7 風邪


風邪の流行が落ち着き始めると、今度はハロウィンが間近に迫っていた。ハグリッドの育てていた巨大カボチャが収穫期を迎えたため、午前中はランタン作りを手伝う。

オートミールとコーヒーで朝食を済ませ、まだ賑わう大広間を通り抜ける。


「おはようございます、スネイプ教授」

「…おはよう」

「本日は少し早めにお伺いします」

「第三地下牢教室だ」


業務連絡や生徒各々と挨拶を交わし、玄関ホールを抜け、校庭を歩く。冷たい空気にマントを掻き合わせサクサクと霜を楽しむ余裕もなく、急ぎ足でハグリッドの小屋へと辿り着く。


コンコン


「ハグリッド、お待たせ」

「エバンズ先生!もう来る頃かと思っちょった。収穫は先に済んどるんで。さぁ、こっちです」


始める前に少し暖まりたかった…。扉からふわりと舞い出た暖かな空気に別れを告げ、半ば抱えられるようにしてカボチャ畑へ連行される。

巨大カボチャは近付かなくともその存在感を十二分に発揮し、見事な橙色を誇らせていた。ハグリッドをも隠してしまえるその大きさに、自分の手に逐えるのだろうかと今更ながら不安になる。


「先生はそのちいせぇのを頼んます。底をまぁるく切って中のもんを出しきってから顔をくり貫けばいいんでさぁ」


まるで容易いことかのように言ってのけたハグリッドが指したカボチャは、どう捻っても小さいとは言えない。並んだ巨大カボチャの物差しで言うなら、私なんて小鬼サイズだ。手渡された巨大ノコギリも落としそうになったところを地面スレスレで免れた。


「任せて、ハグリッド。あっという間に終わりそう」


気まずそうに頬を掻く彼に笑って肩を竦めてみせ、押してもビクともしない巨大カボチャに杖を向ける。ゴロンと横倒しにさせるだけで大仕事だ。それをハグリッドは自身の力でやってのけるのだから頼もしい。

各々が各々のカボチャに挑みながらも、心地よい談笑が畑を包む。ハグリッドは一年生の頃のポッターについて大いに語り、リリーは授業でのポッターについて語った。


「今年はポッターが平和に過ごせると良いんだけど」

「ハリーにはダンブルドア校長先生が付いちょる。なぁんにも心配いらねぇ」


豪快にカボチャの目玉をほじくりながらハグリッドが吼えるように笑う。合わせて私も笑おうとしたが、学年末の戦いが頭にちらついた。それに数日後のハロウィンには…。


「どうした、エバンズ先生?」

「え?あーカボチャの匂いに酔ったせいだよ。ハグリッドは?心配事、ない?」


顔ほどの大きさもある種を放り投げ、心配無用と質問を返す。カボチャの匂いに辟易していたのは本当だから言葉にも真実味が出たと願おう。


「こいつの準備が終わったら、暫く先生に頼むもんはねぇです。昨日雄鶏が二羽殺されちょったのは、防護策をダンブルドア校長先生にお願いしてみんと」

「襲われ…っくしゅん!ごめん、襲われてたの?」

「絞め殺されちょったんだが…大丈夫か?」

「ありがとう、問題ないよ」


それからは森に住む非魔法生物の話に花が咲いた。ボウトラックルと鳥の共存について議論が白熱してきた頃、最後のカボチャがニタリと笑い、ようやく5つの巨大ランタンが完成した。


「また何かあれば声かけてよ」

「先生のお陰で随分と早く済んじまって、助かりました」


ブンブンと手を振るハグリッドに見送られ、校庭を踏み鳴らす。ハグリッドの横でポンポン魔法を使うのは気が引けて、なるべく身体を動かしたは良いが、じわりとかいた汗が今は冷たい風によって氷のように変化した。

手早く杖を振って乾かしても、既に身体の芯は冷えきっていた。来たときよりも強くマントを抱き、一目散に自室へと駆け上がる。昼休みまでまだ30分はある。シャワーを浴びて温まりたい。

暖炉に火を灯し、寝室への扉を開ける。マントを壁へ掛け、誘われるままベッドへ腰を落ち着ける。あれだけ胸を膨らませていたシャワーへの思いも、暖炉の温もりに満たされていくにつれ気配を消した。残るのはただ、一仕事終えた倦怠感。

少しだけ、少しだけ昼寝をしても良いだろうか。みんなが授業あるいは仕事をしている時間の休憩は、蜜をたっぷりつけたスコーンのよう。昼食が始まる頃には起きて、それからまたシャワーのことを考えればいい。午後は早めに地下牢教室へ行って……。




嫌にパッチリとした目覚めだった。あまりに急な覚醒だったため、有り余った勢いがグイと身体を引き起こす。


「……っあ…?」


目覚めの勢いとは裏腹に、リリーの上半身は夢半ばで再びベッドへ沈み込んだ。慣れたスプリングの音にズキリとした痛みが重なる。嫌な予感だ。

なるべく振動を与えないように身体を起こす。頭は重く、身体の節々までも呻いている気がした。悪寒は暖炉のせいかと覗き込んでみたが毅然と燃え続ける様に、どう考えても自分の体温が上がったのだと認めざるを得ない。

これは昼食よりも先に医務室行きか。スネイプ教授にも連絡しておかなければ。時間はあとどのくらい残されているのだろう。リリーはようやく腕時計に目をやった。

ゾクリ。風邪のものとは違う寒さが背を撫でる。時計は14時を過ぎたところを指していた。昼食どころではない。既に午後の授業中だ。

やらかした。

学生時代でさえこんなへまはしなかった。今さら急いだところで仕方がないという諦めがリリーを開き直らせる。ほんの数時間で何倍にも重くなった身体を引きずり、マントを着込む。

のそりのそりと自室から這い出て向かったのは地下牢教室だった。このまま医務室へ向かっても同じことだろうが、先に直接遅刻の言い訳をさせてほしい。そう思わせる迫力がスネイプ教授の纏う空気にはあった。

コツリコツリと人気のない廊下を歩く。途中、甲冑でゴソゴソしているピーブズを見かけたが、今は窘めている余裕はない。帰りはここを通らないでおこう。




辿り着いた地下牢教室。中の様子は窺い知れないが、いつもの流れからして今頃は調合中だろう。躊躇っていても仕方がない、手早く済ませてマダム・ポンフリーの小言を聞きに行こう。

リリーはなるべく音を立てないように扉を開く。熱心に大鍋をかき混ぜ何かを刻む生徒たちの背中が見えた。その間を揚々と闊歩する漆黒のローブ。時折はためかせては周囲の生徒を威圧し訓戒を呈している。

不意に黒の面積が大きく棚引き、その両眼と目が合った。嫌忌を孕んだ視線に竦んでいると、まるでリリーなど居なかったかのように再び大鍋に目を向け地を這うような声を轟かせる。


ダメだ、引き止める気力もない。最初から大人しく医務室へ行くべきだった。


茹だりそうな目に冷えきった指を押し当てる。そもそも何故こんな地下まで降りてきたんだっけ。寒くて震えが止まらない。回復してから出直そう。






リリー・エバンズが仕事を無断で休む人間だとは思わなかった。朝は早めに行くとも言っていた。何かあったのではと頭の片隅で気にかけながら、一人で授業を開始した。

にもかかわらず、彼女は午後の授業が始まってたっぷり時間を空けてから、五体満足で現れた。

苛立ちのまま睨み付ければ、怯えた目をしていた。そのまま無視をしようと一度は踵を返したが、先程の目にどこか違和感を感じ、再び彼女に目を向ける。

目に手を当てたまま扉で固まる姿に訝しさを感じながらも近づけば、彼女はその手の下から上気した頬を覗かせ、覚束ない足元を扉を掴んだ片手で支えているようだった。






「遅刻の言い訳かね?ご自分の仕事を放り出すほどのことがあったのなら、是非お伺いしたいものですな」


随分と近くで響いたバリトンに温くなった指をずらすと、そこには渓谷のような眉間を携えた黒い影が立っていた。頻繁に教室へ視線をやりつつもこちらを威嚇し続ける。


「申し訳ございません、スネイプ教授。風邪を引いたようで…医務室へ行ってきます」


そう、言えたと思う。喉から絞り出した声とも呼べない掠れた呻きは、果たしてスネイプ教授に届いただろうか。


「流行りは過ぎたはずでは?…行きたまえ」


何とか聞き取ってもらえたものの、ため息と共に扉を閉められ、惨めさが次々と湧いてくる。とぼとぼと歩く廊下に響く一人分の足音がクスクス笑いに聞こえるのも、熱のせいだろうか。


その日はどっぷり日が沈むまで耳から煙を出し続けた。翌日の朝食では蝙蝠教授特製の嫌味でデコレーションされたオートミールを味わう羽目になった。







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