8 ハロウィン


物語が大きく動くハロウィンがやって来た。

自室の隠し部屋で今日の出来事を確認する。開かれた《本》を何度も読み返して、流れを頭に叩き込んだ。

初めて見付けたときはただの四角い箱のようだったこの部屋も、今では地下牢程度には飾り付けられている。四隅にランプを設置し、簡易の棚と一人掛のソファにテーブル、《本》を入れた箱用の金庫。生活には上の部屋のみで事足りるため、これで十分だ。

今日はポッターたちを尾行て、事の成り行きを見守る。去年は人伝に聞くばかりだった出来事が、今目の前で起ころうとしているのだ。こんなに昂ることがあるだろうか。今日に比べれば、暴れ柳やピクシー妖精なんて何でもない。《本》の内容を確認するという名目の元、リリーの心は気軽な観劇にでも行くような心地で弾んでいる。




フリットウィック指導の元、大広間はハロウィン仕様に早変わりし、リリーとハグリッドで用意した巨大ランタンも堂々と入り口や職員席横に鎮座している。隊を成して飛び回るコウモリが、思い出したように高度を下げてはスネイプの頭上を舞う様が、生徒たちには好評だった。

平常時より少し陰湿な雰囲気の大広間は大盛況で、ガイコツ形のキャンドルが生徒たちの笑顔を照らす。しかしそこにポッター、グレンジャー、ウィーズリーの姿はなく、《本》の通りに地下牢へ向かったであろうことが窺える。

時刻はまだ19時を過ぎたところ。ポッターたちが地下のパーティを抜け出すには早い時間だ。


「セブルス、食べていますか?」

「勿論です」

「リリー、このローストビーフをセブルスへ。さぁ」


会話だけ聞けば親子とも思えなくないやり取りに笑いをこらえるのは一苦労だった。加えてリリーの席はスネイプとマクゴナガルの間。流れるような彼の席取りは、リリーを壁役に仕立てる段取りだったと言うのが彼女の見立てだった。

反論は得策ではないと判断したらしいスネイプは、左から右へと回された皿を黙って受け取った。ローストビーフをメインにマッシュポテトやサラダが彩りよく取り分けられたその皿は、長く生きた彼女なりの気遣いに溢れている。

放っておいてくれと書かれた彼の顔が、傾けたゴブレットから見え隠れする。


「召し上がらないんですか?」

「我輩にも食の自由がある」


マクゴナガルの笑い声にリリーがギクリと振り返れば、彼女は左を向き、ダンブルドア校長の面白話に熱心に耳を傾けていた。そもそも自分には動揺する理由がないと気付いたのは、それから数秒後のこと。


「教授のご厚意だ。ありがたく戴きたまえ」


監視の目がないのを良いことに、受け取られたはずの皿がズイッと押し戻される。リリーの食の自由は丸きり無視したご厚意に顔をしかめると、スネイプは意地悪くニヤリと口を歪ませた。


「お嫌いなものでもありましたか?」

「いや、特には」


話しながらもチラチラとマクゴナガル教授を確認する。好意が突き返されていると知ればいい気はしないはずだ。何故私がこんなにも気を揉まなければならないのか甚だ疑問ではあるが、職場の人間関係を円滑にするのも仕事のうちだと考えよう。

それにもうひとつの悩みの種は遠くでライラックを輝かせているため良しとする。今晩のロックハート担当はどうやらフリットウィック教授に決まりだ。スネイプ教授といるときは面白いほどに絡んで来ないので有り難く利用させていただいているが、今夜は私も甘んじよう。

ツンと澄まして何の押し付けもなかったようにスープにスプーンを潜らせている隣の男を怨めしく見る。前を向いたままの彼に「今後は初めから断ってください」と呟いてから、件の皿を引き寄せた。

今日はこれから階段を駆け上がって廊下をさ迷う予定がある。食べる量を控えていたのに、想像だけで胃がチクチクし始めた。




大広間に並べられたデザートが減り始めた頃、皿をピカピカにし終わったリリーは席を立った。玄関ホールでポッターたちを待ち伏せるためだ。既に教職員席のいくつかは空になっていて、不自然には見えないだろう。


「リリー、デザートは食べないのですか?」

「今日はもうお腹一杯になってしまって。廊下が生徒で溢れないうちに戻ります」


目敏いマクゴナガルを笑顔で躱す。当たり障りない断り方はこうだと見せつけるようにスネイプへ視線を走らせたが、彼は興味なさげにフォークでレタスをつついていた。




滑るように大広間を出て玄関ホールの鎧を通りすぎ、誰も見ていないのを確認してから箒置き場へ身を隠した。すうっと深呼吸をして、杖を自身へ向ける。前以て目くらましの呪文を練習しておいた。頭の天辺から足先へ、冷気が流し込まれる感覚を身震いでやり過ごす。手を翳すと透けて箒が見えた。

慎重に確かめながら箒置き場の戸を開ける。あとはポッターたちを待つだけだ。リリーは二階への階段のすぐ側に立ち、息を殺した。

私に蛇語は聞こえない。しかしまだここを通りすぎてはいないはず。

癖でかざした腕時計は透過し、石畳だけがそこにあった。体感で10分、30分と過ぎていく。いよいよポッターたちを探しに地下へ下りるべきかと悩み始めたとき、大広間からの喧騒に混ざり、パタパタと複数の軽い足音が耳に飛び込んできた。興奮と戸惑いがひしめくような声が聞こえ、主が姿を現す。


ポッターだ。


彼は頻りに首を降り何かを探すような動作を繰り返した後、真っ直ぐ二階への階段を駆け上がった。私には聞こえないが《本》では確か蛇が『血の臭いがする』と言っていた。二人の友人がそれに続き、私も後を追いかける。

「誰かを殺すつもりだ」と叫ぶポッターに導かれ、三階への階段を上りきる。ローストビーフが胃の中で跳ね回るのを感じながら、尚も走る彼らに従う。なるべく足音を立てないように移動するのは骨が折れた。


「見て!」


高い少女の声が廊下に響いた。それを合図に慎重に何かに近づいていく。ヌラヌラと光る気味の悪い赤い文字。判読できる距離になり、私たちは、文字の下の影にも気づかざるを得なくなる。


松明の腕木に尻尾でぶら下がるミセス・ノリス

そして、そのすぐ下で床に横たわる見知らぬ猫に


ハッと息を呑んだ。口に当てた手は遅く、彼らも同じ衝撃を受けていなければ聞こえていただろう。リリーは壁を背にし、へなへなと空気の抜けたバルーンのように座り込んだ。

猫が二匹。ピクリとも動かない様子に、どちらも生きているとは思えなかった。《本》が正しければ石化しているはずだが、その《本》が犠牲者はミセス・ノリスだけだと告げていた。少なくとも今日、不運にもバジリスクを見てしまうのは彼女だけのはずだ。

一体何が起こっているのか。去年の出来事は、私の知る限り《本》と寸分違わぬものだった。知らないだけで、今回のような違いが起きていたのだろうか?去年と今年に何か変化でもあっただろうか?


―――私だ


途端、カチャリと何かが嵌まった。

去年と今年の大きな変化。それは私だ。リリー・エバンズは本に登場しない。しかし今こうして職員としてホグワーツにいる。ポッターと話し、《本》のエピソードにも立ち会い、登場人物として書かれていないのは不自然なほど、入り込んでしまっていた。


私の存在が、物語に干渉している

それも悪い方向で


何故今まで考えなかったのだろう。浅はかで、軽薄で、愚かしい。私はここにいるべきではなかった。観劇を待ちわびる数時間前の鼓動がひどく滑稽で、許し難い。

私はここへ遊びに来たのではない。ハリー・ポッターの行く末を見守るためだ。それが今、壊れようとしている。


ざわざわと溢れる何百もの足音と、屈託のない笑い声が押し寄せ、止まった。急いで壁に張り付いた見えない存在を気にするものはなく、みな一様に向かいの壁を凝視していた。


『秘密の部屋は開かれたり
後継者の敵よ、気を付けよ』


愛猫の悲劇に取り乱すフィルチさんの悲痛な叫びが聞こえた。悲しみに怒りを乗せポッターを責める声は、ダンブルドア校長に制されるまで続いていた。

いつまでも壁と一体化しているわけにはいかない。ことが落ち着いたら、ダンブルドア校長に辞職を願い出よう。

校長が引き連れてきた教授方に紛れ、今駆けつけたように姿を現す。スネイプ教授の後に陣取ると、表情の読めない顔でこちらを見たのが分かった。


「アーガス、一緒に来なさい。ポッター、ウィーズリー、グレンジャー、きみたちもおいで。エバンズ先生にはミセス・ノリスのお友だちを知る者を探し出していただきたい」

「はい、校長」


ロックハートの提案で彼の部屋へと連れ立って歩く一行を見送り、私は動揺を胸の奥へと押しやった。ダンブルドア校長はこれも《本》に書かれていると思ったのだろうか。私なら、容易く残りの飼い主を探し出せると。


「みなさん!猫を飼っている人は特に聞いて。種類は恐らくヒマラヤン、白と黒の毛並みに青い目、老猫だと思います。首輪は黄色。タグはありませんでした。心当たりのある人は急いでペットを確認してください。見つからない場合は……ここへ戻ってきてください」


ヒッと息を呑む子、慌てて駆け出す子、腰を抜かす子。彼らを呑み込みながら、生徒の波が寮へと引き上げた。しばらく待って現れたのは、ハッフルパフの一年生。友達に支えられながら現れた男の子は、青白い頬をベタベタに濡らし声をあげていた。

側に立つのが友人から私に変わっても、彼の嗚咽は止まらない。この涙の原因が隣にいるとは、到底思わないだろう。肩を抱き、死んだわけではないと慰められたらどんなに良いか。


「ダンブルドア校長、連れてきました」


何度か入ったロックハートの私室は重苦しい静けさで満たされていた。写真の彼は姿を隠し、絞られた灯りの中で蠢く何人もの影。そこへ新たな一人を加えると、リリーはダンブルドアへ歩み寄る。


「このあと、お時間をください」


耳元で彼にだけ告げた言葉に「よかろう」と返事を貰い、リリーは一人部屋を出た。コツリコツリと足音に合わせ呼吸までもが響きそうだった。

もう一度《本》を読み直してみよう。気づかなかっただけで、見落とした何かがあるかも知れない。悪化の予兆のようなものが、何か。







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