153 5月1日


「必要の部屋」に籠ってからの10日間は想像よりもずっと快適で充実していた。

生徒はどんどん増え今や二十人近い。その度に部屋は広がりハンモックは増え風呂が現れトイレも増えた。外との連絡役として籠らない生徒もいるためダンブルドア軍団の総数としては二十人を越えている。

部屋一つが新たな寮のよう。小さな諍いはあるものの、目指す未来を一致させた彼らの団結力は固い。




今日は薄雲の広がる穏やかな日だった。少なくとも今朝一日分の食料をアバーフォースから受け取ったときにはそうだった。

彼は私を見ても何も言わない。初日に自己紹介をして以降、事務的な会話ばかりだった。偉大な彼の兄から何か聞いているのかもしれないし、いないかもしれない。話したがる理由よりは避ける理由の方がいくつも思い至る。私も彼に影響を与えまいと関わりすぎることを控えた。


その必要性を考えれば闇の魔術に対する防衛術の特訓は楽しいものではなかったが、みんな一心不乱に取り組んだ。私がここにいる目的の大部分でもある。武装解除や簡単な呪いの復習から始め、失神呪文や守護霊の呪文。実戦的な訓練を望めば「必要の部屋」はホグワーツの廊下や中庭を模したフィールドを用意した。まるですぐそばに迫る未来をも模したように。

私たちは短い期間で濃い時間を過ごしていた。




昼食にキュウリのサンドイッチを頬張りながら、午前中の成果を話し合う。お互いに指摘しあって切磋琢磨する姿は活力に満ち溢れていた。

その時、ジジ……とラジオが微かな反応を拾う。すぐ近くにいたマイケル・コーナーが飛びついた。変化を付けながらトントンとラジオを杖でつついて周波数を合わせていく。パスワードは「不死鳥」だった。恐らく今日が最後となる「ポッターウォッチ」。こんなに相応しい言葉はないだろう。


「みなさん、今日は気の利いた前口上を省くことをご了承ください!」


リー・ジョーダンの興奮した早口がラジオから流れ出した。


「ハリーがグリンゴッツに現れました!グリンゴッツ破りです!飛び込んできた情報によりますと、ハリーは仲間と共にドラゴンに乗って逃げたとか!凄いぜ、ハリー!やってくれるなぁ!」


瞬く間にヒソヒソザワザワという声が部屋中に広がった。ラジオからは目撃者の話やグリンゴッツ破りの目的に関する勝手な噂など、取り止めのない話題が続いている。


「ハリーは何がしたいんだ?」

「グリンゴッツでドラゴンを飼ってるって噂、本当だったんだ!」

「例のあの人に関係あると思う?」


結局ポッターによるグリンゴッツ破りの情報がみんなの気を引き付けてしまい、午後は軽い復習だけで各自身体を休めることになった。




外では陽が森の奥に身を沈め、星が雲に隠されながらも数を増やし始めた頃。ホッグズ・ヘッドへと繋がる隠し扉を覆う絵画にアリアナがやって来た。食料が確保できたり用があるときに何度か現れることはあったが、もう寝ようかというこんな遅い時間は初めてだった。

ポッターの話題もあり戸惑う生徒たちに紛れ、リリーは一人左薬指に輝く黒曜を胸に抱いた。そして目を閉じ深い呼吸を繰り返す。


程なくしてロングボトムがアリアナの呼び出しに応え隠し通路を潜っていった。ザワザワと昼間よりは控えめに囁きだす生徒たち。みんな何かを感じ取っているようだった。




半時間ほどが経ち、隠し通路の扉が再び開いた。ひょっこりと顔を出すロングボトム。みんなが口々にアバーフォースの用件を問うた。

ニヤリと勿体ぶったロングボトムが立てた人差し指を唇へと当てる。宥めるように空いた手を挙げれば、みんながスッと鎮まった。


「この人だーれだ!」


ロングボトムが場所を譲り後に続いて出てきたのは、長旅を終え疲れを色濃く滲ませたハーマイオニー・グレンジャー、ロナルド・ウィーズリー、そしてハリー・ポッターだった。


「ハリー!」

「うっそ、本物!?」


歓声や悲鳴が混ざり合い反響して部屋中が軽いパニック状態となった。生徒たちが一斉に三人に駆け寄って叩いたり抱きしめあったりしている様子をリリーは微笑ましい気持ちで眺める。そして十分に目に焼き付けた後、彼女は自身の荷物から小分けしたフェリックス・フェリシスの小瓶を取り出した。

ザワリと賑やかさが増え顔を上げると、ラブグッドやウィーズリーの双子らが隠し通路から這い出してくるところだった。双子の片割れがリリーに気づき手を上げる。彼女はそれに応え小さく手を振り返した。


やがてポッターが守り続けた秘密の一部を打ち明けレイブンクローの髪飾りを求め始めたとき、リリーがズイと生徒らの輪に加わる。


「ポッター、その髪飾りを生きている者は誰も見たことがない。でもレイブンクロー像があるから寮へ行けばどんなものかくらいは確認できるよ。私が案内する」


ポッターはリリーの存在に今気づいたとばかりに両眉を上げ、そばのウィーズリーとグレンジャーに耳打ちをした。再びリリーに向き直るとコクリと首を縦に振る。


「行きましょう、先生」

「少し待って」

「僕たち急いでるんです」

「1分だけ」


リリーはポッターの返事を待たず肺一杯に空気を取り込んだ。そして金色に輝く液体が波打つ小瓶を掲げる。


「ここにフェリックス・フェリシスがある。でも十分な量は用意できなかった。これから先どうなるか分からないから、今のうちに渡しておくよ。いざってときに、少しずつ飲んでほしい」


ポッターが現れたときのような歓声が部屋を包んだ。「最高」や「流石」と方々から声が掛けられる。リリーは近くにいたラブグッドへ幸運を纏めて手渡した。

これが私がみんなにできる最後のこと。あとは飲んで生き延びてくれることを願うだけだ。

私はもうこの部屋へ戻らない。




部屋を出て、ポッターとリリーは透明マントで身を包む。忍びの地図を頼りに誰にも見つかることなくレイブンクロー寮へと辿り着いた。鷲の形をしたブロンズのドアノッカーを彼女がコツンと一度打ち付ける。


「不死鳥と炎はどちらが先?」


ドアノッカーの鷲が歌うように話した。戸惑うポッターを制してリリーがにこりと安心させる笑みを作る。


「円には始まりがない」

「よく推理しました」

「質問に上手く答えないと入れない仕組みでね」


パッと開いた扉を支えてマントの裾に気を付けながら、リリーは卒業以来の出身寮へと踏み込んだ。ブルーとブロンズに彩られた広い円形の談話室が少しも変わることなく受け入れる。

するりとポッターが透明マントから抜け出した。


「計り知れぬ英知こそ、われらが最大の宝なり」


計り知れぬ英知こそ、われらが最大の宝なり。

大理石のレイブンクロー像に刻まれた文字を読み上げるポッターに合わせ、リリーが心中で暗唱する。


「つまり、おまえは文無しだね、能無しめ」


ケタケタと甲高いアレクト・カローの笑い声がした。彼女が左腕の闇の印へ人差し指を押し付けるのを見届けて、振り向いたポッターよりも素早くリリーが杖を振る。


「ステューピファイ(麻痺せよ)!」


赤い閃光がアレクトの胸を突き、ずんぐりとした身体が床へと崩れた。然程大きい音も出ず、すぐに談話室に静寂が戻る。ポッターは額の傷を押さえ絶えず流れ込む痛みに耐えていた。リリーは透明マントを脱ぎ、彼へと掛ける。


「消失した物質はどこに行く?」

「そんなこと俺が知るか!」


談話室の扉を激しく殴りドアノッカーの問いかけにも無視をして、唸るアミカス・カローの怒声が室内に届いた。


「アレクト?あいつを捕まえたのか?そこにいるんだろうな?」


焦りと興奮で荒んだ叫びと共にバーンと扉を攻撃する音が立て続けに響く。何事かと起き出して来たレイブンクロー生が現状を掴みきれずに顔を強張らせた。


「ここは危ないから、部屋へ戻って。さぁ!」


姿を消したはずの教師の姿に生徒たちは驚きを隠せない様子ながらも、真剣なリリーの眼差しと倒れたアレクトの姿に何度も首を縦に振った。生徒たちを寝室へ追い返すとぐるりと談話室を見回す。未だ頑なな扉にアミカスが怒りをぶつけていた。


「ポッター、どこ?」


小声で問えば、返事と共に足がチラリと現れた。リリーがそばに寄るとポッターが引き入れマントを掛け直す。


「アミカスも妹の隣に並べてあげようと思うんだけど、どう思う?」

「僕、賛成です」


二人は顔を見合わせて、頷いた。マントで身を隠したまま扉を挟んでアミカスと向かい合う。これだけ騒いでいれば城中を起こしていそうだが、駆け付けたのはまだ彼だけだった。

3――2――1――。

リリーが指でカウントダウンを示す。最後の指を折り畳むと同時に扉を開けた。


「アレクト!」


壁に張り付く二人の目の前を、猫背を更に曲げつんのめるようにして、アミカスが飛び込んできた。杖を振り回し妹の姿を探す彼が談話室に横たわるその無惨な姿に気づく前に、とマントの下で杖を構える。そして無防備な背に振り下ろした。


「エクスペリアームス(武器よ去れ)!」

「ステューピファイ!」


どさりと妹そっくりのずんぐりとした身体が床に伏せる。アミカスの杖が弧を描き、ポッターの手へと収まった。


「何事です?カロー先生?いらっしゃるのですか?」


扉の向こう側から威厳のある魔女の聞き慣れた声がした。


「マクゴナガル先生……」


ポッターが懐かしさに胸を打たれて呟く。数秒間の迷いを見せて、彼は透明マントから出ていった。リリーも脱いで、マントを持ち主へと渡す。

中からの反応を待ち入ろうとしないマクゴナガルのため、ポッターが扉を開けた。


「――っ、ポ!」


反逆児となってしまった教え子の名をすんでのところで呑み込んで、マクゴナガルが中へと入る。タータンチェックの部屋着を引き寄せると堰を切ったように話し出した。


「ポッター、何故ここへ、一体どうやって!――リリーまで!あなた、ロングボトムたちを見つけたからと一緒に……!」


リリーは苦笑いを返した。落ち着こうと胸元を押さえながらも質問が止まらないマクゴナガルにポッターが間を取りながら答える。ヴォルデモートがホグワーツへ向かっていることや二人の逃げる逃げないの問答を聞きながら、リリーは失神したカロー兄妹を縛り上げた。仕上げに「レビコーパス(身体浮上)」と唱えて談話室の隅へ逆さ吊る。


「消失した物質はどこに行く?」


不意に聞こえたドアノッカーの問い掛け。三人はピタリと固まり息を殺した。その問いに答える人物によってその後の対応は大きく変わってくる。

フリットウィックか、それとも……


「どこへも。非存在としてそこへ在り続ける」


答えたのは低くねっとりとした声。リリーの胸中にだけは喜びが広がっていく。スネイプの声だった。


「良いでしょう」


鷲が扉を開く寸前。リリーはポッターの手から透明マントを奪い取り、自身と彼へ被せた。マクゴナガルは杖を握り決闘の体勢を取る。


「セブルス」

「なるほど」


同じく杖を構えて入ってきたスネイプはいつもと寸分違わぬ黒のマント。顔色が悪く見えるのはカロー兄妹に気づいたからか、灯りのせいか。目に見えるもの以外をも捕らえようと動く漆黒の瞳にリリーは心が焦げるほどの熱を感じた。そして隣で息を潜めるポッターもまた、彼女とは違う熱を感じていた。どす黒く憎しみに燃える心を。


「ハリー・ポッターはここにいるのか、ミネルバ?」


スネイプが一歩、マクゴナガルへと歩み出た。

そのとき、


「止めて!」


素早く動いたマクゴナガルの前にリリーが飛び出していた。スネイプとリリーによる盾の呪文に弾かれて、マクゴナガルの体勢が崩れる。ポッターが透明マントを脱ぎ姿を現した。

リリーはスネイプを背にして立っていた。彼が自分には攻撃しないと確信して、マクゴナガルとポッターも攻撃を踏み留まると願って。

案の定、思わぬ相手と対峙することになったマクゴナガルとポッターは間髪入れずの追撃を躊躇った。どれだけ稼げるか分からないその隙に、リリーが杖を大きく縦に振る。杖先から吹き出た灰色の煙幕が相対する姿を隠していった。


「リリー!」


マクゴナガルが困惑に叫ぶ声を聞きながら、リリーはスネイプの腕をしっかりと掴んだ。率いるまでもなく彼が扉へと駆け出す。そして自身の身体をマクゴナガルたちからの盾にして、リリーを先に扉から押し出した。


「リリー?」


レイブンクロー寮への入り口が見える廊下にフリットウィックがいた。見回りか駆けつけたのかリリーには分からなかったが、無防備に立つ彼へ向け素早く失神呪文を放つ。決闘チャンピオンも信頼する相手からの全くの不意打ちとなれば形無しだった。

転がるフリットウィックの脇を抜けて二人が走る。マクゴナガルたちがレイブンクロー寮から出てきた気配がして、リリーは近くの教室へとスネイプを引き込んだ。


「コロポータス(扉よくっつけ)!」

「マフリアート(耳塞ぎ)!」


二人同時に扉へ唱えた。


「これからどうする気だ?君と私とでは信用が違う。錯乱でも服従でも言い逃れて、君は残れ!」


スネイプがもう我慢ならないと唸り声を上げた。刺すような目で睨み付ける彼を一瞥もすることなく、リリーは窓を開け放つ。ヒューイと高く指笛を響かせたあと、ようやくスネイプへと向いた。


「それはセブルスとして?それとも帝王の右腕としての指示ですか?」


スネイプの眉間がこれ以上はないだろうというほどに寄せられる。困惑や焦り、不安を顔に浮かべ隠すことなく晒す彼に、リリーは淡い笑みを見せた。


「私がただ『yes』と言うだけの存在ではないとご存じでしょう。セブルス、心の準備は良いですか?」


もうホグワーツに私は必要ない


リリーは開け放った窓から躊躇いもなく八階分の高さを飛び下りた。伸ばしたスネイプの手は空を掴む。バーンッと派手な音で扉が壊されて砂埃の向こうに人影がちらつき、スネイプも窓から飛び出した。

闇の帝王から学んだ術で空を滑るように移動するスネイプの前をセストラルが横切る。その背には微笑むリリーの姿。彼は叫びたい小言をグッと呑む。二人と一頭は並んでホグワーツの外を目指して飛んだ。




「――っく!」


ホグワーツの境界を抜けてすぐ、唐突に、スネイプは左腕が焼けるように痛むのを感じた。全身に纏っていた靄が薄れるのを止めることができず、上半身からズルリと這い出るように姿が戻っていく。彼の異変に気づいたリリーが素早くセストラルに指示を与えてその身体を受け止めた。


「大丈夫ですか?何が――」


何があったのか。問おうとして、スネイプが左腕を押さえていることに気づく。リリーの前で横乗りになった体勢に舌打ちをして、彼は面映ゆさに視線を泳がせた。


「召集だ」


セストラルに乗り続けることにしたスネイプが身体を捻り体勢を整える。リリーが足先でセストラルの横腹を擽れば、大きな翼を羽ばたかせ速度が上がった。


最後の戦いが、始まる







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