138 視点


『あなたはポッターを信用している。しかし私を信用なさらない。エバンズもだ!』

『なんと、なんと……彼女はまだきみに話しておらなんだのか?』

『何をです?彼女は一体何を抱えているのですか!』

『彼女がそう決めたのなら、わしから言うわけにはいかぬ』


夢見は最悪だった。

見慣れた地下の天井を睨み付け、身体を起こす。手探りで杖を見つけ、蝋燭を灯した。その流れでいつもの真っ黒なローブを呼び寄せると、灰色のナイトローブを脱ぎ捨てる。

そこでようやく時間を確認した。午前6時、まだ朝食には早い。済ませようと思えば屋敷しもべ妖精が何とでもするが、胃が焦る必要はないと告げている。

最低限の身支度を整えて、寝室から出た。事務机には昨日やり残した仕事が積まれている。チラリと一瞥し、紅茶一杯くらいは飲まねば頭が回らないと、ソファに腰掛けた。

杖の一振りでカチャリ、カチャリ、とティーポットやティーカップが支度を始める。スネイプはそれを眺めながら、深く息を吐き出した。ソファに背をつけ、だらり、と他の誰かが見れば卒倒するような姿勢をとる。


エバンズと最後に話したのはいつだったか。昨日の怪我の一件で、実に……4ヶ月振り。もうそんなに経つのかと驚いて、指折り数えた自分に呆れる。

空を滑るように移動しソファテーブルで止まったティーポットを掴み上げ、温められたカップへと中身を移す。芳醇な深紅に目を細め、慎重に一口飲み込んだ。温まった息をつき、再度頭を巡らせる。


小瓶の毒薬に秘められた真実を知ったあの日、言い様のない感情が混ざり合って駆け抜けた。

過去にエバンズは何度か避ける私に食い下がってきた。此度も真偽は別として、何かしらの答えを持ってまた私の前に現れるに違いない。そう思っていたのに、そうはならなかった。

彼女の意思は想像以上に固かった。


『何か思うところがあるのなら、それはすべてわしの命で動いていることと考えよ』


そう言ったダンブルドアの言葉を忘れたわけではない。

だが思い起こされるのは、エバンズとの関わりを絶ってから数日後の校長室。陽が沈みきり城中が寝静まった時間。方々を飛び回る合間のダンブルドアを捕まえて問い詰めた。

結果は思わしくない。彼も彼女と同じ、黙りだ。




『エバンズは毒を飲もうとしていました。だが死ぬためではない。彼女は何故こんなことをする必要があるのです?』

『彼女の行動については、わしは既に見解を示しておる』


ダンブルドアは顔色ひとつ変えず、いつもの椅子に背をつけていた。半月眼鏡の奥から鋭利な青が影色を纏う男を捉える。


『これもあなたの命じたことと仰るのですか?』

『さよう』


疲れた様子のダンブルドアは話を早く切り上げたがっているようにも見えた。


『私に命じられるのならまだ良い。私はそれだけの罪を犯し、左腕にはその印があります。ですが彼女には何もない!これがポッターを守ることとどう繋がるのです?』

『セブルス、人が苦しむ姿を見るのは初めてではあるまい。何を動揺しておる?』

『――っ!……話を逸らすのは、止めていただきたい』

『彼女が守ろうとしておるのはハリーだけではない』

『えぇ、分かっています。彼女は他の生徒も守ろうとしていますし、校長、あなたのこともそうです。彼女が守ろうとしないのは……自分だけだ』

『わしはこんな手になってしもうたがの』


真っ黒な痛々しい杖腕を翳しながら、ダンブルドアは朗らかに言った。


『リリーが守りたいものの中には、もちろん、きみも含まれておるよ、セブルス』

『ナギニの毒の解毒薬は受け取りました』

『そしてわしの推測では、同じようにきみも彼女を守りたいと思うてくれておる』

『私は……救えるものすべてにそうしています。ですがそれを踏みにじっているのはあなた方だ!』

『……そうじゃな。さて、きみの話が出たついでに話しておかねばならぬことがある』

『何です?』


眉を潜め私がどれだけ不機嫌さを示して見せても、ダンブルドアは気楽に話を続けた。


『わしがきみに頼んだこと……わしの最期に責任を持つと――口を挟むでない、きみは一度頷いた!――それを、リリーは知っておる』

『話したのですか?』


ダンブルドアが頷き、目を閉じた。まるでこれからの断罪を受け入れるように。


『またあなたはそうやって、私以外にばかり情報を明け渡す!そんなにエバンズを信用するのなら、いっそのこと彼女に任せてはいかがです?』

『リリーは、それを望むかもしれぬ。しかしきみは望まぬじゃろう?彼女の魂が引き裂かれるようなことは』


ダンブルドアの瞳にたじろぐ男が映った。


『……何故です?彼女は知る必要などなかったはず』

『必要があるかどうかではない。彼女はただ、知っておるだけじゃ』

『同じことです!』

『今年に入ってきみたちの間に何かがあったらしいことは聞き及んでおる。わしもどうこうせよとは言わぬ。しかしセブルス、覚えておくがよい。彼女を救えるのはきみしかおらぬし、きみを救えるのもまた、彼女だけじゃろう』

『この身に救いなど求めてはおりません』




スネイプは急激に意識が浮上していくのを感じた。思いに更けるあまり、殆んど夢を見ているような感覚だった。しかしあれは現実の話。結局は上手くはぐらかされ、彼女の正体を掴めずに終わった。

ダンブルドアと話してからも、私はエバンズを避け続けた。世界から閉め出し、いないものとして振る舞った。

しかし正しくは違う。

徹底的に関わりを絶っておきながら、私は彼女を監視し続けてきた。クィディッチで怪我を負ったポッターへ真っ先に駆けていく彼女を見た。湖で独り物思いに更ける彼女を見た。アクロマンチュラを弔う彼女を見た。私がいなくとも彼女の日々は変わらない。

私が彼女を守ろうとしても、彼女自身が望んでいなければ意味がない。私も、救われたいなどとは思っていない。そもそもそんな資格、私にはない。


『スネイプ教授がご無事で良かった』


しかしそう安堵したエバンズの声が耳から離れない。愚かな行為に走っていたのは厄介事を抱えた生徒二人で、実際に怪我をしたのは止めに入ったのであろう彼女自身だと言うのに。


よもや彼女は、知っているのか?


夏に誓いを交わした右手を見つめ、空を掴む。


ダンブルドアはこの事までもを彼女に?


問いたい相手はここ数日留守にしている。しかし彼女は、エバンズはここにいる。真実を語るとは思えないが、話をすることに了承を示した以上、黙りはないだろう。彼女にダンブルドアほどの話術もない。

スネイプは湯気を出し切った紅茶を飲み干した。中途半端に放置されていた首元の細かなボタンをすべて留め終えると席を立つ。ティーセットを流し台へ追い払い、カチャリ、カチャリ、と洗われる音を聴きながら、自身は事務机へと移動した。




夕食後になって医務室へ向かえば、エバンズは退院していた。丸1日姿を見かけなかったからまだ本調子ではないのかと思えばそうでもないらしい。私室にいるだろうとのマダム・ポンフリーの言葉を信じ、彼女へ続く扉を叩く。

ノックを三つ。名乗る前に扉が開いた。


「こんばんは、スネイプ教授。ご足労をお掛けして申し訳ございません。いつになればお手すきになるのか分からなかったものですから」


リリーは数ヵ月間の溝などなかったかのような笑顔でスネイプを迎えた。自身の想像とかけ離れた様子に面食らい固まる彼を促して、ソファへと誘う。


「コーヒーかハーブウォーターなら、どちらが良いですか?」

「……コーヒーを」


少し待って差し出されたのはアイスコーヒー。カランと氷の動く音に誘われて、口をつける。


「先に私から言わせてください」


ソファのはす向かいに座り姿勢を正すリリーに、スネイプが身体を向ける。目が合うと、彼女は深々と頭を下げた。


「助けていただいて、ありがとうございました」


スネイプは言葉を返さなかったが、リリーは満足げな笑みを湛えて顔を上げた。スネイプの眉間がグッと谷を形作る。


「体調は?」

「お陰さまで、この通り」

「聞きたいことはいくつかある。まず、君は何故あの場に居合わせた?」


スネイプの目は真っ直ぐリリーへ向けられていた。しかしそこに抉る意図はない。心を読もうとしても稚拙ながら閉心術の覚えがある彼女相手では無駄に終わる。


「ドビーにマルフォイを監視させていたからです。理由はスネイプ教授もお察しいただけるはず。これ以上生徒に危害を及ぼすようなことは避けたかった」


数秒の間を置いて、スネイプが「そうか」とだけ言った。リリーの瞳に不審な揺らめきは表れていない。


「君はどこまでダンブルドアから聞いている?」

「どこまで、と言われましても……騎士団のみなさんと比べ遜色ない程度、でしょうか」

「それ以上は?」

「幾つかは、はい」

「話せ」

「スネイプ教授の持つ情報と同じか判断できかねますので、お答えできません」


教科書通りの模範的な返答だった。自分が逆の立場だとしても同じように拒否しただろう。だがそれだけで納得するのなら、そもそもここへは来ていない。


「ならば無理矢理吐かせるまで」


スネイプは立ち上がると杖先をリリーの額へ突き付けた。素早くもないその動作を彼女は避けることもせず、真正面から受け止める。グリ、と皮膚にめり込むほどに押されようと、痛がる素振りもない。

彼女はじっと、下から半ば睨み上げるような目で、強い意志の宿る瞳をスネイプへ向けていた。


長い沈黙が続いた。


破ったのはスネイプだった。

わざとらしく大きく息を吐き出して、杖腕から力を抜いた。だらりと下がる右手をリリーの目が追う。


「どうせ知っているのだろう、誓いのことも」


リリーは肯定も否定もしなかった。しかし杖をローブへしまうスネイプの右手を追ったままの彼女の目が悲しげに細められたのを、彼は見逃さなかった。


やはりな……


「君が私にまで気を割く必要はない。自分の面倒は自分で見る。君に私を背負うだけの力量がないことは今回の怪我でよく分かっただろう」

「……はい」

「だがドラコを守ったのは事実。君が間に合わなければ命の危険に晒されたのは彼だ。……或いは、私も」


スネイプが苦々しく言い放つと、意外そうな顔をしてリリーが彼を見上げる。座り直す気配のない育ちすぎたコウモリは、風に膨らむマントがなくとも威圧的な雰囲気を纏っていた。


「認めはするが、礼を言う気はない。二度とするな。私が何をし、どのような目に遭おうとも、君には関係ない」

「それはお約束できません」


背筋をピンと伸ばしほぼ垂直の位置にあるスネイプの顔を、リリーは再び決意の炎を灯した瞳で見つめた。決然と揺るぎないその意志に、スネイプはぎゅっと唇を結ぶ。


「今回ご迷惑をお掛けしてしまったのは偏に私の未熟さが原因。それは痛感しています。ですが私は私の信念に従い行動する。これは譲れません」


リリーは数拍間を置きスネイプの反応を待った。彼の薄い唇が僅かに震える。口を挟む気はないと分かると彼女は一気に足に力を入れ、立ち上がった。近付いた漆黒と目を合わせ、息を吸い込む。スネイプは半歩引こうとした身をグッとこらえ、迎え撃つように視線を射った。


「もう一度私に、チャンスをいただけませんか?」


「断る」そう一言答えれば済む話だった。スネイプは何のチャンスかと、問うことさえしなかった。口は固く閉ざされたまま。それが何よりの答えだった。表面を覆うだけの偽りを押し退けて顔を覗かせたのは、リリーを失ったあの日から必死になってかき集めた善の欠片たち。

ひと度口を開けば自分の中から何が飛び出してしまうのか。日頃制御しているはずの己が手のひらを返したような気がして、スネイプはとうとう何も返答することができなかった。


クルリと地面をにじるように踏みつけて、スネイプが出口へと歩き出す。


「おやすみなさい、スネイプ教授」


先程の問いには無視したままだというのに、彼女は気丈にそう就寝の挨拶をしてきた。それがひどく懐かしく感じて、安らぎめいた息が漏れそうになるのをすんでで呑み込む。

身体に染み付いた習慣というのは恐ろしいものだ。随分と間が空いたにも関わらず、また私を柔らかな眠りにズブズブと引きずり込もうとする。


最後にチラリとリリーを見て、スネイプは無言のまま扉を閉めた。







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