140 計画


リリーは校長室を出ると真っ直ぐ自室へ戻った。そしてまた階下へと下る。

隠された地下牢のような石造りの空間。その真ん中で、大きなテーブル上の大鍋がチロチロと消えそうなほど小さな火に熱されていた。煌めく黄金色も、ピチャン、ピチョン、と跳ねる様子も見せないが、煮詰められているのは間違いなくフェリックス・フェリシス。完成にはあと数ヵ月かかる。ゆっくりと煮詰め余分なものを蒸発させながら、濾したり上澄みを掬って不純物を取り除く。そうして幸運を濃縮させていかなければならない。


「リリー・エバンズ?」


校長室へ行く前と何ら変わらなかった空間に、ひょこりとテーブルの影から屋敷しもべ妖精が現れた。リリーは驚くこともなく彼に近づき腰ほどの位置にあるその頭を撫でる。


「見に来てくれてたんだ、ドビー。ありがとう」


リリーが微笑むと、ドビーは何度も頷き感謝を受け入れた。

煎じ薬を煮詰め始めた頃からリリーはドビーにも手伝いを頼んでいた。と言っても彼が手を出すことはなく、異変が起こらないか監視するだけ。単調でつまらない頼み事にも彼は快く引き受けてくれている。


「しばらくここを空けることになるかもしれない」

「リリー・エバンズはお出掛けされるのですか?いつ?」

「今日。私のいない間大鍋に何かあればスラグホーン教授に知らせて。あと、しかるべき日に幸運を、と」

「しかるべき日に?」

「すぐ帰ってくるつもりだから、きっと大丈夫だろうけどね」


リリーの手が頭から離れると、ドビーは不安げな目で彼女を見上げた。真ん丸の大きな緑に暗い女の影が映る。それに気づくと、彼女は再びにっこりと口角を引き上げた。


大鍋をドビーに任せてリリーは上の私室へと戻る。ソファに落ち着くとローブからガラスの小瓶を取り出した。大さじ一杯もないその液体は金色に輝き、不思議な煌めきを纏っている。それは間違いなく完成したフェリックス・フェリシスだった。

ポッターが幸運を味方に付けたあの日。リリーは酔い潰れたスラグホーンを私室へと送り届けた。その際、これを手に入れた。法は犯さず、人には言えない、そんな方法で。ポリジュース薬などの魔法薬とは違い貴重なこの幸運だけは、地下牢教室から彼の私室へと隠されていた。


私は今日、どうしても幸運がほしい

みなぎる自信がほしい


キュッと音を立てて栓を抜くと、小瓶を傾ける。中身すべてを喉に流し込んだ。喉を通り、胃に落ちて、じわり、じわり、と無限の可能性が身体中に吸収されていく。


何でもできる

すべてが上手くいく、と確信した


リリーは隅に追いやられた事務机へと向かった。一番下の大きな引き出しを滑らせスキットルを二つ取り出す。幸運よりも容易く手に入れたその中身はポリジュース薬。昨年は自分で煎じたが、今年は地下牢教室にたっぷりとある。彼女はそれをポケットへと突っ込んだ。

戦闘が始まっているのかいないのか。この部屋には何も届いてきていない。それでもリリーは扉を開けた。向かう先はフェリックス・フェリシスが教えてくれる。


廊下は静まり返っていた。松明は消され、右手の奥ではうっすらと窓からの明かりが差し込んでいる。


「ルーモス(光よ)」


明かりを増やしても廊下はいつもの姿を見せるだけ。リリーはそばのタペストリー裏に隠れた階段を無視して廊下を歩いた。

いくつかの角を曲がり、階段を下りる。コツ、コツ、とゆったりとしたリリーの足取りにバタバタと慌てた靴音が重なった。相手は軽く、歩幅の狭い人物。彼女には心当たりがあった。それは正しく、死喰い人ではないと幸運も後押ししてくれる。

リリーは突き当たりの角を曲がり、相手に姿を現した。「ひゃっ!」と低い位置から叫び声がする。音の正体はフリットウィックだった。


「リリー、死喰い人が城内にいる!今セブルスを呼びに――」

「私が行きます。教授は加勢へ!」

「頼んだよ!やつらは天文台塔へ向かってる!」


早口でやり取りをして、お互い頷くとすぐに別れる。リリーはバクバクと心臓が強く主張するのを感じた。走っているからではない。幸運に導かれる喜びでもない。しかし不思議と恐怖も感じなかった。


大理石の階段を駆け下りて玄関ホールに踏み込むと、くるりと右の階段へターンする。松明の消えた地下廊下を杖灯りを頼りに進んでいった。どこかに隠れているであろうグレンジャーとラブグッドを今は気にする必要がないとリリーには分かっていた。

目的の扉へはノックもせずに飛び込んだ。鍵のことなどすっかり忘れていたが今はどうでもいい。突然の訪問にも動じることなくスネイプ教授は事務机の奥に立っていた。彼お得意の小難しい読めない表情で。


「死喰い人が城内に!天文台塔へ向かっています!」


バタン、とリリーの背後で扉の閉まる音がした。

その瞬間、

スネイプが無言で杖を素早く動かした。杖先から赤色の閃光が走る。真っ直ぐリリーへ向かうその光を、彼女は透明の盾で弾いた。そして間髪入れずに自らも杖を巧みに振るう。

決闘は意外にも、呆気なく終わった。

リリーはスネイプがフリットウィックを気絶させると《知っていた》。今は彼女が代わりとなっているが、その違いがあれど予言は遂行されると確信できたのは、幸運のお陰だった。実力差は明らかだが手が読めていれば話は変わってくる。


「防がれるとは思いませんでしたか?」


平素よりも少し目を開いた姿でスネイプは金縛りにあっていた。リリーは「モビリコーパス(身体よ動け)」と唱え、入り口近くへと彼の身体を引き寄せる。そしてローブからスキットルを二つ出し、スネイプの髪を引き抜くとその一つの中へ。もう片方には自分の髪を入れた。


「私が何をしに来たか、教授の想像は当たっていると思います」


反応はないが、彼の意識はちゃんとある。リリーは淡く微笑んで、スネイプの喉へと自身の髪を入れたポリジュース薬を流し込む。そして自分ももう片方のスキットルの中身を飲み干した。1年振りの肌が粟立つ感覚。痛みを伴う不快感の中、ボコボコと波打つ皮膚を見届けて杖を振る。

二人の服が入れ替わり、リリーはスネイプに、スネイプはリリーになった。


「私の服の着心地はいかがですか?」


軽口の一つや二つ、言わなければ気が狂いそうだった。発した言葉は心地の好いバリトンで、うっとりするほどの優しい声色。

リリーは鬱血しそうな左手の薬指へ杖を向け、魔法道具でもある指輪を抜き取った。そしてそれを恭しくスネイプの、リリーの身体の同じ場所へと通す。


「目が覚めたら真っ直ぐ私を追ってきてください」


返事を待つ必要はなかった。彼は必ず追って来る。この状況下で私を放置するはずがない。反論の出来ない彼に失神呪文をかけ、長めの滞在を切り上げた。


「グレンジャー、ラブグッド、エバンズが中で倒れた。介抱してやれ。我輩は死喰い人を追う」


どこにいるかは調べなかったが、名を呼べば彼女たちは大人しく姿を見せた。漆黒のローブを靡かせ走る背後で、扉の音が聞こえる。


今日の予言がどう悪化するか分からない。しかし生徒たちは幸運薬で守られている。あれが悪化をものともしないのはスラグホーン教授の記憶で証明済みだ。もし何か起こるとするならば、騎士団メンバーだろう。しかし彼らには生徒にない戦闘能力がある。


だから、大丈夫


幸運は天文台塔へどこを通って進めばいいのかも教えてくれた。途中かち合った騎士団メンバーが何か言っていたが構う暇などない。相手をする必要はないと心が叫んでいた。


「セブルス!」


振り返らなくとも分かる。荒々しい混戦の中でも聞き取れたリーマスの声。思いの外近くで聞こえた。けれど私はピクリとも反応を返さなかった。

難点だった螺旋階段の障壁も、左腕を伸ばし敬礼の姿勢を取れば良いと《知っていた》。予言の《本》で闇の拠点と化したマルフォイの屋敷へ入る際にスネイプ教授がこの動作をする。それと同じであると、幸運が道を照らしていた。

わざわざ確かめはしなかったが、クラウチJr.がムーディ氏の欠損をポリジュース薬で再現したように、今私の左腕には闇の印がある。その証拠に障壁では何かを潜り抜ける感覚とともにジリと左腕が焼けるように疼いた。

一歩、一歩、と段差を踏みしめる。耳につく女の笑い声が聞こえた。屋上へと続く扉の鉄の輪に、細く長い男の指が掛かる。


私は、

セブルス・スネイプとして、

天文台塔の屋上へと辿り着いた。







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