137 セクタム センプラ


イースター休暇はクリスマスほどではないが例年よりは多くの生徒が帰省した。マルフォイもその一人で、しかしホグワーツへ戻った彼は休暇のリフレッシュさとは程遠い形相だった。

追い詰められている。

分かりながらも、私にはどうしてあげることも出来ない。彼を救えば今後すべてが変わってくる。私は自分の心を守るため、マルフォイに肩入れしすぎないようにと距離を取った。






5月になって、温室内の薬草はもちろんのこと、すべての草木が我先にと背伸びする。太陽の恩恵を受けようと枝を伸ばし、葉を広げ、青々とした香りを撒き散らしていた。

クィディッチの最終戦が近付くにつれ、城内は熱気と陰湿さと殺伐とした対抗意識に満ち溢れていった。医務室の利用者が増え、リリーもまた医務室にいることが増える。マダム・ポンフリーの手伝いだ。

しかしリリーにはもう一つ憂う事柄があった。




その日は突然やって来た。

バチンと音がして、夕食前の職員室にドビーが現れる。リリーの足元、事務机の影に隠れて他に気づいた者はいないようだった。


「どこ?」

「五階の男子トイレです、リリー・エバンズ。ドラコ・マルフォイは泣いていました!」

「ありがとう」


言葉少なに切り上げて、リリーは小走りで部屋を出る。

イースター休暇が明けてから、リリーはドビーにマルフォイの監視を頼んでいた。彼が嘆きのマートルと顔を合わせるようなことがあったなら、その時はすぐに知らせてほしいと。ドビーにとっては二度目の監視。自由な屋敷しもべ妖精は快く引き受けてくれた。

近道を駆使して目的の場所へと急ぐ。大広間へ向かう生徒数人とすれ違ったが返事をしている余裕はない。ピーブズにだけは容赦なく強力な追い払い呪文を食らわせた。

ポッターが忍びの地図で奇妙な二人の組み合わせに気付いたかどうかは到着してみなければ分からない。気付いたならば、彼はその不審さに確かめずにはいられないだろう。

そうすれば恐らく、決闘が始まってしまう。

どんなつもりで杖を振ろうと加減というのは熟達者だけが出来るもの。何度も困難に立ち向かったポッターと言えど余裕のない状況では簡単に人を傷付けてしまえる。


それにここには私がいる

何度も彼らの怪我を悪化させてきた私が


それがマルフォイの怪我に影響したら?危ういのは彼だけじゃない。「破れぬ誓い」で繋がれたスネイプ教授にだって危険が及ぶ。


失いたくない


《本》の語る未来で彼が重要な役目を担っていなくとも、失いたくない人だ。


使われる教室のない五階は人通りがなかった。


「やめて!だめ、だめよ!」


反響した悲痛なマートルの声が洩れる男子トイレにリリーは躊躇いもなく飛び込んだ。

そこには杖を向け合う生徒が二人。状況は目まぐるしく変化していく。

ボンッと破裂音がして、水槽タンクから一気に水が溢れ出した。一面に広がる水に足を取られ、マルフォイが体勢を崩す。その隙を逃さないポッターを視界に留めながら、二人の間へとリリーが駆け出した。


「クルーシ(苦し)――」

「セクタムセンプラ(切り裂け)!」

「プロテゴ(護れ)!」


ほぼ同時だった。マルフォイの呪文が言い切られることはなく、ポッターとリリーの呪文だけが発動した。


膝をついたのは、リリーただ一人


このままでは間に合わないと、彼女は盾の呪文だけを二人の間に作り出していた。彼女は確かに護ろうとしたものを護れはした。しかし不幸にもポッターの呪文は跳ね、リリーの元へと逸れた。


「先生!」


リリーの手から杖が落ち、マルフォイが駆け寄った。

全身が熱く、冷たく、痛かった。かつてモンタギューに受けた呪いとはまた違う激痛。動く度に引き裂くような痛みに呻き、出血を押さえようと触れるすべてが血と水に濡れ、なす術がなかった。


「人殺し!トイレで人殺し!」


マートルが耳をつんざく叫び声を上げた。リリーは浅い息を繰り返し痛みに喘ぎながらも、無事な生徒二人を目に捉える。


「ポッター!反対呪文を教えろ!」


マルフォイが知る限りの治癒呪文を唱えて尚、リリーには回復する様子がない。彼は自身のローブを彼女に掛けて圧迫し、止血を試みていた。


「僕は……そんなつもりじゃ……」


ポッターはポツリ、ポツリ、と虚ろな声で呟きながら、首を横に振る。マルフォイの顔が絶望に歪んだ。


バタンッ


扉が荒々しく開けられた音をリリーは聞いた。繋ぎ止めたままの意識でパチャン、パシャン、と近付く足音を聞いた。首を回す余裕もない彼女にはその人物が見えなかったが、固まる二人の表情と直感がスネイプだと告げていた。

それは正しかった。

スネイプがリリーのそばへ跪く。マルフォイは彼女へ掛けていたローブをそっと退けて場所を譲った。既に構えていた杖を彼女へ向けると、スネイプは痛々しい深い切り傷をなぞっていく。彼が歌うように唱える声は、リリーにこれ以上ない幸福を注ぎ込んでいった。

三度反対呪文を唱え終えると、杖をローブの奥へ入れてスネイプがリリーへ手を差し出した。


「立てるか?」


リリーは目を見開きその手と彼の顔を交互に見つめる。スネイプが舌打ちをして、呪文で血を拭った彼女の腕を掴み立たせた。その力の強さに彼女の眉間がグッと寄り、スネイプは手を離す。


「医務室へ行く必要がある。すぐにハナハッカを飲めば傷痕も残らないはずだ」


スネイプに手を離されたリリーはなんとか踏ん張って自力で身体を支えていた。しかし多くの血を失った身体で医務室へ歩くことは流石に出来なかった。グラリと揺れる彼女をスネイプが抱き止める。彼はリリーの腕を再度、しかし加減をして掴み、彼女の腰に手を回して支えた。


「ありがとうございます」


リリーはそれだけを言うので精一杯だった。

スネイプは彼女を支えながら、立ち尽くしたままの生徒二人をグッと睨み付ける。鋭い抉るような眼力をマルフォイに、そしてポッターへと向けた。


「ドラコ、寮へ戻っていろ。ポッター、ここで我輩を待て」


二人とも頷きはしなかったが、マルフォイは大股でトイレから出ていった。動く気配のないポッターとすすり泣くマートルを残し、スネイプに半ば引きずられるようにしてリリーもトイレを出た。


覚束ない彼女の足取りにスネイプがため息をつく。それでも彼は掴む手を離さなかったし、もどかしいほどゆっくりとした歩調に合わせて歩いた。


この4ヵ月間、関わりはないに等しかった。その彼が、今隣にいる。その漆黒の目に私を映し、手を差し出して、話しかけ、支えてくれている。

助けてはもらえないかもと、一瞬だが過ってしまった。死にたかったのなら、そうしてやると。彼はそんな人ではないのに。そのくらい彼の憤りを突き付けられたし、やるせなさも失望も感じた。


でも今、彼はここにいるのだ

それがどれだけ私にとって価値があり幸福なことか


自分の未熟さが引き起こしたこの怪我に、反省よりも喜びがフツフツと湧き出してきていた。そしてマルフォイが無事であったこと、スネイプ教授が誓いを破らずに済んだことに安心して、やっと胸を撫で下ろす。

じわりと視界が滲んだ。

左腕はスネイプ教授に掴まれ右手は階段の手すり。拭うことも出来ずに階段を一段下りた衝撃でポトリと零れる。肩が震えないよう力を入れて、声を押し殺した。


「まだどこか痛むのか?」


泣いているのか、とは聞かれなかった。けれどバレてしまっているのは確実で、私は首を振ることで質問を否定する。


「スネイプ教授が、ご無事で良かった……」


声は掠れ、僅かに震えていた。心からの安堵を見せるリリーに、スネイプの眉間が訝る。


「何故私の話になる。巻き添えを食らったのは君だ」

「……そうでした」


リリーは足元だけを見ていた。少し上から見下ろす姿勢のスネイプには彼女の表情が分からない。しかし恐らくは、グイッと口角を上げるだけの笑みを作っているのだろうと彼には想像できた。そのくらいには、スネイプは彼女に関わってきていた。


医務室へ着くと、リリーをベッドへ座らせて、スネイプはマダム・ポンフリーのいる事務室へと歩いていった。そしてすぐに戻ると、真っ直ぐリリーを見据える。


「話は明日だ」

「はい」


パタパタとゴブレットを手に事務室から出てくるマダムを横目で確認し、スネイプは踵を返す。リリーは涙の痕を隠すように頬を擦り、ハナハッカの香るゴブレットを受け取った。

スネイプが医務室を出る直前、バチリとほんの一瞬リリーと目が合う。そこに彼女の恐れた色はない。


明日、何を言われるのだろう


正直に言えば、恐い。それでも今日のスネイプ教授を思い返せば、自然と心が弾んだ。命の危険もあったはずなのに、安全なベッドの上にいる今は彼とのことばかり考えてしまう。

マダムの差し出す二杯目のゴブレットは失った血液を補充する薬だった。夕飯を食べ損ねたことに気付いたが、既に薬でお腹一杯。緩やかにマダムに肩を押され、ベッドに横たわる。

深呼吸を繰り返せば徐々に意識が微睡んで、張りつめていた気が緩むのを感じた。


願わくば、夢の中でも、スネイプ教授に会えますように







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