126 トンクス


スネイプ教授がスヒナーズ・エンドへ帰省した。次にホグワーツへ戻ってくる頃には新たな苦労をその右手に結んでいることだろう。

「破れぬ誓い」

それは命を懸けて交わす契り。大きな代償を支払う代わりに、誓いの判定は多少なりとも大らかさがある。

私はこの誓いについて知りうる限りの本を熟読し、知識人にも教えを乞うた。しかしどれをとっても明確な答えは得られていない。


予言の《本》でスネイプ教授はマルフォイに危害が及ばぬよう守ると誓ったが、マルフォイはポッターにより怪我を負った。更に失敗しそうな場合には任務の肩代わりをすると誓ったが、マルフォイは呪いのネックレスと毒入り蜂蜜酒で失敗している。厳格な魔法契約の元でなら許されない曖昧さだ。

だからこそ、隙を突ける。

ただその隙がどの程度の大きさかは分からなかった。

人体実験などの非人道的な記録はないし、何を誓ってどこまで許容されたのか。命を懸けるほど重大な誓いを他者にひけらかす人間は少ない。何をもって破ったと見なされたかなど、生き残った方が殺したも同然のその話を誰が語るというのだろう。

《本》の予言の中でスネイプ教授はマルフォイが退学になってしまうことを危惧していた。任務遂行に欠かせない生徒という立場を失えば、例のあの人がどう出るか。誓いで繋がっているスネイプ教授にも影響する。ならば1年間、マルフォイが退学にならずに過ごせれば良いのだろうか。

それにマルフォイが挫けたとき、代わりを務めるのはスネイプ教授本人でなければならないのか。

私の練った計画には、ここに確信を持てる何かが必要だった。






その日は生憎の雨だった。鈍色の空はずっしりと重く佇み地上に希望の光をもたらすまいと立ち塞がっている。室内にいてもしとしとと生暖かな湿気が纏わり付いて、心までもが水滴で重くなりそうだ。

リリーは自室のソファに深く腰掛けていた。コーヒーの香ばしさが部屋中に広がっていく様を堪能し、火傷しないよう少しだけ口を付ける。

そこには客人が一人。火のない暖炉のそばに座っている彼女は、マグカップを両手で握り込んだまま飲むでもなく水面に浮かぶ自分自身を眺めていた。


「トンクス、何か話したければ話せば良いし、話したくなければそれで良いから」

「うん、ありがと」


トンクスと呼ばれた若い女はくすんだ茶色の髪をだらりとぶら下げ、青白い顔で懸命に微笑みを作ろうとした。しかし笑い損ねた頬はヒクリと動いただけで元に戻る。

何故こんなことになってしまったのか。リリーは重苦しい空気にため息を呑み込んだ。そして本棚から適当に一冊を呼び寄せて、パラパラと読む振りを始める。




今日はホグワーツの新しいセキュリティ計画について魔法省の専門機関と護衛担当の闇祓いが打ち合わせに来ていた。対応事態はダンブルドア校長とマクゴナガル教授が行い、下っぱの私に出番なんてあるはずもない。

図書室からの帰り道、私は同じく帰る途中の魔法省一団と鉢合わせた。礼を欠くことのないよう挨拶くらいはしておこう。そう思って近づいた。

すると一団の後方、薄暗い廊下に溶けるようにして佇む若い女性が目に止まる。その姿が気になって、挨拶を終えたあと、声をかけずにはいられなかった。


『人違いだったらごめんなさい。トンクス?』


本来の姿を見たのはそのときが初めて。しかしリリーには打ち拉がれた女性がトンクスであると分かった。


『リリー……久しぶり。元気?』

『それなりにね』


共に帰る必要はないらしく、彼女は片手を上げ他のメンバーから離れた。私もダンブルドアらに軽く頭を下げる。去り際の彼らの視線が「トンクスを任せた」と言っているように見えた。明るいムードメーカーの彼女が落ち込み続けている様子にみな心配しているのだ。


『そう、それは良かった……』


今のトンクスから見れば大抵の人間は元気いっぱいだろう。あなたは?なんてとてもじゃないが聞き返せず、言葉少なに会話が終わる。

任されたとて(勝手にそう受け取っただけではあるが)私はこういったことに不馴れだ。いつまでも情けない話ではあるが、対人スキルというものが低いことは自覚している。広く浅い付き合いが原因であることも。

しかし、


『時間があるなら、部屋でコーヒーでもどう?』

『……うん、ご馳走になる』


断られることを前提にしてかけた誘いに承諾が返ってこようとは。これも人を惹き付けやすい《呪い》の影響なのかもしれない。

上手くできるかは別として、私にも人並みに他者を案ずる心がある。慰められるならそうしてあげたい。その心のままに声をかければ、こうして承諾されることは過去にもあった。




リリーは一向に進まないページから目線を上げトンクスを覗き見た。彼女は依然としてマグカップを両手で包み込んだまま。

過去の同じような場面では、相手が燻る内を吐き出して終わることが多かった。私はただそこにいれば良い。ぶちまけてスッキリ。それでハッピーエンドだった。しかし彼女にそんな様子はない。なら、私には待つことしかできない。

私がどん底にいたとき、スネイプ教授はそうしてくれた。私にはそれが嬉しかったし、救われた。もちろん、他でもないスネイプ教授がいてくれたから、という部分は大きい。リーマスがいない今、トンクスには私で我慢してもらうしかない。


「最近色々ありすぎて、頭がぐちゃぐちゃ」


ポツリとトンクスが言った。リリーは本を脇に置き、彼女の吐露を邪魔しないよう適度な相槌を打つ。


「取り柄の七変化もダメんなっちゃった」


トンクスは冷めきったコーヒーに口を付け、眉尻を下げる。自然な笑みを浮かべることの多い彼女の作り出す笑みは、無理矢理口角を上げただけの悲痛なものだった。


「シリウスとリーマスが難しい話以外をするときは、いつも学生時代かリリーの話だったんだ。私、それを聞いてるのが好きだった」


リリーは淡く微笑んだ。ニヤリと笑うハンサムな顔に吼えるような笑い声。適度な相槌を打ちつつくしゃりと目尻にシワを作る柔らかな笑顔。どんな内容かは分からないが、その光景が思い浮かぶ。


「リリーも辛いよね?みんな辛い中、それでも頑張ってる。それは分かってるんだ。でもシリウスが……あんなことになったのは私が至らなかったせいだし、リーマスは今とっても危険な任務に就いてる」


ここにも自分を責める人がいる。あなたのせいではないと言ったところで改善されてはくれない自責の念。よく分かる。私もそうだ。


「リーマスの任務については知ってる?」

「知ってるよ」

「その任務、初めは私がやるって言ったんだ」


リリーはピクリと眉を上げ、トンクスを見た。彼女もまたリリーを見ていて、目が合うと苦笑いを浮かべる。


「潜入は七変化の十八番だからさ。それに私なら薬なしで自我のある狼を真似られる。でも私は今こんなだから……」


トンクスがくすんだ茶色の髪を指に巻き付けた。肩を竦めてまたコーヒーを一口飲む。

潜入中は薬の服用もままならず、煎じてもらう宛などない者たちの中にいるからにはと、リーマスは私たちの薬を断っていた。


「それに闇祓いとしての仕事もある。リーマスは自分のためにある任務だって……でも、でももしリーマスが……シリウスみたいになったら?ハリーが見たシリウスは幻だったけど、今度は違うかもしれない!潜入中は誰も助けられないのに!」


滲み始めた目尻を強く拭ったトンクスは僅かに光の戻った目をしていた。


「私、あー、隠し事とか昔っから苦手でさ。いきなり何?って思うと思うんだけど、私、リーマスのこと好きなんだ。相手にはされてないけどね」


再びコーヒーに映る自分を見つめながらトンクスが言った。青白かった顔には少しばかり赤みが差している。


「だからリーマスの力を信じてても心配だし、身を投げるような彼の任務への取り組み方が許せない!……それで何度か言い合いにもなっちゃって……」

「分かるよ。リーマスは自分を軽んじる癖がある。私も……友人として、彼が好きだから」


リーマスのことだけじゃない。私の愛する人もバレれば死を免れない任務に就いている。リーマスほどの投げやりさはないが、必要とあらば自分の身を犠牲に出来てしまう人。信じてはいても心配には変わりないトンクスの思いもよく分かる。

リリーはニッコリと安心させるような笑みをトンクスへ向けた。顔を上げた彼女はぐしゃりと髪を掴むと、わざと乱れるように頭を掻く。


「リーマスは、案じるトンクスの気持ちが届かないような分らず屋じゃないでしょ?」

「うん。そうだね。まぁ、届いていても知らない振りはされちゃうけど。……リーマスに怒ってたら少し元気が出てきちゃった」

「愛の力かな」


いくらか生気の戻った顔で、今度はトンクスらしさの窺える笑顔を浮かべた。茶化してクスクスとリリーが笑うと、彼女は残ったコーヒーを飲み干してズイッと身を乗り出す。


「リリーにもいる?そういう人」

「へっ、私?」


突然振られ、明らかな動揺を見せるリリーにトンクスが目を細める。


「こんなときにって言う?不謹慎だって。でもこんなときだから、少しくらいワクワクする話をしたって良いと思うんだ」


さぁ白状しろ、と言わんばかりの雰囲気にリリーがたじろいた。

思えば、誰かとこういった話をするのは初めてだ。恋をしたりそれ以上の関係を持ったりしたことはスネイプ教授が初めてではない。ただ私の恋愛には《呪い》の影響が常に見え隠れしていて、浮かれたい心の片隅にはいつも染みのような陰りが落ちる。誰かと語り合うのは意図的に避けていた。


「いるよ」


初めて心の内を打ち明けた。

客観的に見て、スネイプ教授は私にとても良くしてくれる。それが《呪い》のせいなのか、ダンブルドア校長のおかげなのか、彼自身のものであるのかは判断できない。ただ確かなのは彼の心が今もエバンズのものであるということ。彼の守護霊を見たばかりだ。これは疑いようがない。


「誰?!」

「秘密」

「私の知ってる人かな?」

「さぁ?トンクスの交遊関係を知らないから何とも」


頭を捻って考え込む彼女を眺めながら、リリーはソファの背に体重を移す。

ソーサーの白百合に、牝鹿の守護霊に、その他のエバンズを感じるすべてに私は間違いなく嫉妬した。ドラゴンのトゲ付いた尻尾で鞭打たれたような痛みに何度も耐えた。しかしその激痛に、いつも寄り添う僅かな安堵があった。

私がスネイプ教授に与えているかもしれない影響は、少なくとも恋愛には関係がない。

そのことがどれだけ私を安らかにするか。《呪い》に打ち勝った気さえしてしまう。まだ《呪い》と折り合いを付けきれていなかった頃、周りすべてを拒絶することで得られた心の安寧が染みとなり今もまだ残っている。


秘めた内の荷を分けたような気になって、心が僅かに軽くなった。しかし想い人の名を告げる気はない。面と向かって否定はされずとも理解してもらえるとは思えない。その上、1年後に彼の成し遂げることを考えれば、彼女に余計な心配をかけてしまうに違いないから。

「どんな人?」「どこで知り合ったの?」などと飛んでくる質問をのらりくらりと躱しながら、それでもリリーはこの一時を楽しんでいた。







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