124 見舞い


シリウス・ブラックが死んでからまだ数日と経っていない。しかしエバンズは沈んでいたのが嘘のように妙に晴れ晴れとしていた。ダンブルドアと話してからだ。

元気の出る呪文にかかったのではと疑うほどで、無理をしている様子もない。今の彼女になら、預かっていた杖を返しても構わないだろう。そう判断して地下へと呼び出した。

彼女の余計な助言のお陰で増えていた自室への訪問者も、試験の済んだ今は人気がない。夕食も終わったこの時間、スリザリンでさえも浮かれた気持ちを隠しきれない生徒が談話室を賑わせていることだろう。


コンコン


軽やかで控えめなノックが響いた。名乗ったのは他でもない呼び出された人物。スネイプは返されるべき杖を懐へと入れ、扉へ歩いた。


「入れ」


スネイプがソファへ座るよう促せば、リリーは躊躇いもなくそれに従う。儀礼的な笑みを浮かべ、彼がマグル式で紅茶を淹れる様子をじっと観察していた。

それはスネイプが過去に疑った監視の目ではなく、時折ダンブルドアがポッターに向けるようなそれに近い。居心地が悪くなって睨み付けると、彼女はふわりと目を細めて視線を逸らした。


「お仕事ではないようですが、今日は一体何を?」


切り出したのは彼女からだった。ゆっくりと紅茶を味わい、いつしか専用のようになったティーカップを僅かな音と共に白百合のソーサーへと戻す。

自分の使っているものとセットで購入し、もう何年も使えずにいたそれを、初めて彼女に出したのはいつのことだったろうか。


「君に返すものがある」

「返す……?」


記憶を手繰りそうになり意識を懐へと向けた。話の見えない彼女はポカンと間の抜けた顔で首を捻っている。

スネイプは預かっていた杖を机へと置いた。


「それは……!」


リリーは目を見開き、すぐさまそれを手に取った。材質、形状、どれをとっても自分の知るものと同一。説明を求めてスネイプを窺うと、彼の薄い唇が息を吸い込む。


「君がブラックに貸していたそうだな。ルーピンが見つけて、私が返す役目を引き受けた」


また泣くのでは


そう思い、机上のカップへと目線を落とした。湯気の消えないうちにと口へ運んで、チラリと彼女を覗き見る。

彼女は微笑んでいた。

杖を胸へと寄せ抱きしめて、まるで鼓動を感じているかのように目を閉じる。緩やかに上がった口角は悲しみなど微塵もなく、旧友との再会に喜んでいるようにも見えた。

彼女の変わり様に自然と眉間に力が入る。


「ありがとうございます」


やがてリリーが杖を懐へとしまい、スネイプと目を合わせた。

柔らかに微笑む彼女に訝しむ自分が妥当性を欠いている気になり、努めて眉間の力を抜く。


「必ず返すものだと、随分大切に使っていたそうだ」


スネイプがルーピンの言葉を伝えると、リリーはローブの上からするりと杖を撫で「そうですか」と呟いた。


「この杖はギルの――ギルデロイ・ロックハート氏のものなんです。訳あって預かっていると言いますか、返しそびれたと言いますか……」


スネイプは抜いたはずの力が再び眉間に集まるのを感じた。リリーはそんな彼の様子に苦笑いして、温くなった紅茶を含む。


「良い機会かもしれません。そろそろ杖を彼に返さなくては」

「かなり強力な忘却術だったらしいではないか。返したところで使えやしないだろう。まぁ、元々碌に扱えてはいなかったがな」


スネイプがソファの背に凭れ嘲笑で鼻を鳴らした。


「ですが返せるうちに返さないと。この先どうなるか分かりませんから」


リリーの瞳にこの日初めての憂いが揺らぐ。目敏く気付いたスネイプはかける言葉を探して息を吸い込んだ。しかし刹那の躊躇いのあと息を吐き出し口を引き結ぶ。


一体何を言えば良い?


一寸先が闇であるのは自分も同じ。日に日に濃く増していくその闇に半身を浸している私の言葉に、どれだけの意味があるだろうか。ブラックを失った沈鬱から彼女を救ったのも、結局は私ではなかった。


「良ければ、一緒にお見舞いに行きませんか?」

「私が?」


片眉を上げ明らかに嫌そうな顔をするスネイプに、リリーは眉尻を下げて微笑んだ。


「一人より二人の方が、彼も喜ぶかと思いまして。お忙しいでしょうから、無理にとは言いません」


言っておいて、エバンズは大して期待していないようだった。答えは分かっていると言いたげな顔で私の返事を待っている。

魔法省へ乗り込んだのは別として、彼女が遠く離れるときは(近頃はホグズミードでさえ)基本的に誰かを伴った。ポッターに準じるほどの仰々しさだ。ここで自分が断っても、騎士団の誰かが付く可能性は高い。


「あの、やっぱり――」

「行く。ただし日取りはこちらで決めさせてもらう」


休暇中の帰省でさえもダンブルドアに勧められようやく重い腰を上げるような彼女が、申し訳なさに必要以上の気遣いをみせていた彼女が、ただの見舞いのため聖マンゴ病院に行きたいと言い出すとは思えなかった。相手がホグワーツにいた1年間ずっと邪険にしていた男であれば尚更だ。


「はい!もちろん私はいつでも。ありがとうございます!」


彼女は驚きに開いた目を何度か瞬きして、破顔した。

思い入れも何もない男への見舞いなどこの上なく面倒だ。しかし目の前で顔を綻ばせる彼女にスッと温かなものが胸を通っていった。彼女が供に選んだ者は自分である。ただそれだけのことが私を悪くない気にさせた。

彼女に関われば往々にして不可思議な燻りが胸を満たす。


「話は以上だ」


不気味さを誤魔化すように空になったカップを追い払えば、彼女が立ち上がった。


「杖のこと、ありがとうございました」

「礼ならルーピンに言え」

「今も彼のことがお嫌いですか?」

「……やつは同じ陣営だ。それ以上でもそれ以下でもない」


そう思うから、そう言ったまで。だというのに彼女はまるで私が素直さを見せない子供であるかのようにクスクスと笑って、就寝の挨拶を残し去っていった。






面倒な詐欺師への見舞いの日取りは休暇が始まって3日目と決めた。今日のことをダンブルドアに報告した際、マクゴナガルの見舞いもと提案されたが、幸い彼女は休暇前に退院できた。


ロンドンの廃れたデパートのガラスを突っ切り案内魔女を素通りする。エバンズは予め病室を調べていたようで、迷いのない足取りに自分はついて行くだけ。

運の良いことに聖マンゴには縁がなく、奥深くまで進むのは初めてだった。物珍しさに観察したがる目を叱咤し、半歩前で愛嬌を振り撒く彼女を注視した。


「少し寄り道しても構いませんか?」

「顔の広さはここでもか」

「少し縁がありまして」


彼女の返答は知人がたまたまここにいるわけではないことを示していた。病院はここ一つではない。こことの縁があるということはよっぽどの何かがあったに違いない。しかし彼女は何てことのない雰囲気でさらりと言ってのけた。

スネイプが頷いたのを確認し、リリーはスタッフ用控え室のような場所へと彼を率いた。向かう先の扉前には癒師姿の男が一人。親ほど歳の離れたその男は彼女に気付くと手を上げる。


「私はここで待っている」

「分かりました。話はすぐ終わりますので」


話を聞き取れないほどの距離を開け、スネイプが廊下の中程で立ち止まる。彼女が小走りで駆け寄っていく様子を見つめ、壁に背を預けた。


『やぁ、会うのは何年振りかな。随分と綺麗になって』

『彼は?』


男と目が合って、スネイプは顔を背けた。同時に無意識に唇の動きを読んでいた自分に、何のために離れて立ち止まったのかとため息をつく。ボソボソと認識できない声を聞きながら、すぐ終わるらしい話を待った。


「スネイプ教授、お待たせいたしました」

「構わん」


また彼女の半歩後ろを歩きながら、今度こそようやく五階の隔離された「ヤヌス・シッキー病棟」へと辿り着く。


「ストラウトさん!」


丁度目当ての病室から出てきた癒師を彼女が引き止めて、目的の杖を取り出す。エバンズの元上司が亡くなった記事にも名前が乗っていたミリアム・ストラウトは、どうやら非がないと認められ仕事を続けているらしい。

何度か神妙に頷いてからエバンズはこちらに戻ってきた。


「杖を渡して良いか確認を取ったんですが、まだ早いみたいです」


彼女は肩を竦めた。それでも帰る選択肢はないらしい。さも当然のように病室をガラリと開けた。


「こんにちは、ギル」

「ギル?私?なんと、あなたは私をご存知で?」


カーテンで区切られた病室の一角はロックハートの写真があちらこちらに貼り付けられていた。その中心でベッドに座る男は知らない人物への不信さも見せず、キラキラと無邪気な少年のような笑みを浮かべている。そして書きかけのサインを完成させるとズイッとリリーへと差し出した。


「随分と上手くなったんですよ。サインは何枚必要ですか?そこの黒い彼も?」


リリーの影からひょっこりと顔を出し手招きするロックハートに、スネイプは梃子でも動く気はないと腕を組んだ。遠巻きからの傍観を決め込む彼に彼女はクスリと洩らしてロックハートの手を止める。


「今日は私からのプレゼントを受け取ってほしくて来たんだ」

「私にプレゼント?分かりましたよ!ファンレターですね?」

「確かに私はあなたの本が好きだけど、ハズレ」


リリーは持ってきていた鞄から大きな長方形の箱を取り出した。ロックハートに手渡すと、彼は一層笑顔を輝かせ包みに手をかける。


「一級品の孔雀の飾り羽根。以前、あなたが同じものをプレゼントしてくれてね。その時私は何もお返しできなかったから、今贈らせてもらうよ」


ロックハートはふわふわと大きくしなる羽根をじっくりと眺め、書き味を確かめるように自身の写真へサインを書き殴り始めた。新しいおもちゃを手に入れた子供のような彼に微笑んで、リリーがスネイプの隣へと下がる。


「スネイプ教授にも、お渡ししたいものがあるんです」


病室をぐるりと見渡すリリーに釣られ、スネイプも聞き耳を警戒して耳塞ぎの呪文を唱えた。杖を懐に戻すと、彼女に手のひらサイズの小瓶を差し出される。中の液体までもが透明なそれにはラベルが貼られていた。


『有毒大蛇の解毒薬 アーサー・ウィーズリー用』


「ラベルの通りです。一番近くにいるのは教授ですから、持っていてください」

「私がそんなヘマをするとでも?」

「まさか。でも備えあれば憂いなし、ですから」


リリーは緩んでいたスネイプの手を取り、小瓶を握らせる。その上から包む彼女の手の温もりは、向けられた微笑みと共に溶けていった。


これが、彼女の本当の目的


先程の寄り道もただの旧友との再会などではなく、これを受け取るため。ほしいと言って貰えるようなものではないだろうに、私のため?

彼女自身のことは一人で抱え込むくせに、私へはこうして与えようとする。私の欲する救いは私自身のものではないというのに。


だが、素直に嬉しいと思った


こんな気持ちはいつ振りだろうか。自分の身を案じる人間がいるとは。それを嬉しいと思う日が来ようとは。

使う事態を避ける自信はある。しかし万が一にも割れることのないように保護呪文をかけ、大切に小瓶をローブの内ポケットへと入れた。


「もっとサイン以外も書けるようになれば、いずれ杖も持てるようになるってストラウトさんが言ってたよ。今は片付けておくからね」


視線の先ではエバンズがロックハートの杖をベッドサイドの棚へ入れるところだった。不用意に扱えないよう厳重に鍵をかけている。


「じゃあね、ギル。サインは一枚だけ貰って帰るよ」


ベッドに投げ出された写真の中から最も上手く書けているものをリリーが選び取る。その手が離れない内に、ロックハートが彼女の手首を掴んだ。


「次はいつ来ていただけますか?どうやら私はまだここから出してはいただけないようでしてね。でもあなたを見ていると何か思い出せそうな気がするんです。またあなたに会いたい」


リリーは言葉を返せずにいた。『会いたい』というストレートな言葉が心に響く。ジリと独特の熱を帯びる彼の目に見つめられ、守れそうにない約束をする気にはなれなかった。


「生憎我々は忙しい」


ぬっと後ろから伸びてきた黒衣を纏う腕が、ペシリとロックハートの手を叩いた。驚いた彼はリリーを掴んでいた手を離し、丸く見開いた目で傍観に徹していたはずの男を見上げる。


「帰るぞ」


驚いたのはリリーも同じで、スネイプは呆けた顔をしている彼女の解放された腕を引いた。

すぐに立ち直ったロックハートが一方的な次の約束を投げ掛ける。大安売りのスマイルで手を振る彼に、リリーは同じように手を上げる。先程は返事に困っていたにもかかわらず無視が出来ず振り返す彼女に、スネイプは内心ため息をついた。

手を離してもあとをついてくる足音にスネイプがほくそ笑む。時たま小走りになるその音に歩くスピードを落とせば、「ありがとうございます」と彼女の心地好い声が耳を撫でた。







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