143 共犯


呼び出された先でヴォルデモートから聞かされたのは、ホグワーツ校長への打診だった。間もなく魔法省は陥落するであろうと、その際にはこちらでホグワーツを管理すると。直接そう明かされたわけではないが《知っている》私にはそう聞こえた。

私が去った後どんな話がなされたかは知らないが、状況は私にとって喜ばしい。しかし校長の席に座る気はない。


「失礼ながら我が君。もし万が一まだ褒美のお言葉が生きているならば、私はセブルス・スネイプを校長へ推薦したいと思います」

「ほう?」


声色で彼の機嫌を窺って、リリーは続けた。


「私があの老いぼれを仕留めたと知るのは同胞のみ。このまま忠誠心を隠し通すことで得る情報が、何かあるやも知れません。セブルス・スネイプはもう使えませんし、彼よりも上手く立ち回って見せます」


ヴォルデモートは思案する間を見せた。リリーは心臓がバクバクと騒ぐ様子を悟られまいと心をひた隠しにした。この間を楽しむかのようにたっぷりと時間をかけて、彼が再び口を開く。


「同胞の印をと思っておったが……より貢献する場を望むならば、その褒美を許可しよう」

「感謝致します、我が君。では、直ぐにでもホグワーツへ戻ります」


ヴォルデモートが指先の仕草だけで退室を許可した。

詰まりそうな息を吐き出し廊下を歩く。中程で敵意を剥き出しにしたベラトリックス・レストレンジに遭遇し、リリーはフェリックス・フェリシスの効果が切れ始めていることに気がついた。ナルシッサが現れその場は丸く収まったが、屋敷の門を出る直前に天文台塔にもいた猫背の死喰い人に引き止められたときは、あしらうのに少々手こずってしまった。


家を前にしたときにはすっかり溢れ出る自信は枯渇し、自分の家だというのに玄関を開けることさえ躊躇うほどだった。

この先にスネイプ教授がいる。いや、いないかもしれない。いてほしい。いてほしくない。どっち付かずの心が天秤のように右へ左へと傾きを繰り返す。

カチャリ、と控えめな音を立てて玄関を開けた。私を迎えたのは埃っぽい古書店の残骸のみ。


「いるわけ、ないか……」


自嘲して、ポツリと溢した。


「エバンズか?」


幻聴かと思った。いとも容易くカツンと音を立てて天秤が傾きを定める。


「スネイプ教授……」


声はひどく情けなく、頼りないものになってしまった。ずらりと並んだ本棚の一つから漆黒のローブが現れると、そのまま大股でこちらへ歩み寄る。そして私の左腕を掴み彼は無遠慮にローブの袖を肘まで捲り上げた。


「印は?」

「ありません」


そう答えると、スネイプ教授は明確な安堵の息をついた。気にかけてくれたと感じるのは、欲目ではないはず。未だ彼は私の腕を掴んだまま、視線は闇の印が刻まれていたかもしれないその場所に注がれていた。

この半日ほどで一体どれだけ心臓を酷使したのだろう。またドクドクと脈打つ中心が主張し始め、彼に触れられている場所だけが敏感にその低めの体温を伝えてくる。

私の伝えた気持ちは、彼の中でどう処理されたのか。

問うてみたい無謀な私を、今を大切にしたい私が引き止める。今年に入って彼とまともに話をしたのは私が大怪我をした日と今日くらい。この貴重な時間を、溝が深まる前に戻ったかのような奇跡を、自分から壊すことはできなかった。

せっかちな心臓を落ち着かせるように、どこからともなく歌声が届く。春目前の雲の切れ間から降り注ぐ日だまりに引き込まれたような、内側からじわり、じわり、と広がる温もり。気付けば、スネイプ教授も顔を上げていた。


「君が行った後にフォークスが手紙を持って来た」


スッとリリーから手を引いて、スネイプがカウンターに置かれていた手紙を彼女へ差し出す。リリーは名残惜しくローブの袖を直し、その手紙を受け取った。


「内容は?」

「他人宛の手紙を読めば、面倒事を引き起こす」


宛名には『古書店』とだけ書かれていた。見覚えのある、縦長の細い文字。そうでなくてもフォークスが運んだのだ。差出人は明らかだった。


『わしに何かがあったとき、そのことにきみが深く関わっているかもしれぬ。しかしわしはそれを承知で受け入れる。きみが気に病むことは何もない。

フォークスは本当にきみを好いておったから、そばにおるようならよろしく頼む。不死鳥の歌がきみに安らぎをもたらさんことを。

実りある未来を願う 狸爺より』


「……っ……!」


忘れていたわけではない。受け止められたわけでもなかった。ただ考えまいとして、強大な闇だけを見据えようとして、脇に退けていた感情が一気に心へ流れ込む。引き裂かれたままの魂が、その鋭利な傷口で周りの柔らかい場所までもを容赦なく突き立てた。

不可視の血液がリリーから溢れだした。全身から血の気が引き、ガクンと膝を折る。咄嗟に手を伸ばしたスネイプに助けられ、強く床に打ち付けることなくへたり込んだ。


そうだ、私は偉大な魔法使いを、この手で


頭の中で繰り返し再生される天文台塔での出来事。

彼は最期に『頼む』と言った。誰の名も呼ばなかった。『セブルス』とも、もちろん『リリー』とも。しかし『頼む』、それは彼が分霊箱探しへ出発する直前に私へかけた最後の言葉だった。

ダンブルドアは気付いていたのだ。あの瞬間、天文台塔へ現れたのが、頼んだ男ではないことに。ダンブルドアは最期に間違いなく私を見ていた。風に膨らむ黒衣ではなく、


私自身を


いつの間にか流れていた涙を拭うこともせず肩を震わせる。くしゃりと握り締めた手紙が優しく引き抜かれるのを感じた。膝が触れ合い、ぐっと背を押される。ふわりと大好きな安らぐ香りに包まれて、私は抱きしめられているのだと分かった。

何も言わずに背を往復する彼の手、密着した場所から伝わる体温、鼓動、耳元に感じる息づかい。そのすべてに支えられながら、私は声をあげることも厭わず泣いた。彼の優しさにすがって、涙が魂を修復してくれるかのように泣き続けた。




涙は自然と治まった。部屋を温める陽光に晒すには抵抗のある顔を下に向けたまま、スネイプ教授から離れる。


「顔を洗ってきます」

「あぁ」


鏡で見た自分は案の定酷い有り様だった。涙で崩れた化粧の下から寝不足による隈が現れ、極度のストレスに繕いきれない悲愴感。酷い顔なんて前にも晒したはずだが、それはそれ。何度も想い人に見られたいものではない。

先程まで泣きじゃくっていたくせに、今頭を占めるのは彼のことばかり。泣いてスッキリ、なんてレベルの話ではないが、ダンブルドアは満足していることだろう。すべてに勝るものがあるならば、それは「愛」なのだ。無限に湧き出る力の源だ。

リリーはパチンと両頬を挟むようにして手で打った。全身を奮わせ目に力を宿し、僅かに残る指先の震えに苦笑しながら、スネイプに見てほしい自分の姿へと整えた。


リリーが本棚の並ぶ部屋へ戻ると、スネイプはまだそこにいた。意味もなく背表紙を眺めながらゆったりと動く黒衣にリリーが胸を撫で下ろす。目が合って、にっこりと笑ってみせた彼女にスネイプの眉が不満に寄る。


「ホグワーツへ戻ります」

「それが良いだろう」


それからリリーはヴォルデモートとの会話を語って聞かせた。スネイプは終始眉を潜め口を歪ませていたが、彼女の目と左腕を一瞥しただけに止めた。


「あ、そう言えば、スネイプ教授。私の指輪は……?」


左手の薬指を弄りながら、顔を洗ったときに思い出したことを尋ねた。姿が戻る前に外したのだろうと思っていたが、逸らされた視線が違うと語る。


「……壊れた」

「壊れた?」

「使った、と言うべきか」

「使った?」


自分でも驚くほど素っ頓狂な声が出た。ポカリと開いた口を閉じることもせず、小首を傾げて更なる説明を求める。彼はばつが悪そうにもぞりと身動いだ。


「校門で君が姿くらましをしたあと、ルーピンが追い付いた。私が構わず追いかけようとしたために、少し、揉めたのだ。君のその身体ではヤツに掴まれたが最後、逃れるのは困難だろう。であるから……」

「使った」

「さよう」


敵だと判断したものにしか反応しない指輪だった。リーマスはきっとすごく驚いただろう。けれど起こってしまったものは仕方ない。言葉にこそしないものの目の前の男からは申し訳なさが滲み出ている。それがリーマスをはね除けたことに対するものなのか、指輪が壊れたことに対するものなのかは分からないが、珍しい彼の様子にクスリと笑みが零れた。案の定、彼はひゅっと口角を下げる。


「急がせたのは私ですから、気にしないでください。リーマスのことも、指輪のことも」


スネイプはぎこちなく首を縦に振る。そして、息を吸い込むと今度はいつもの顔で話し始めた。


「私もタイミングを見てホグワーツへ行く。ダンブルドアの肖像画と話をしたい」


リリーはそれが起こることを《知っている》。しかしスネイプ本人から直接聞かされるとは夢にも思わず、心が歓喜に湧いた。


「ならば、ダンブルドアの葬儀の日に。どこで行われるにしろホグワーツの人間は参加するでしょうから、校長室は手薄になるはずです」


元よりその計画だったスネイプは小さく頷く。


「葬儀には君も参加するつもりか?」

「もちろんです。行かない方が不自然ですから」


リリーは気丈に笑ってみせた。

脈動を拒否するようにぎゅっと縮まる心臓が痛い。殺めた相手の葬儀に出るなど尋常ではない。しかし計画を立てたときから、予想はしていた。想定の範囲内だ。

だから、大丈夫……大丈夫。


「……そうか」

「当日は協力させてください。少しでも長く校長室を空に出来るよう取り計らいます。……信じていただけるのなら」


リリーは真っ直ぐにスネイプの研ぎ澄まされた漆黒の瞳を見つめた。


「信じよう」


リリーは力一杯の返事と共に破顔し喜びを露にした。彼の言葉だけで行いのすべてが意味を持ち、これからに立ち向かうことができる。そんな彼女を見つめる漆黒は細く複雑さを見せるものの、顔の筋肉が柔らかく解れたようだった。

計画的なダンブルドアの死を知るのはお互いだけ。唯一の理解者で、共犯で、同胞。ロマンを感じて良いのなら、運命を共にする者とも言えるのかもしれない。


あと少し、あと1年

「生き残った男の子」が織り成す冒険の物語が終わるまで


あと少し、あと1年

ヴォルデモートがニワトコの杖を奪い杖の忠誠心に思い至るまで


あと少し、あと1年

あとどれだけの時間を彼と過ごせるのだろう







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