128 スラグホーン


新入生の歓迎会が終わるとリリーは一度自室へと戻り、すぐに部屋を出た。そして絵画と松明の並ぶ廊下を足早に過ぎ、目的の扉をノックする。


「リリー・エバンズです」

「おぉ、君か!さぁさぁ、入りなさい」


扉を開けたのはスラグホーンだった。でっぷりとしたお腹を揺らし、何十年も変わらないセイウチ髭を震わせ中へと誘う。リリーは礼を言って入り、勧められるままソファへ座った。


「先程はご挨拶出来ずすみません。長旅でお疲れでしょうし、すぐおいとましますので」

「いやいや、気にせんで構わんよ。君なら歓迎だとも。ハリー・ポッターを迎えに行ってたんだって?彼は一体どうした?」


すぐに学校一番の注目株へ話題が移り、リリーは内心苦笑しながら申し訳なさそうに眉尻を下げた。


「私は指示されるまま校門へ行っただけですので、彼に何があったかまでは……」

「そうか、そうだろうな。まぁ、彼は歓迎会にも出席したのだから、何も問題はないのだろう」


スラグホーンはうんうんと頷いた。そして頻りにリリーの傍らへ視線を向ける。それは彼女が部屋へ入った瞬間から浴びていたもので、一旦自室へ寄った理由が置いてある。リリーは気付きながらも少し勿体つけて話題を先伸ばしにしていた。


「教授が戻ってこられると聞いて嬉しくて、生意気にもお祝いをご用意させていただきました。学生時代のお詫びと、これからお世話になる分……にしてはささやかですが」


リリーが持ち込んだ箱をテーブルへ置くと、途端にスラグホーンの瞳が輝いた。「これは、これは」と繰り返しながら早速箱を開け、取り出したものを摘まみ上げる。


「ほっほう!パイナップルの砂糖漬け!私は昔からこれが大好物でね。知っていたのかね?」


パクリと我慢しきれずスラグホーンが一口放り込んだ。彼の様子に満足げに微笑んで、リリーが首を横に振る。


「いいえ。ですからスラグ・クラブにいた友人に相談しました」

「君は結局一度たりとも来てはくれなかった!覚えているとも」


言いながらもスラグホーンに責める雰囲気はまるでなく、リリーはホッと胸を撫で下ろす。


「その節は申し訳ありませんでした。無知で生意気な小娘のしたこととご容赦いただけませんか?」

「もちろん、もちろん、怒ってなどいない。そんなことより、魔法省で久々の神秘部入りが君だったと聞いたときには私は喜んだ!その君からセブルスと連名の手紙が来たときも驚いたが、まさかホグワーツで再会しようとは夢にも思わなかった」


2年前、リリーとスネイプは脱狼薬についての仮説と考察を綴った手紙をダモクレスに送るため、スラグホーンに仲介を頼んだことがある。

リリーの手が伸びないうちにとスラグホーンは砂糖漬けパイナップルを箱にしまいこみ、隅へと退けた。そして大袈裟に両手を広げ喜びと驚きを表現してから「一体何故ホグワーツに?」と言外に問う。


「少々ご縁がありまして。教授の授業もお手伝いさせていただければ光栄です」


それを曖昧に返して、スラグホーンの口が開かぬうちにリリーが「あれは?」と話題を移す。彼女の指す先には大鍋が三つ。蓋が閉められ匂いは漂ってこないが、まだ地下へ移動される前の魔法薬が並べられていた。


「授業で生徒たちの興味を惹くかと思ってね。先に君に見せてあげよう」


スラグホーンがよくぞ聞いてくれたとばかりに口端を上げた。ひょいと立ち上がり大鍋へ寄る後についてリリーも倣う。そばへ来てみると死角に小さな鍋があることに気づいた。彼が手前三つの大鍋の蓋を開けると独特の香りと湯気が忽ち天へと昇っていく。


「もちろん君なら何か分かるだろうね?」


リリーは微笑んで色と香りをよく確かめようと覗き込んだ。何があるのか《知っている》。しかしそうでなくとも持っている知識だけで事足りた。


「アモルテンシア、ポリジュース薬、真実薬」


リリーがそれぞれの大鍋を指して言った。すべて言い当てるとスラグホーンは大きく頷き「君には簡単すぎるようだ」と笑う。

リリーは再びアモルテンシアの前に立ち、立ち昇る螺旋の湯気を今度は深く吸い込んだ。先程軽く嗅いだだけでは正体の掴めなかった香りがどうにも気になる。

家や図書館のような古い本の香り、

スッと通る爽やかなミント、

そして――


「――っ!」


掴めなかった香りの正体に気付きリリーは大鍋から飛び退いた。反射的に鼻を覆うように隠し赤い顔を逸らす。


「何を嗅いだか聞くのは野暮だろうな。……君は昔から何でもそつなく煎じてみせる子だったが、ペアを組ませるといつも余るのは君だった。卒業する頃には随分変わっていたが……今は一番良い表情をしているね」

「それは……ありがとうございます」


楽しげに、しかし嫌な笑い方ではなくスラグホーンが言った。リリーの肩に手を乗せポンポンと叩く姿はさながら子供の成長を喜ぶ親のよう。自分の虚栄心を満たす快適さだけを追い求めてきたようなこの人にもこんな表情が出来たのかと、リリーは面食らってしまった。

リリーはくっと口角を引き上げ平常心を取り戻す。顔に集まっていた熱が引くとスラグホーンへ向いた。


「懐かしいです。私の時は確かアモルテンシアと元気爆発薬と老け薬を用意してくださいました。そして、フェリックス・フェリシスも」

「今年も用意してある」


スラグホーンは三つの大鍋に隠れるように置かれた小さな黒い鍋を見た。彼の授業では六年生の初回授業で最も優れた魔法薬を煎じた者に褒美としてフェリックス・フェリシスを与えるのがお決まりだった。


「確か獲得したのは君だったね?」

「はい。ですがそのまま祖父に譲ってしまいました」

「ほっほう、そうだったのか。こりゃ珍しい人間がいたものだ。幸運を必要としないとは!」


スラグホーンは元々真ん丸に飛び出た目を更に大きく見開いた。幸運に惹かれないことが全人的であるとは限らない。リリーは苦笑いしてからゆっくりとした呼吸をひとつして、目に力を込める。


「スラグホーン教授。私がフェリックス・フェリシスを煎じることは可能だと思われますか?」

「これを、君が?」


スラグホーンは見開いた目をそのままに首を傾げる。何故そんなことを聞くのかと言いたげに眉を潜めた。


「ただの知識欲です。昨年度は脱狼薬について学ばせていただいたので、次はもっと違うタイプの難解な魔法薬をと考えました。今年度はスラグホーン教授が来てくださり、私は幸運に違いない、と」


リリーはにっこりと人好きのする笑みに敬愛の眼差しを携えスラグホーンを見つめた。分かりやすい媚びにも彼は気を良くしがちだ。あとは常々疎んできた《呪い》がそれを後押ししてくれたなら。


「まぁ……これを煎じることが出来る人間は多くない。調合に半年かける根気は……あるだろうな。脱狼薬を煎じるだけの技術……以前くれた手紙の発案者は君だったか?ならばセンスも備わっている……」


彼はモゾモゾと髭を撫で付けながら考え込んでいた。


「君は実際にフェリックス・フェリシスを作ってみたいのかね?」

「はい。仕事の傍ら、取り組んでみようかと思っています。ですが……」

「どうした?」

「そもそもの材料集めに難航しそうで」


リリーが困った笑みを浮かべると、スラグホーンも「あぁ確かに」と頷いた。


「難航しそうなのはあの水草かね?」

「その通りです」


ロベリアの一種であるその水草は、オーロラの映る湖に自生する。その青い花弁が必要なのだ。栽培も出来ず、開花している時期とオーロラの出る日が重ならなければ収穫しても意味はない。現れるオーロラの出来と効果が比例する研究結果もあるのだから尚更厄介だった。

そしてそんな貴重な水草がひと度市場に出回れば忽ち売り切れてしまう。そのほとんどが権威者へ買われるだろう。リリーに回る分などあるはずもない。


「幸い私はこういった希少価値の高い魔法薬材料収集を生業にしている友人がいてね。彼に頼んでやっと手に入った。……君もあやかりたいと?」

「スラグホーン教授が承諾してくださるなら、はい」


リリーはじっとスラグホーンの瞳を見つめていた。彼の目がテーブルの箱へ移り、また彼女と戻る。


「まぁ店を渡り歩いて探すよりは早いかもしれんな。声をかけるくらいならしよう。しかし彼にも仕事があるわけだし、方々飛び回っているようだからすぐに返事が来るとは期待せんでくれ」

「ありがとうございます!」


今日頼んですぐどうにかなるとは期待していない。しかし大きな一歩を進めることができた。

勿論、最終的な目標はフェリックス・フェリシスの入手であるから、直接的にこの鍋の分を少し分けてほしいと頼むのもありだ。しかし相手は貴重な価値あるものほど抱え込んで離さない。精々スプーン一匙が関の山だろう。

それでは到底足りない。

私は来る1998年5月の戦いに参加する少しでも多くの人に幸運をもたらしたいのだから。


「結局長々とお邪魔してしまってすみませんでした。教授さえ良ければ、明日の授業を見学させていただけませんか?」

「あぁ、あぁそんなことなら、もちろん」


スラグホーンはそれなら悩むまでもないと了承した。礼と就寝の挨拶をしてリリーが部屋を出る。


未来が私の思う通りに進んだならば、その時私は騎士団や生徒のため杖を振るう余裕はない。魔法薬のもたらす幸運と私の及ぼす悪影響。どちらがより強力か、試してみる価値はある。

彼がこの件にどれだけ関わってくれるかで、調合の進み具合が大きく変わる。手元にプリンスの訂正付き手順書はあるが、実物を持つスラグホーンの教えも乞いたい。作り直す時間も材料の余裕もない。チャンスは一度きり。

最悪の場合、彼の煎じた鍋ごと奪う覚悟だ。だがまだ早い。今しばらくは、如何に私との縁に価値があり、彼にとって見返りが大きいか示すことに注力しよう。






翌日、私は約束通りポッターらの授業に参加した。大して仕事はなかったが、私は教科書を持たないポッターとウィーズリーに古い「上級魔法薬」を手渡した。勿論、ウィーズリーにはゲロ付きを。ポッターにはプリンスの蔵書を。

この日ポッターは過去最高の出来として、フェリックス・フェリシスを手に入れた。


新たな歯車が軋みを上げながら回り始めた。







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