまえの父親が望んだ世界となろう。父娘共々俺様の役に立てる」


父を引き合いに出すことで私が無抵抗のまま討たれることを期待しているのだろうか。彼にとって親子の情など利用するものでしかない。恐怖でマルフォイ家を操るように、私をもそうしようとしている。


滑稽で、憐れな男


もし彼が家族に恵まれ育っていたら、何か変わったのだろうか。いや、同情はすまい。境遇が大きな一因であろうとそれはすべてではないのだから。私たちは選択を繰り返しながら生きてきた。

今にも内から飛び出ようとしていた心臓が、不思議と自分の居場所を受け入れていく。


彼が何を言おうと、私は既に覚悟を終えていた


死の直前というのは愛する人物を思い浮かべるものと相場が決まっているらしい。エバンズはハリーを、ハリーはジニーを、私はセブルスを。


かさついた彼の薄い唇

私に触れるしなやかで長い指

心地のいい低く甘い声


ニワトコの杖が空を切る。


リリーの胸部から上が大蛇の這う丸い檻の中へと取り込まれた。







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