146 8月


「校長就任、おめでとうございます」

「君は相変わらず心を込めようとしない」

「本人が喜んでいらっしゃれば、自然と籠もるはずなんですが」


遠い昔に封印した軽口も殆んど元通り。リリーが片眉を上げると、スネイプは冷笑して事務机に重なった書類を一束掴んだ。

長年親しんだ地下を離れ、新たな彼の私室として宛がわれた校長室。ここは前任者の面影があちこちに残ったままの何とも切なく重い部屋だった。

肖像画とは言え、ズラリと並んだ歴代の校長に見られながらこなす仕事は捗るのだろうか。いや、余計な世話に違いない。真面目で手を抜けない彼のことだ。問題なく処理してみせるのだろう。


「まだ何か用か?」


新年度を明日に控え、最終的な生徒のリストを彼に手渡し用事は終わり。それでも去ろうとしない私に無視もせず、彼は書類を捲る手を止めた。けれど眉間のシワはしっかりと刻まれたまま。

ただもう少しこの時間を引き延ばしたかっただけ。気持ちは既にバレてしまっているから正直に言ったところで大した衝撃もないとは思う。今だって用がないことくらいお見通しだろう。

ならばいっそ、主張してみようか。私をあしらうなど彼の負担にもならない些細な珍事。

最後の1年を、後悔する生き方はしたくない。

ダンブルドアだってタイムリミットまで方々飛び回った。『人を愛するが故の愚かな行動』だとしても、誰に文句を言われたとしても、私は私の想いのままにしか動けない。


「スネイプ教授は……あぁ、失礼。校長でしたね」


話題を探しながらの呼び掛けは馴染みのものが口をついた。ただクセが出てしまっただけなのに、彼は「嫌みか」と不機嫌さを増す。


「口が勝手に動いただけです」

「最早肩書きに意味はない。どうとでも呼べ」


書類へと意識を戻しながら心底どうでも良さそうな顔をする彼に、ならばと悪戯心が芽生えた。


「セブルス」


スネイプがピクリと身を震わせた。揺れが伝わり持ち上げていた書類が力なく反り返る。恐怖を煽る緩慢さで顔を上げたスネイプは、一層くっきりと刻んだ眉間の渓谷をニヤリと笑う女へ示した。不快感と拒否の色が濃いその表情にもリリーは素知らぬ笑みのまま。壁の半月眼鏡の肖像画も寝た振りのままクスクスと肩を揺らした。


「どうとでもとおっしゃるならば構いませんね?」

「我々は肩書きの話をしていたはずだが」

「初めて呼ぶわけではありませんし、良いではありませんか」


「だから悪いのだ」と喉まで出かかって、スネイプはごくりと言葉を呑み込んだ。その呼び方を今までどのような場でしていたか。彼女が覚えていないはずはない。久しくその機会も失われていたが、忘れてしまえるほど昔ではないというのに。

代わりに大袈裟なため息だけを彼女へ投げる。


「セブルス」

「用がないなら呼ぶな、エバンズ」


自分は流される気はないと、スネイプはいつも通りを強調して彼女を睨む。そして出ていけと、追い払う仕草で手首を小刻みに振った。


「実はずっと呼んでみたかったんです。他の教授方が羨ましくって」


「呼んでいただろう」と言いかけた言葉もまた、出ること叶わずスネイプの奥へと沈んだ。肖像画とはいえ彼女が去ったあとの揶揄を考えれば余計なことは言いたくない。厄介な部屋にいるものだと苦虫を噛み潰した。

墓穴を掘るつもりは微塵もないが、このくだらないやり取りを続けるよりは良いはずだ。と、スネイプは姿勢を正して話題を変える。


「去るつもりがないなら聞いておきたいことがある」


纏う空気を一瞬で変えたスネイプに倣ってリリーもピリリと気を引き締める。了承の返事をすると彼は話を進めた。


「君は何故私を信じた?」

「と、言いますと?」

「結局私がどちら側につくのか、分かるのは私しかいなかった。それなのに君だけは私の忠誠がダンブルドアにあると何の疑いも迷いも持っていなかっただろう。今の騎士団が私をどう評しているか、想像に難くない」


スネイプの漆黒の双眼が瞬きもせずにリリーを見つめる。彼女はその視線に応えながらも心を閉じた。本人の知らぬ間に、身を捧げるほどの愛と悔恨を知ったからだとは、心が裂けても伝えたくない。


「言ったはずです。私は『あなたのそばにいたい』と。あなたの忠誠が別の場所にあったなら、私もそうしました。それだけです。私の覚悟を知ってもらうため、決意を信じてもらうためなら何だってして見せますよ」

「心を閉じているような人間の言うことを信じろと?」

「えぇ、そうです。それに同じことをあなたにも言えるはず。なぜ私を信じてくださったのか」


スネイプはすぐに答えなかった。しかし言い澱んでいるわけでも言葉がない様子もない。


「ダンブルドアが君を信じたからだ。初めから、最期まで」

「ですが彼が信じたからといって、それを鵜呑みにするあなたではない。そうでしょう?」

「何が言いたい」

「しかしあなたは私を信じると言ってくださった。次は私がその言葉に報いる番です。あなたはただ黙って玉座にいてくだされば良い」

「君の指示に従う義理はない」


話はこれで終わりだと、彼の発する雰囲気から受け取った。リリーは一歩下がってから一礼する。


「カロー兄妹を校門へ迎えに行ってきます」


スネイプはチラリと手元の時計を確認してから再びリリーへ目を向ける。


「二人には極力関わるな。特に兄の方は気を付けろ」

「アミカスですか?」

「そうだ」


リリーは理由を問おうとして、何も語る気はないと示す彼の双眼に「分かりました」と答えるだけに留めた。

元より避けるつもりではいた。マルフォイの屋敷で最後に私に声をかけてきたのも彼だ。きっと《呪い》に引き寄せられている。ヴォルデモートと向かい合ったときにはすがったこの《呪い》も、不要なときにはとことん厄介だ。リーマスとのことも。

セブルスが忠告した理由は私の懸念と同じだろうか。私が先にここへ戻った夏の間に、アミカスが何か話したのかもしれない。そうでなかったとしても、今まで幾度となく私を支えてくれたセブルスのことだ。気にかけてくれていることだけはひしひしと伝わる。

リリーは扉を一歩出てから、ジャリと地面を躙りスネイプへと身体を向けた。そしてニヤリと悪戯を思い付いた子供のように笑う。


「セブルス、気付いていらっしゃらないようですので言いますが、私、あなたのそういうところが好きなんです」

「なっ……!」

「あとこれも。いつでも呼んでください」


扉を押さえていた手を離し、トントンと自身の左手に光る黒曜を指した。パクパクと動くだけだったスネイプの口から言葉が飛び出す前に、扉はパタリと閉まる。






抗議を挙げる前に遮断されてしまった彼女との境を睨み付け、スネイプはため息をつく。椅子に深く座り直し書類には一瞥だけをくれてやって、悲鳴を上げる眉間を揉み解した。


「セブルス」

「止めてください、ダンブルドア。今はあなたのどんな言葉も聞く気はありません」


不意に背後から降った声には目線をチラリとも上げることなくスネイプが返す。


「最後に送った手紙は届いたのかと思うただけなのじゃが……ほれ、フォークスの足に括り付けてあった」

「『彼女はきみが信じるべき唯一』……えぇ、届きました。ですが信じることと彼女の気持ちをどう扱うかは全くの別問題です!」

「おぉ、セブルス。わしは何も言うておらん」


スネイプが解したばかりの眉間を再び寄せて、不敬の視線を肖像画へ送る。


「信頼と秘密もまた、別問題じゃ。囚われすぎてしまうと、見るべきものも見えなくなってしまう」

「分かって、います」


『言葉を聞く気はない』と言いながら、結局は乗せられている現状に顔を歪め、スネイプは少しシワのついた書類へ羽根ペンを落とす。今片付ける問題はこちらだと、半月眼鏡の奥へ見せつけるように。







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