マルフォイの屋敷は約3年前のクリスマスに訪れた時とは様変わりしていた。外観がではない。纏う空気が全く違うのだ。
先を行くスネイプ教授とマルフォイに従い豪勢な玄関ホールを突っ切って、威厳を放つ木の扉の前に立つ。一呼吸置いてから、スネイプ教授がブロンズのドアノブを捻り、押し開けた。
死喰い人たちの姿が薄暗い僅かな明かりに浮かび上がる。客間の長い大きなテーブルを囲み、ピリピリと緊張した面持ちで座っている。大多数の人間が寝静まっているこの時間、起きている者すべてが集まったかのようだった。
最高潮の幸運を以てしても胃が不気味に収縮し、吐き気を催す。しかしそれを押し止め、リリーはきゅっと口角を上げた。心に蓋をし、堂々と、余裕の笑みを作る。
招待していない客人に、ざわりと部屋の空気が尖った。
「セブルス、ドラコ、此度の功労者である二人がなかなか戻らないので心配していた。どうやら、客人がいるようだが?」
テーブルの一番奥に座っていた男が声を発した。巨大な蛇を撫でる手付きがテーブルから見え隠れしている。その男は赤い目を光らせ、蝋のような顔に髪はない。声は甲高く、他の者にある緊張や恐怖は全くなかった。
彼が例の――ヴォルデ、モート
前にいた二人の間をすり抜けて、リリーは勢力の頂点に姿を見せる。
幸運と、母に与えられた人を惹き付ける《呪い》が力を貸してくれると信じて。そばに立つの男を死なせたくないがための副産物ではあるが、私が死喰い人に加担することで何か彼らに悪影響を及ぶ可能性もある。そうなれば願ったり叶ったりだ。
「お会いできて光栄です、我が君。私はリリー・エバンズ。ホグワーツの職員をしております。ですが心は、我が君、あなた様の元に。その証拠として、ダンブルドアの命をお持ちしました」
再びテーブルの周囲がざわめいた。すっと声が引くと、ヴォルデモートが興味を声色に滲ませる。
「仕留めたのはセブルスだと聞いたが?」
彼の赤い目がリリーを激しく抉る。彼女の視界に映るいくつかの顔がもぞりと動いた。しかしリリーはただ、赤い目だけを見続けていた。
バクバクと心臓が未知の生き物のように波打つ。
「ポリジュース薬です、我が君。ご要望とあらば天文台塔でのやり取りを寸分違わず語ることもできます。加えてドラコ・マルフォイは、天文台塔からポリジュース薬の効果が切れるまで片時も離れず行動しておりました」
リリーを揺さぶり続けていた細い目が、チラリと斜め後ろの青年へと向けられる。
「何故セブルスの姿に?」
「ダンブルドアを最も信頼させた男だからです。近付くには姿を借りるのが手っ取り早い。現に死の間際、彼は私に懇願の目を向けました。私のような者がこちらに馳せ参じるには、このくらいのことをして見せなくてはならないかと」
ヴォルデモートは縦長の切れ込みだけとなった鼻を唸らせ、テーブルに着く面々をぐるりと見回した。
「ここに並ぶ者より余程役立つかもしれん。なぁ?」
ビクリ、とテーブルの中ほどに一際震える男がいた。リリーは初めてここにピーター・ペティグリューがいることに気がついた。
「新たな同胞に褒美を取らせねばな。希望はあるか?」
「我が君のお心のままに」
今はまだ、何も欲してはいけない。突如現れた私という存在の内側を、精査しようとしているだけ。幸運が鳴り響かせる警報に、私は従った。
リリーは深々と頭を垂れた。
日の出の差し迫るこの時間、長々と話し合う気はなかったらしい。遅れて入った私たち三人が席へ着くこともなく、召集は解散となった。
ゾロゾロと屋敷を出ていく流れに乗って、スネイプがリリーを視線だけで呼び寄せる。他の死喰い人からの視線にはすべて無視をして、彼を追って敷地の外へ出た。3分程歩いて適当な木陰で彼が立ち止まる。
「君の家へ」
それだけ言うと、スネイプはバチッと乾いた音と共に姿を消した。リリーもすぐさま身体を捩る。
数十分振りの我が家。スネイプ教授は玄関の敷居を跨ぐなり腕を組み、くるりと私へ身体を向けた。彼の発する威圧的な空気が四方から私を狙う。
「話せ」
とても冷たい声だった。けれど怒っているわけではない。彼は心を閉じ、あくまで冷静にそして客観的に物事を判断しようとしていた。
「私は……あなたがダンブルドアと彼の最期について交わした密約を知っています」
「そのようだな。ダンブルドアから聞いた」
「あなたは乗り気ではなかったようですし、私はしたかった。何か問題がありますか?」
リリーは挑戦的にスネイプを見つめていた。
「問題があるかだと!?」
スネイプは声を荒げ、近くの本棚へ拳を叩きつけた。ふわりと舞った埃が天井からぶら下げられた明かりに照らされる。
「問題だらけだ!『私はしたかった』?君はダンブルドアを殺したかったと、そう言うのか!?」
今にも杖を抜きそうな手を本棚にしがみつくことで制している。そんな様子だった。リリーはひたすら彼を受け止める。焦り、怒り、困惑、喪失感、あらゆるものと戦う彼を見つめていれば、自分は冷静で居続けられるような気がした。
「ダンブルドアも君も私を利用するだけ利用して、駒に語るのは僅かな欠片の情報のみ!何故君がダンブルドアを手にかける必要があった?私の荷を肩代わりしたいなどと籠絡して、企みは何だ?闇の帝王に話して聞かせたことが本心だとでも――」
「それは違います!」
これ以上ないほどに寄っていたスネイプの眉間のシワがぎゅっと動く。下げられたままの左手にも力が入った。
「闇に与する気なら、あの場でお二人の密約を話してあなたの席を奪った方が何倍も効果的です。それはお分かりのはず。私は……」
「私は、何だ?」
スネイプは少し平静を取り戻したような顔で口元を歪ませた。鼻で嘲笑い、本棚から手を離し、汚れたままの指先を気にもせず尊大に腕を組む。リリーの目が答えを探すように左右に揺れた。
「私はダンブルドアに忠実なしもべではありません。ですが闇に呑まれる気も毛頭ない」
私はまだ幸運が内に息づいているのを感じた。長年連れ添った相棒のようにエールを送り、知恵を貸す。でもこれは、幸運に指示されたからではない。
私が言葉を紡ぐのは、私の意志。
リリーの強い目にスネイプがゴクリと喉を鳴らす。
「私が今ここにいるのは、他でもない、あなたのそばにいたいからです」
「私の?」
スネイプの声は胡散臭いと言わんばかりに濁っていた。組まれていた腕はするりと解け、わなわなと指が別の生き物のように蠢く。
「ダンブルドアから話を聞いて、厄介事を引き受けた駒に同情したと?私のためだとでも言うつもりか?私が何をしようと君には関係ないと言ったはずだ!」
スネイプは目を見開き、大口を開け、名状しがたい不快感を晒け出す。リリーはぐっと両手を握りしめ、一歩彼へと踏み出した。
「同情ではないし、あなたのためでもありません!これはすべて私自身のため、信念に従ったまでです。すべてを投げ打ってでも、愛するあなたに生きていてほしいと願うのは、いけないことですか!?」
ドーンと雷が落ちたような顔をして、スネイプがピタリと固まった。呼吸すら忘れたようなその顔に、窓から顔を出し始めた朝日が差し込む。彼のカーテンのような前髪や高い鉤鼻が作り出す陰影が、一層顔色の悪さを際立たせていた。
「私の言動の源が知りたいのであれば、これがすべてです」
スネイプ教授からの返事はなかった。ほしいとも思わなかった。拒否を示されなければ、彼がここにいてくれさえすれば、それでいい。私にとっての幸運は、きっと彼がまだこの場に留まってくれていることだろう。
とうとう言ってしまった
言うつもりなんてなかった
どうにもならない、未来なんて望めないのに
……でももう隠す必要はなくなる
負担だらけのこの場で、少し心が軽くなった気がした。
沈黙が続いていた。外では太陽がすっかり顔を出し終えて、差し込む光が部屋の埃にキラキラと反射する。
その時、静寂をかき消すノック音が響いた。二人は一瞬顔を見合わせて、すぐに扉へ目を向ける。ここを訪ねることができるのは、ルーピンかマルフォイだけ。
リリーは凍結呪文でカウベルの調べを止めてから、扉に手をかけた。
「マルフォイ……。おはよう、随分と早いね」
「闇の帝王がすぐに来るように、と」
「分かった」
リリーはチラリと室内へ目を向けた。そこにスネイプの姿はない。まるで私だけがその場にいたような気配が漂う。
「何か?」
「いや、問題ないよ。行こう」
閉まる扉の向こうでゆらりと黒衣が陽の下に姿を見せた。
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