144 葬儀


乾いた音ともにリリーはホグワーツの校門に姿を現した。ここから覗く城の塔たちも、門を守る翼を持つ猪も、風に身を任せる木々たちも、何も変わらない。


けれど、確かに変わってしまった


感慨に耽るリリーのもとに、雄大な深紅の体を空へ乗せて金色の尾羽を靡かせる不死鳥が舞い降りた。彼越しに仰いだ空はどこまでも広く、もう開くことはない偉大なブルーを、半月眼鏡の向こうに灯る柔らかな眼差しを思い起こさせる。


「歌が聞こえなくなったと思ったら、ここへ戻ってたんだね」


リリーは左腕を上げ、彼の休息場所を提供する。翼を休めるその姿は凛々しく、吸い込まれるつぶらな瞳をパチパチと瞬きで隠す仕草は愛らしい。温かなその体に手を這わせれば、シルクよりも滑らかな艶が心地好かった。


「リリーっ!」


名前を呼ばれ、フォークスから校門の向こう側へと顔を向けた。陽に照らされた中、馬車道を駆けてくる草臥れたローブと白髪混じりの鳶色。顔に引かれた傷が判別できる距離にまで近付いて、彼は無理矢理に足の動きを緩めた。


「フォークスが君の帰りを知らせてくれたんだ」

「勝手に動いてごめんなさい」


ルーピンの開けた門を跨いで、リリーはそう言った。そして一人分の間を空けて並ぶ彼のローブを掴む。


「あなたを振り払って出ていったことにも、ごめんなさい。だから変に距離を取らないで」

「やっぱり君には敵わない」


ルーピンは頬を掻き苦笑して、お互いのローブが擦り合うほどの隣を歩いた。馬車道の砂利や芽吹いた雑草を踏みつけながら、大きな喪失感を纏う城へと向かう。


「フォークスからの手紙は届いた?」

「えぇ、あれはリーマスが?」

「手紙を見つけたときにフォークスが現れてね。託したんだ」

「ありがとう」


リリーはルーピンに淡く微笑んでから、左腕で寛ぐフォークスの背を撫でた。


「リリー……」


僅かな和やかさも追い払い、ルーピンが声を一気に暗くさせる。リリーは短く息を吐き、彼を見た。


「ここで起こったことは……」

「ダンブルドアのことなら、把握してる」


リリーがそう返し、伝えるのも辛い恩師の最期をルーピンは呑み込んだ。そしてまだ伝えるべきことはあると息を吸い込む。


「誰がやったかも?」


リリーの足が一瞬止まり、すぐに歩みを再開させた。


「ハリーが見てたんだ、間違いない。スネイプだよ」


無言のまま歩き続けるリリーにルーピンが続けた。


「君が彼と一番親しかった。信じられないかもしれないけどこれは――」

「その話はしたくない。お願い、リーマス」


俯き消えそうな彼女の声に、ルーピンは口を噤んだ。ザリ、ザリ、と馬車道を二人分の足音が辿る。


ホグワーツ城の正面玄関が見えたとき、ルーピンが再び口を開いた。


「今マクゴナガルが魔法省と話してる。学校がどうなるかは分からないけど、ダンブルドアの葬儀はこの校庭でするよう取り計らうって」

「そう……」

「騎士団はキングズリーとアラスターを中心に態勢を立て直し中だよ。新たな本部も考えないと……」


ルーピンが不自然に言葉を途切れさせた。リリーの意を汲もうと言葉を探す彼に微笑んで、彼女は背の高い彼の瞳を見上げる。


「私がこの半日何をしてたのか尋ねないんだね」


ルーピンはその問いが来ることを分かっていたかのように微笑み返した。


「スネイプを追いかけて行ったんじゃないかって?」

「この下に隠してるものがあるんじゃないかって」


リリーが左腕を掲げると、寛いでいたフォークスが翼を広げ羽ばたいた。尾羽でするりと彼女を撫でて、すべてを等しく包む空へと舞い上がる。


「信じてるって、そう話したことがあったよね。その気持ちは今も変わらない。それにこれだけフォークスが懐くなら、その心配もない」


同意を求めるようにルーピンが語尾を強めた。リリーは言葉の代わりにぐっと口角を上げる。


「私はマダム・ポンフリーのような癒者ではないけど、君が眠れていないことくらいは分かるよ。私たちも順に仮眠を取っててね。手助けが必要なら医務室が開けてある。忙しいのはこれからだ。今は、ゆっくり休んで」


最後に彼の手が、優しく私の背を撫でた。




眠れないだろうと思っていた。

けれど私室に入りベッドへ倒れ込んだその瞬間、私の記憶はぷっつりと途切れてしまった。鈍って察せなかっただけで体力も気力も限界だったらしい。眠りから覚めたあとも空腹でなかなかベッドから起き上がれなかった。






それから2日間は本当に慌ただしかった。

リーマスには騎士団としての任務があるように、私にはホグワーツ職員としての仕事があった。生徒の親から届く手紙、直接生徒を引き取りに来た親への対応、葬儀をホグワーツで行うと正式に決定してからは参列者への手配、魔法省とのいざこざ――。

多忙は悪ではない。何かに集中していられることは、ここに留まるすべての人にとって拠り所のようにもなっていた。

日々憔悴していく人もいる中で、私は日常を保ち続けていた。よく眠り、よく食べ、笑みを作る。傷物の魂では繊細な心の機敏も鈍くなってしまうのではと思ったほどだった。

結局のところ、今の私にとっての関心事はセブルス・スネイプただ一人。彼が無事であるならば、すべては二の次。


人を愛するが故の愚かな――






葬儀当日は一段と暗い朝だった。

寮による分け隔てのない真っ黒なローブがひしめく大広間。マクゴナガルの言葉で移動を始める生徒たちを見送って、リリーは最後に大広間を出た。残っている生徒がいないか見回って、無人の校長室をも確認する。ホグワーツ城までもがダンブルドアの死を悼む静けさに満ち、コツリ、コツリ、と響くリリーの靴音が虚しく響いていた。

玄関ホールへの大階段を下りていたとき、ポンと肩に何かが触れた。それは一瞬で、周囲を見回してもその正体は目視できない。けれど私には分かる。示し合わせたわけではなかったが、それがスネイプ教授であると。

彼が触れたその場所にそっと手を重ね大きく息をして、巨大な正面扉を閉じた。このまま彼も閉じ込めてしまえたらいいのにと、戯れ言を樫に溢して。




葬儀は粛々と進んでいった。

水中人が嘆き、ハグリッドが運び、形ばかりの言葉が並べられ、棺が燃え上がり、ケンタウルスが敬意を射る。私は《知っている》光景をただぼんやりと眺めていた。隣でシニストラ教授が上品なハンカチで涙を拭う気配がして、私は乾いたままの頬に触れる。涙は出し尽くしてしまっていた。


一人、また一人と、席を立ち始めた。

生徒は城へ戻らずこのまま駅へ向かう手筈となっている。特急を利用する何人かの役人と教員も連れ立って、ホグズミードに宿のある者は小道へ向かう。残った人間はダンブルドアの粋な人柄を追懐していた。


スネイプ教授は上手く話し終えただろうか


リリーは誰とも思い出を共有することなくその場を離れた。

もしかしたら、まだ彼が城にいるかもしれない。去る前にもう一度、私にだけ分かる何かを示してくれたならどんなに幸せだろう。どれだけ頑張れるだろう。

期待に逸る足を動かして、校長室までの道程を辿る。

けれど校長室まで上がってみても、そこに求める影はなかった。

無駄に滞在時間を延ばしたところでメリットはない。当然だと感じる一方で、切なさが蔓となって私を締め付けた。

私室へ戻る途中で窓から校庭の様子を窺った。まだ全員が引き上げるには早いようだ。無人になれば椅子を片付けて、ドビーにこれからの振る舞いについて入れ知恵をして、フェリックス・フェリシスの様子も見て、バーベッジ教授にも会わなければ。


大丈夫、振り返っている暇はない


キィと蝶番を軋ませて、私室へ入った。いつの間にか居着いたフォークスに微笑んで、彼のため戸棚に仲間入りさせた好物のイカを呼び寄せる。そしてそのまま自分のためにも杖を振った。マグカップがふわりと浮いて、ヤカンが沸々と湯気を吐く。


「自室とはいえ、人の気配にも気づかぬ油断っぷり」


背後に大袈裟なため息が聞こえて心臓がピタリと停止した。次の瞬間、爆発したように再び鼓動を始める。

フォークスへ届く前に床へ張り付いたイカも、音を立てて破片を飛び散らせたマグカップも、リリーの世界から遮断されてしまった。珍しく抗議するフォークスの調べさえも届かずに、彼女は振り返る。


「どう、して」


スネイプは悠然と割れたマグカップを修復し、やっとのことでそう声を絞り出したリリーの前に立つ。


「マンダンガス・フレッチャーに用がある。まだ騎士団にいるようなら居場所を知らせろ」

「分かりました」


リリーは理由も尋ねず二つ返事で了承した。彼女の場合「聞かない」と「知らない」は同義ではない。

彼がフレッチャーを探すということは、七人のポッターを利用した移動作戦が計画されるということ。そして実行される。ポッターは命からがら逃げ延びるはずだが、騎士団のすべてがそう都合よくいくわけがない。

マッド-アイ・ムーディを救うなら、今行動を起こすべき。


しかし私は、何もしない


既に決めていた。ダンブルドアの時と同じ。私は何よりも《本》の予言を選んだ。フレッチャーが確実に生き延びてポッターへスリザリンのロケットの在処を話すことを選んだ。


『危険を覚悟している』


予言の中で、作戦に反対するポッターにムーディ自身がそう伝える。ならば私が手出しするのは、彼の決意を冒涜することに他ならないのではないか。

そう、思い込んでいたかった。


世界で唯一の理解者で、でも私はスネイプ教授に数多の秘密を抱えたままで、頭をぐるぐるかき乱していることがあることにさえ気付かれるべきではないのに。チラリと覗いた彼の顔は、何か言いたげに歪められていた。

けれど彼は信じることを選んでくれた。縫われたままの薄い唇から生じたであろう疑問が飛び出すことはない。それでも立ち去る気配のない彼に、まだ何かあるのかと首を傾け促した。


「君に渡すものがある」


そう言って、スネイプは杖の代わりにローブから何か小さなものを取り出した。


「指輪……?」


リリーは目を丸くしてスネイプの指先に摘ままれた物から逸らせなくなる。彼に似つかわしくないそれは銀製の輪に小さな石が嵌められていて、取り出した本人は不服そのものの表情。


「手を」


困惑への回答は得られなかった。しかし指輪を持った想い人に手を差し出され望まれれば、従う以外の選択肢は見つからない。少し迷って左手を、彼の左手に重ねた。


「何故そうなる」


スネイプは呆れたように短く息をついた。甲を上にして乗せたリリーの手を捻るように裏返す。そして彼女の手のひらにぎゅっと指輪を押し付けた。


「使ったものを返すだけだ」


他意はないと、言葉に刺を従えてスネイプの口角が下がる。彼のかさついた感触は左手からすぐに消えた。乗せられた指輪を注視すれば、そこに転がるのは色気のない魔法道具。リリーは嵌めてもらうのを期待した自分の手の出し方が途端に可笑しくなって、クツクツと込み上げる感情のまま笑い声を上げた。


「何が可笑しい」

「いえ、何も。ありがとうございます」


誰かに頼める用事でもないだろうから、自分で買いに行ったのだろうか。騎士団や魔法省が本格的な捜索に入る前だったとしても、姿は見られたくなかったはず。ならばわざわざ姿を偽って?

そう思い至れば、熱湯のような彼への恋慕が雨上がりの滝よりも激しく心に降り注いだ。

私の気持ちを聞かなかったことにするならそれでいい。だけど今はとっても舞い上がって勘違いしたくなるほどだから、少しだけ意地悪な質問をしてみても良いだろうか。


「どの指に通しましょうか?」


踵を返し、扉へと向かっていたスネイプの足が止まる。リリーはにんまりとだらしのない表情筋に喝を入れたが、彼は振り返らなかった。


「不格好でない指に」


抑揚のない声でそう答えたあと、スネイプは杖を抜き自身へ向けた。手首を利かせて動かすと、忽ちリリーから彼の姿が消える。扉が薄く開き外を窺う間をとって、大きく開いた。

一人になった空間に、床から拾い上げたイカを啄むフォークスの嘴が響く。コツ、カツンッ、と不規則な音に勝手な励ましを汲み取って、じっと輪の大きさを確かめるように指輪を見つめた。そして選んだ指を輪に潜らせる。


「ぴったり……」


元の場所にピタリと収まった指輪にまた愛しさが込み上げて、愛念に身を焦がす。そこに彼の意図がなくとも構わない。控えめに付いた黒曜が彼の瞳を思わせて、そっと口付けを落とした。







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