131 恋模様


今年度初めてのクィディッチ戦はカラリと晴れた陽の元で行われた。けれど興味のない私は自室の階下でパラリ、パラリ、と《本》を捲る。上方に一つだけの小さな窓からはそよそよと冷たい空気が注ぎ込まれていた。

不意に大きく風がうねり、手元を照らしていた蝋燭の火が消える。リリーはため息を一つついて窓を閉めた。火を灯し直して元のソファへと腰かけると、ページはちょうど今日のことについて予言されていた。


私は予言に悪影響を及ぼしてきた。このホグワーツで起きる色々なことを変化させ、その度にあくせく対処してきた。でもそれは怪我や命に関わるもの、未来に分かりやすく関与するものにだけ。

例えばクィディッチ、例えば友情、例えば恋愛。

そういったポッターの内面的な部分は全くと言って良いほど確かめてこなかった。唯一何かしたと言えるのは、シリウスに吼えメール送ったことくらい。

リリーは両面鏡を入れたままの棚を見つめた。

かつて鏡の向こうで笑い、怒り、時には息苦しい牢獄のような現状への不満を愚痴た友人はもういない。ようやく心に折り合いをつけてこの部屋に下りてこられたのは今月になってからだった。

かぶりを振り、緩やかに息を吐き出す。そして無理矢理に思考を引き戻した。


ポッターらの関係は今どうなっているのだろうか


今まで無視してきて傍目には《本》と大差なく進んでいたようだから、今更出しゃばる気はない。それでも《本》で彼らの恋愛を追えば、多少は気になった。

最後に描かれた19年後の世界。

辿り着く先が同じであってほしい。


コンコン、と控えめなノックが響いた。上階の私室に訪問者がいる。リリーはふっと蝋燭を吹き消し、《本》を金庫にしまい込んだ。


「どちら様?」


螺旋階段を駆け上がり隠し扉兼上室の床を押し上げながらリリーが訊ねる。


「ハーマイオニー・グレンジャーです」


声は僅かに震え、覇気がなかった。時刻は昼をいくらか回ったところ。彼女が想い人と親友の出場するクィディッチを観戦しないわけがないから、試合は終わったのだろう。そして彼女の様子から察するに、恋愛のいざこざは順調に進んでしまったらしい。

つまり、ウィーズリーに彼女ができた。

そんな彼女が何故ここを選んだのかは定かでないが、追い返す選択肢はない。色々と忘れて勉強に打ち込みたいのかも。その気持ちには覚えがある。

リリーは扉を開けた。


「さぁ、入って」


グレンジャーの目はほんのり赤かった。それでも腕にはしっかりと何冊もの分厚い本を抱えている。OWL試験で優秀な成績を納めた彼女は監督生の役割とも相まって忙しくしているようだ。


「コーヒーを淹れるよ。砂糖とミルクも入れてたよね」


この部屋に生徒が訪ねて来ることはよくある。しかし教科書を抱えにこやかに、或いは切羽詰まった顔でソファに落ち着く彼らには決して振る舞うことはない。それはグレンジャーに対しても同じで、以前一度だけ振る舞ったときはクリスマスプレゼントの礼を言いに来てくれていた。

でも今日は特別。


「はい。ありがとうございます」


いつもなら出てこないマグカップに驚いて、グレンジャーはにこりと笑った。ソファに座ると抱えていた本を机に乗せる。


「あー、砂糖漬けパイナップルしかない。贈り物用だけど開けちゃおうか」


同じような状況を《知って》いる気がして、はたと止まる。そして棚に向いたまま苦笑いした。


大丈夫、これに毒は入っていない


用意したものをテーブルに並べ、リリーもL字のソファへ腰かける。はす向かいではグレンジャーがコーヒーに砂糖とミルクを入れた。くるくると螺旋を描き黒に混ざり合う白を眺めている。


「古代ルーン文字、闇の魔術に対する防衛術、変心術……これ全部かな?」


リリーが持ち込まれた参考書を見ながら教科を挙げる。彼女は特定の科目を担当しているわけではない。そのため生徒はあらゆる教科の質問を一気に持ち込むことが度々あった。

好みに調節し終えたコーヒーでゴクリと喉を潤したグレンジャーが慌てて首を横に振る。


「変心術と闇の魔術に対する防衛術を少しだけです」


グレンジャーの『少しだけ』が本当に少しで済んだためしはない。リリーはチラリと腕時計を見て、茶菓子を用意したのは正解だったかもしれないと苦笑した。




グレンジャーの『少しだけ』の質問は何とか夕食前に片が付いた。クィディッチで盛り上がり明日も休みとあって、今日のうちに疑問を解決したいと望む生徒はグレンジャーだけだった。


「ありがとうございました」


気づけば散らかり放題だった机上を片付けながら、グレンジャーがスッキリとした顔で言う。


「いつでもどうぞ」


持ち込んだ参考書を積み上げるグレンジャーを眺めながら、リリーが教師としての笑みを浮かべた。てっきりそのまま部屋を出るものだとばかり思っていたリリーは、そうしない彼女に首を傾げることで問いかける。


「あの、私間違ってました」

「間違い?」


質問の続きだろうか。それにしては机上は片付け終えている。


「分かったんです。先生はルーピンさんが好きなんじゃないって」


リリーは砂糖漬けパイナップルへと伸ばしていた手をピタリと止めた。

勉強会が始まる前は恋愛に意識が向いていた。しかしそれは彼女たちに対するものであって、自分のことでは決してない。だがまぁ誤解が解けたと言うのは喜ばしい。今日は彼女にも色々とあってそんな話をする気分なのだろう。私がどこまで乗れるかは分からないが、何か未来に貢献出来るかもしれない。

リリーは再び手を動かしながらパイナップルを摘まみ上げた。


「随分と今更な話だね」


努めて穏やかに言うと、リリーはパイナップルを口に放り込んだ。


「……先生には、別の想い人がいらっしゃいますよね」

「――っ!」


確信的なグレンジャーの目に見つめられ、二、三度咀嚼しただけのパイナップルがするりと喉へ滑り込んだ。リリーは噎せながらも空のマグカップへ水を注ぎ喉へと押し流す。


「お二人は……?」

「グレンジャーが誰を想像しているのか分からないけど、私に恋人はいないよ」


「誰にも恋慕などしていない」とすべてを否定するのは愚行な気がして、リリーはそう返した。


「グレンジャーは?ここへ来たとき少し目が赤かった」


リリーの言葉にハッとしたグレンジャーは手鏡を取り出した。それは彼女が初めてこの部屋へ訪れる理由にもなった鏡。グレンジャーはいつも通りのブラウンの瞳を見つめはにかんだ。


「素直になれないんです。たぶん、お互いに」

「難しい問題だよね」


リリーが黒衣の彼を真似て眉間を寄せ口角を下げる不機嫌顔を作り出した。そして肩を竦めるとクスクスとグレンジャーが笑い出す。リリーもふっと力を抜いて笑った。


「ポッターも大変だね」

「ハリーが?」

「三人でいることが多いでしょ?そのうちの二人に何かあれば、残る一人は大忙しだと思うけど」

「あー……でもハリーは自分の恋愛で手一杯かも」


親友の恋愛事情について言い触らす彼女ではなかったが、同年代の生徒より少し大人びた顔でまたクスクスと笑う姿はもう到底少女と呼べるものではなかった。

夕食の時間になり、再び礼を言ったグレンジャーが部屋を去る。


まさか自分の気持ちがバレていたとは。そんなに分かりやすかっただろうか。色々と吹っ切れてから、少し舞い上がっていたかもしれない。バレて困るわけではないが、これからのことを思うと、彼は応援したくなる理想の相手ではない。

これ以上多くに自分の恋心をひけらかしてしまわないうちに、リリーは再び心を奥底へと沈めた。








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