135 霞


翌日から、スネイプ教授にとって私はゴーストよりも薄い霞の存在となった。何もなかったふりができるような問題ではない。期待もしていなかった。プライベートも、仕事も、挨拶も何もなし。拒絶色の瞳さえ私に向けてはもらえない。

程度の差はあれ、こういうことは前にもあった。でも今回は特別だ。すべての非が私にあると分かりきっている。そしてそれを詫びる言葉が私にはない。

スラグホーン教授に頼まれ地下にいても、スネイプ教授の固く閉ざした扉だけは叩けなかった。


この冷えきった関係のまま、もう元には戻れないのかも


それでも私は《本》を打ち明けはしないし、

彼を救うことを止めはしない。




外を覆う色が変わっても、私とスネイプ教授の間に雪解けはやってこなかった。校庭では雪に押さえ付けられていた新芽が顔を出し始めたのに、私は色を失ったまま。

仕事はいつも通りにこなしていたし、教授方への対応は今まで通り。それでも私とスネイプ教授との間にできた溝が伝わらないはずはなく、けれどみんなそっとしておいてくれた。子供ではないのだ。問題の解決は当人でしなければ。

しかしそんな機会は作れずに、時間だけが過ぎていった。


ウィーズリーの誕生日はアモルテンシアだけの笑い話で済んだし、ケイティ・ベルは無事に目を覚ましたと入院先の聖マンゴ病院から連絡が入った。マルフォイは姿をくらますキャビネット棚の修理にかかりきりで、リリーの見る限り新たな策は講じていない。






スネイプ教授と口を聞かなくなってからもう3ヶ月が経とうとしていた。

慣れとは恐ろしいもので、心に絡み付いて離れない荊も今ではすっかり痛みが麻痺してしまっている。しかし血はじくじくと乾く間もなく流れ続けたまま。

唯一の良いニュースと言えば、フェリックス・フェリシスの調合に必要な材料が揃ったことだ。素晴らしいオーロラの下で摘まれた水草の花弁は青く不思議な輝きを放ち、その秘められし力を十分に溜め込んでいる。

しかし調合は一筋縄ではいかなくなっていた。完璧とも言える手順書があれど、それだけで寸分違わぬ魔法薬ができるなら誰も苦労しない。

加えて、大鍋に満月を映しながら行わなければならない手順が一際厄介だった。季節柄分厚い雲が途切れることは珍しく、月に一度のチャンスに晴れることをひたすら願うしかできない。友に苦しみを与える満月を、こんなにも切望することになろうとは。


「調合に6ヶ月必要、か。『最短でも』6ヶ月に書き直すべきでしょ」


リリーは開かれたままの「上級魔法薬」に悪態を吐き、フェリックス・フェリシス用の大鍋が熟してしまわないよう呪文をかけ直した。






日に日に夏の気配が増し、次の満月には停滞したままの調合を進められる希望が見えてきた。マルフォイのこともスラグホーンのことも上手くいかずに沈むポッターに比べれば、リリーはいくらかマシだった。

たとえ未だ最愛の人物に存在を消されていたとしても。




そんなある日、ハグリッドから手紙が届いた。


「エバンズ先生、ハグリッドがこれを先生に渡してくれって」

「ありがとう」

「先生が来てくださってたら良かったのに。今日の彼、とても授業なんて出来る様子じゃありませんでしたよ」


青々と陽を求め葉を広げる野菜畑でリリーは手紙を受け取った。魔法生物飼育学の授業終わりに託されたのであろうレイブンクローの女子生徒は、ほとほと参った、という顔をしていた。

用のついでにチラリと愚痴を溢して彼女が去ると、リリーは丸められた羊皮紙を開く。


『アラゴグが死んだ。

結局会わせてやることはできなんだな。おまえさんもきっとあいつが好きになったに違ぇねぇ。テネブルスやウィザウィングズと仲良くなったおまえさんのことだ、アラゴグもおまえさんと会いたかったろうよ。

今日、あいつの好きだった夕闇の中で埋葬してやろうと思う。もし、仕事の都合がつくなら、来てくれるとうんとうれしい。俺ひとりじゃ耐えきれねぇ』


シワとインク染みでぐちゃぐちゃになった羊皮紙に、それ以上に悲痛な文字が並んでいた。

今日は姿くらましの試験日ではない。《本》とは少しズレがあるようだが、それは些細なこと。問題はポッターがフェリックス・フェリシスを飲むのか、スラグホーン教授の記憶を引き出せるのか、だ。

リリーは羊皮紙を巻き直すとポケットへ突っ込んだ。


小走りで入った城は昼食前のまったりとした空気が漂っていた。料理の並ぶ前の大広間は人が疎らで、目的の人物がいないと分かるとリリーはすぐに引き返す。探し人はポッターだった。

下りる生徒が大多数の昼の階段。上を目指しているのは彼女だけ。時折かけられる声ににこやかに応えながら、ふらりと行く当てもなく探し歩く。


確かこの先はスラグホーン教授の部屋しかなかったはず


すっかり人気のなくなっていた廊下でリリーは角を曲がった。


「おっ!と、リリー。すまんね、通してくれ……」


出会したのはスラグホーン。リリーを半ば押し退けるようにして先を急いでいた。腹が減って仕方ない、といった様子でもない彼に、リリーは彼の来た廊下を覗く。そこには不満顔で佇むポッターがいて、その奥の角からは同じようにひょっこりとウィーズリーが顔を覗かせていた。


「ポッター、スラグホーン教授に用事だった?」

「あぁ、いえ……はい、まぁ」


煮え切らない曖昧な返事をするポッターに歩み寄れば、逆方向からもウィーズリーがやって来た。


「伝言か勉強なら私が代わりになろうか?」

「いえ、あー……他のことで話があって」

「そう、じゃあ残念だったね。……運が足りなかったのかな」


リリーはにこりと微笑んだ。ポッターの隣に並んだウィーズリーが思案顔でポツリと何かを呟く。リリーには届かなかったが、目論見が成功した確信があった。


「昼食を食べ損ねないようにね」


軽く手を振りリリーは二人とすれ違うようにしてその場を去った。


「運!幸運だよ、ハリー!」


ウィーズリーの興奮した声が角を曲がったリリーにも届く。


「何のこと?」

「だから――」


ウィーズリーは声を潜める必要性に気づいたらしく、それ以上は聞き取れなかった。しかしリリーの頬は緩みほくそ笑んでしまうのを止められない。階下へと続く壁のような扉を開き、大広間へと歩く間中、リリーは数ヵ月ぶりの高揚感を噛み締めていた。


さぁ幸運と悪影響、どちらに軍配が上がるだろう







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