125 ゴーントの指輪


ポリジュース薬
ロングボトムの毛髪

シリウスを救う
大蛇の解毒薬
ギルの杖



リリーは自室のベッドへ寝転がり、書き込みの増えた手帳を眺めてため息をついた。打消し線の並ぶ中で一際目立つ一文。何度か消してしまおうかと悩んで、戒めのために残してある。


「リリー・エバンズ、朝でございます!ドビーがおはようを言いに来ました!」


休暇に入り、ドビーがまた甲斐甲斐しくリリーの世話を焼き始めた。彼女はもう雇い主ではないというのに、アンブリッジの圧政から解き放たれた彼は以前にも増して活動的だ。

寝室の扉はリリーが返事をする前に開かれていた。


「おはよう、ドビー。今日も元気だね」

「リリー・エバンズは元気がありませんか?」

「いや、私も元気だよ。今日は地下に行ってくる。スネイプ教授が戻られたみたいだから」


例のあの人の元から。


「分かりました!」


半ばドビーに引っ張り出されるようにしてベッドから下りる。壁にかけたローブを着込み身支度を整えると、仕上げに手帳をポケットへと入れた。開け放たれたカーテンは心地のよい日差しを引き込み、ドビーが窓を開けると爽やかな新緑が運ばれてくる。

自室の階下はあまりにもシリウスとの思い出が詰まりすぎて、そこで一人大鍋を掻き回す気にはまだなれずにいた。吼えるような笑い声が染み付いた石壁を、名を呼んでも写らない鏡を直視してしまえば、作り出した元気が忽ち溶けてなくなってしまう。

一度は断った地下での調合。再び貸してほしいと申し出た私に怪訝な顔をしながらも深く追及せず首を縦に振ってくれたスネイプ教授に甘えて、私はまた地下通いを始めていた。

それに、もうすぐ起こるはずの大きな転機がある。

ダンブルドア校長が杖腕に受ける呪いだ。

彼は今ホグワーツを空けている。《本》からの推察も今日明日中だと示していた。それにいち早く気付くには、校長室を見張るかスネイプ教授の側にいるのが確実。後者を取ることに迷いはなかった。


私は最も救いたい者だけを定め、それ以外の、手の届かない存在については心を傾けすぎない決心をした。学外で傷付けられていく数多の命には、手を差し伸べないと。

それがダンブルドア校長であっても。

しかし彼は命からがらホグワーツへと戻る。戻れば、私が何かしらの悪影響を与えてしまう危険性があるとしても、彼を生に繋ぎ止めることが出来る者もまた、ホグワーツにいるのだ。

私は悪化の可能性を見過ごすわけにはいかない。ダンブルドア校長を救いはしないが、失いたいわけではないのだから。


今は、まだ




その日の夜遅く、リリーはまだ地下にいた。コポコポと不揃いな気泡を吐き出し大鍋が熱されている。

今日ではなかったのかもしれない。そろそろ切り上げなくては。

リリーは大鍋で煮立つコバルトブルーの液体から柄杓を引き上げ、杖で材料を片付け始めた。

その時、

バンッと地下牢全体に響く音で、どこかの扉が開閉した。その直後、バタバタと焦りの濃い足音で、すぐそばの廊下を駆けていく気配がする。

誰が、どこへ、何故行くのか。リリーには明白だった。追いかけようと扉に手をかけ、しかし止める。


追って、どうする?

私に出来ることがあるのだろうか?


何か役に立たねばという気持ちはあるが、呪いや分霊箱など私には未知の領域。正体不明の強力な呪いを封じ込める呪文など扱えやしない。寧ろ、何か役に立てることがあるならば、それはこの場所に違いない。

それを肯定するように扉からするりと銀色の眩い牝鹿がすり抜けてきた。初めて見る守護霊。しかしそこから響いてくる声を聞かずとも分かる。スネイプ教授の守護霊だ。睫毛の一本一本まで精巧に形作られたエバンズへの想いにぎゅっと心が締め付けられる。


『呪い崩しを煎じる。今から挙げるものを急ぎ私の薬材棚から準備しろ。私もすぐに戻る』


胸の痛みに気を取られている暇はなかった。慌てて羊皮紙にメモを取る。材料や下準備の手順を挙げ連ねられてもそれに覚えはなかった。


スネイプの研究室へ場所を移し、リリーが指示通りに作業を進める。程なくして、出ていったときと同じ足音が聞こえ、許可なく扉が開け放たれた。スネイプはチラリとリリーの手元を確認し、言葉もかけず私室へと通り過ぎる。


「今から煎じるのはこれだ」


すぐに戻ってきたスネイプは分厚い黒い革表紙の本を手にしていた。一見しただけで闇の魔術に関わるものだと分かるそれを机上へ広げ、作業中のリリーに見える位置へとずらす。


「分かりました。では材料は私が――」

「いや、君がすべて行う。薬が完成するまでの間、私は少しでも呪文で呪いを抑えておきたい。君なら出来ると判断した」


議論する気はないと、スネイプは一方的に言い終えてすぐ背を向けた。棚から調合済みの魔法薬をいくつか選び取る。


「完成次第すぐに……校長室へ」


最後にそう残して扉を閉めたスネイプに、リリーは「はい」と返事をするので精一杯だった。心臓は先程の痛みが嘘のようにバクバクと活発な脈動を始め、全身の血が沸き立つ感覚に襲われる。

しかし浸っている暇はなかった。


私の調合がダンブルドア校長の命に直結する


ずしりと重くなる身体を深呼吸で制して、ナイフを握る手に力を込め直した。




「フィフィ フィズビー!」


螺旋階段の動く間も惜しい、とゴブレットを手にリリーは駆け上がった。ドアノッカーを打ち付け、返事も待たずに扉を開ける。


「お待たせしました!」


部屋には粛々とスネイプの唱える声だけが満ちていた。彼は扉に背を向け杖をダンブルドアの黒く焦げたような手に当てている。偉大な魔法使いはいつもの大きな背凭れの椅子にぐったりと身体を預け、スネイプにされるがまま。リリーには意識がないようにも見えた。

使い方の分からない機器に並んで事務机には割れた指輪とルビーを嵌め込んだ銀製の剣が乗せられている。

その様子を壁の肖像画たちが寝た振りも忘れ固唾を呑んで見守っていた。

スネイプは呪文を途切れさせることなく指先一つでリリーを手招いた。差し出されたゴブレットの濃い金色を確認して頷くと、それを彼女に返して今度はダンブルドアの口を指す。


「校長、飲んでください」


リリーはスネイプの指示を受け、だらりと力なく項垂れるダンブルドアの顎を持ち上げた。トク、トク、と徐々にゴブレットの中身が減っていく。

八割方を喉に流し込んだ頃、ようやくダンブルドアの瞼がピクリと動いた。開かれたブルーの瞳は今だ虚ろで、ふらふらとリリーとスネイプの間をさ迷っている。


「何故その指輪を嵌めたのですか?呪いには当然お気づきだったはず!」


息をつく間もなく、スネイプが声を張り上げた。彼は真っ直ぐダンブルドアだけを見ていたが、リリーはその悲痛な叫びに良心が抉られるのを感じた。

ダンブルドアが姿勢を正そうとするのを手伝って、リリーはそっと扉へ引き下がる。


「わしが愚かじゃった……」

「ここに座っておられるのが不思議なくらいです!今はまだ片手に抑え込めていますが、この呪いは徐々に強力になっていきます。結局は広がってしまうでしょう」

「わしは運が良い。セブルス、きみと、リリーがいてくれて。……それで、わしにはあとどのくらい残されていると診る?」


ダンブルドアの表情はいたく朗らかで、憂いは少しも見当たらなかった。一方問われたスネイプは唇を噛み締め、やがて観念したかのように口を開く。


「おそらく、1年かと」


ダンブルドアがスネイプ越しにリリーを見た。そこに言葉はなかったが、彼女は黙って首を縦に振る。


これで良いのだ、と


無意識に作っていた拳の力を緩めて、細く息を吐き出した。心を傾けすぎてはいけない。またダメになってしまう。計画も、私自身も。

しかしこれ以上聞いてはいられなかった。

ダンブルドアに頭を下げ、リリーは校長室を飛び出した。


迷いのない足取りで向かったのは地下。

煎じるものは終えてしまっていたが、途中で投げ出されたままの片付けをマグル式で続けた。ただ無心になりたくて。借りていた地下牢教室での分を終えれば次は研究室の分。大鍋に残っていた金色の煎じ薬を広口瓶へ移して、こびりついた汚れをひたすら擦った。


すべてが終わったのは日付が変わってからだった。

今なら余計なことを考えず眠りにつけるかもしれない。欠伸を噛み締め、黒い革表紙の分厚い本を手にスネイプ教授の私室へと向かう。触れるのを躊躇いそうな表紙を彼の事務机へと置いた。

パタン、とタイミングを見計らったかのようにスネイプが戻った。


「ここにいたのか」


別段驚いた様子もなく、スネイプはソファに身体を投げ出すように座った。


「片付けをしていました」

「今日のことは他言無用だ」


彼は大きく息を吐き出し、空気の抜けていく風船のように身を縮めた。


「誰に言えるというのです?」

「……そうだな」


両膝に肘をつき両手で顔を覆った彼の肩は決して震えてはいない。けれど私が去ったあと、彼は誰にも告げられない「頼み事」を引き受けたに違いない。世の不幸が一度に押し寄せたような暗然とした姿の彼に、一人でいてほしくはなかった。


彼は強い。孤独でも最期まで成し遂げてしまう。しかし彼はとっても繊細で、誰よりも愛に直向きで、命に真摯に向き合い続けている人だ。


私は彼の隣に座り、何も言わずに寄り添った。肩同士を触れ合わせて心地のよい温もりを移す。彼からも僅かに重みが掛かり、支え合う安らぎに目を閉じた。







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