151 4月上旬


穏やかな気候が再び巡ってきた。動けば汗ばむ日も増えマントは用済み。しかし伸び伸びと丈を広げる草木に比べれば城内はこぢんまりとしていた。いつもは賑わう湖の畔も人数制限が設けられたかのよう。時折つまらなそうに大イカが水上へ触手を伸ばしていた。


イースター休暇もクリスマス同様すべての生徒が帰された。クリスマス休暇明けには数名の生徒が減っていたが今回は一人だけ。休暇が始まる直前には大きな友人たちも小屋を捨てここから出ていってしまっていた。


「逃げたハグリッドたちとの接触に成功しました。あとは騎士団が対応します。それと今回戻らなかったのはジネブラ・ウィーズリーのみです」


茜色の夕陽が差し込む校長室で、リリーとスネイプは向き合っていた。休暇中はお互い相応しい場所で活動し、顔を合わせたのは2週間ぶり。緊急事態を知らせる指輪も今はただの飾りとなってしまったため、彼の顔を見るまでリリーの心は不安ばかりが支配していた。

休暇中、ホグワーツをヴォルデモートが訪ねたはずだ。しかしセブルスはそれを私に伝える必要はないと判断したらしい。

もうダンブルドアの眠る場所に「ニワトコの杖」はない。


「ウィーズリーに関しては、ポッターと行動する身内が発覚した以上、当然の選択だな。これであの家は全員行方をくらました。いや、魔法省に一人残っていたか」


リリーの用意した報告書に目を通し、スネイプがレジスタンスの中心生徒の名が記された場所を指で弾く。


「そのポッターはそちらから逃げ延びこちらで保護しています」


リリーの心の寄りどころの一つでもある「ポッターウォッチ」では彼の活躍を大々的に謳っていた。ビルから騎士団へ広まった正確な情報によれば《本》に記されていたすべての捕虜がマルフォイ邸から脱出できた。怪我や衰弱はあるものの誰一人欠けてはいない。

勇敢で自由な屋敷しもべ妖精、ドビーも。

防刃ベストを着せたりと対策は練っていたが、実際に生存を知ったときには(術で守られた寂しい家にいたのだが)跳び上がって喜んだ。本棚とハイタッチをする姿に二羽のワシミミズクが首を不安なほど傾けていた。


「夏に結婚したウィーズリーのご兄弟の新婚生活にお邪魔しているそうですよ」


命懸けでの逃走劇を聞き及んではいても、スネイプはポッターが無事だと聞いて安堵した。少なくともリリーにはそう見えた。


「どこで何をしていようと生きていれば良い」


それを隠す突き放した冷たさと鼻を鳴らすだけの嘲笑にも懐かしさを感じ、2週間分の思いがリリーの中で沸き立った。彼女は目を輝かせスネイプの向かいに丸椅子を呼び寄せる。彼は口を縫い付け猫背を正し、無許可の居座りに眉間で抗議を示した。


「セブルスに結婚願望はありますか?」


面白半分だった。残りの半分は、最愛の人のため、その忘れ形見を守り続ける彼に、ほんの一瞬だけでも私を見てほしいと思ってしまったこと。

愛がほしいとかそんな勝ち目のないものではなくて、ただ今目の前にいるのは私なのだと気づいてほしかった。他愛もない話や突拍子もないことを言う間は、漆黒の中に私が映る。

すべてが終わったときに小指の先ほどでも彼の中に私を残したい。シリウスに話せばきっとイイ子チャンだと小馬鹿にしてくれる、そんな願い。

目を見開いた彼の後方で、長い白髭の肖像画も目を覚ます。眉間にこれ以上ないほどのシワを作った目の前の男は、追い出すのと無関心とどちらが効果的か悩む間を見せて、黙りを選んだ。


「今まで別の人生を歩んできた他人が新しい家族として寄り添って生きるなんて、すごいことだと思いませんか?それが大昔から続いているんですよ」


スネイプは唇を縫い付けたまま。


「セブルスのご家族は?」

「……いない」


名を呼ばれ問われれば、スネイプは無視しきれずに渋々返す。その内容も別段躊躇うものではなく、簡潔に答えることができた。


「では私たち独り者同士ですね。如何です?私と新しく家族を作るのは」


リリーの口から飛び出したのは紛れもないプロポーズ。しかし期待の欠片もない形だけのもの。彼女はピシリと固まった求婚相手を無視して左手の薬指に双子呪文を唱えると、増えた黒曜付きのシルバーリングを差し出した。


「私の分は既にいただきましたので」


受け取られなかった指輪を机上へ置き、ヒラヒラと左手を振れば、意識が戻ったスネイプが肩を跳ねさせる。長年放置された蝶番よりも鈍い動きでその左手を見て、またリリーの顔へと向いた。

その動きが授業中彼に指名され恐怖で固まる生徒そっくりで、リリーは我慢しきれずとうとう笑い声を上げた。もう見られなくなったその光景がひどく恋しい。


「すみません、冗談です」


上品な仕草で肩を震わせながら未だクスクスと溢すリリーが口先だけの謝罪を述べる。スネイプは森の向こうへと沈んだ夕陽に負けないくらいの顔色で肩を怒らせ彼女を睨み付けていた。

ここで声を荒げては更に笑いを誘うだけ。漆黒の視線を尖らせながらも、スネイプは忌まわしい同級生相手には機能しない理性を総動員させて深呼吸で自身を落ち着けた。


「君の頭はいつの間にかおが屑に入れ替っていたようだな。嘆かわしい」


スネイプは声色にいつもの何倍もの棘を乗せた。彼の言葉なら何だってプラスに変換され笑い続けるリリーを訝り、ぐしゃりと顔を歪ませる。


「残念ながら私に嫌みは効きませんよ。だって嫌ではありませんから」


どうしても《呪い》が通じていない気がして嬉しくなってしまう。リーマスの思いを知ってからは尚更そうだった。

私がセブルスを愛している以上、冷たい態度は取れないから、《呪い》で彼は惹き付けられているかもしれない。運が良ければセブルスは友情のようなものを抱いてくれている。その気持ちは純粋な彼だけのものではないが、そこに私と同じ『愛』はない。


セブルスはリリーを愛し抜く

それでいい

そんな彼も含めて好きになった

私は一途な彼を愛している

リリーを好きな彼が好き

一途に思い続ける彼の真っ直ぐな心が好き

揺るがない強さが好き


その思いが、私に向いたなら、どんなに幸せか……


そう思わずにはいられない。が、今の私には彼が生き延びてくれることが最重要事項。私のすべては二の次だ。それがはっきりとしているからこそ、私は今ここで彼と向かい合えている。


「家族で国外へ出たり、結婚したり。こんな時だからこそ、どう生きたいかが問われる。平和ボケした惰性ではなく、毎日を輝かせるために」


リリーは人生の見本を数えるようにゆっくりと室内を見回して、最後に窓で首を固定した。雲のかかった空が群青に深く広く染まり行く。悠々と大きな翼の生き物が滑空していった。


「セブルスはどう生きたいですか?」


弛みきっていた頬を引き締めて、リリーが真剣な目をスネイプへ向けた。気を取り直した彼はじっと彼女を注視して、やがて軽く目を閉じる。


「叶うとは限らない」


彼の声は諦めても況して拗ねてもいない。しかし否定的なその言葉にリリーの眉が寄る。再び現れた漆黒に浮かんでいたのは微苦笑だった。


「そのような顔をするな。……私に『生きてほしい』と言ったことを覚えているか?」

「告白の言葉ですから、もちろん」


『すべてを投げ打ってでも、愛するあなたに生きていてほしい』


イギリス魔法界を象徴する偉大な魔法使いを手にかけたその日、私は動機を語る中で確かにそう告げた。幸運の後押しがあったとはいえ、今思えば軽率な台詞だ。役目を肩代わりすることとセブルスの無事を願うことが一体どう繋がるのか。ヴォルデモートに取り入ることを考えれば、ダンブルドアに杖を向けた者が有利なはず。

しかしセブルスはそのことに関して深く掘り下げる気はないようだった。言いたい場所はそこではない、と彼は雑念を手で追い払う。そして事務机に両肘を付いて指先を擦り合わせた。


「君がすべてを投げ打つまでもなく、そうあれるよう立ち回るつもりだ。『どう』とまでは言えんが」


『私も死にたい』


そう言って、エバンズが示した最大の愛と勇気に生への執着を失った彼はもういないのだと確信した。すべてを捧げ、命の危機に瀕する手段を厭わない彼はもういない。

私が望まぬ未来を摘み取ったところで彼に生きる意思がなければ意味がない。生きてさえいれば、生き方なんて後から探せる。重荷を下ろせば、きっと彼の未来は輝き出す。煩わしいと、当の本人はいつもの不機嫌顔をするのだろうけど。


「もしもの時は後を追いますね」


ごちゃ混ぜになったプラスの感情を誤魔化すように茶化して言った。


「馬鹿者。頭にもう少しまともなものを詰めておけ。……君こそどうなんだ?私に加担して闇の帝王の前にまで立ち、死に急いでいるのではあるまいな?」


死に急いでいるつもりはないが、現状は死に急いでいると言えるのだろう。でもそれを彼に知られる気はない。年々上手くなる嘘で塗り固め、私はにっこりと笑って見せた。


「まさか!少しでも長くセブルスのそばにいます。ご安心ください」

「それは安心できるのか?」


片眉を上げ小首を傾げたあと、セブルスはクツクツと喉の奥で笑いだす。また一つ、新しい彼を見た。温室に負けないほど満開に咲き誇る心。笑みは自然と奥底から湧き上がった。


少しでも長く

けれどタイムリミットは、あと1ヶ月







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