122 喪失


リリーはベールの揺らめくアーチに駆け寄った。

シリウスを最後に見たその場所へ。


「触るな!」


もがくポッターを抑え込みながらルーピンが叫ぶ。リリーは気力がぷっつりと途切れてしまい、台座にへたり込んだ。

叫ばれなくとも触れる気なんて更々ない。このアーチが如何に人を引き付け、恐ろしいものか。今は亡きボード氏に墾墾と身に染み込むまで刷り込まれている。

ポッターが怒りすべてをレストレンジへ向けて駆け出す中、リリーは絶望すべてを自分へ向けて責め立てた。しかし涙も後悔も外に出てはいない。彼女を、ネビル・ロングボトムを客観的に表現するならば、放心状態。

ダンブルドアが騎士団に指示を飛ばしその場を去っても、リリーは動かなかった。


「リリーだね?」


薄ぼんやりとした半透明の膜で遮断された彼女の世界。まず始めに現れたのはルーピンだった。生徒を任された彼が、リリーの肩に触れ囁く。彼女は聞こえているのかいないのか分からない表情で、けれども自身の手足と顔がまだロングボトムであると確かめてからルーピンを見た。


「杖と戦い方で分かるよ」


リリーはチラリと握ったままの杖を見た。手に込められた力は上手く抜くことが出来ず、がっちりと彼女の杖を握り続けている。


「他の子たちはどこ?」


ゆっくりとリリーのペースに合わせてルーピンは会話を進めた。指差された方角を確認して、だらりと再び投げ出された腕に優しく触れる。


「行こう。君もホグワーツへ戻らないと。歩けるかい?」


リリーは頷いた。ロングボトムの身体に怪我はない。死喰い人は殆んど騎士団が相手取っており、彼女が受けるはずだった痛みはポッターが庇って肩代わりした。

ルーピンに何を言われてもリリーは一言も口をきこうとはしなかった。彼もそんな彼女の様子に首の動きで事足りる簡単な質問だけに留めた。




魔法省からどうやって帰ったのか。嗅ぎ慣れた青い草木と湿った土の匂いに思考がゆっくりと回り始める。気づけば空は明るみ始め、緑に囲まれた場所で砂利を踏みしめていた。

私はただリーマスに指示されるまま動けばよかった。意思のない従属は心地好い。とても楽だった。自分で判断するストレスを負わずに済む。

彼は常に私に触れる位置にいた。存在を確かめ続けるような彼の様子は私にとってとても温かかった。


リーマスはここにいる

まだ、ここに


そんな彼が離れていって、私はようやく足元から顔を上げた。いつの間にかホグワーツの校門だった。敷居の向こうにはマダム・ポンフリーとスネイプ教授がいて、ボソボソと顔を寄せ合い話し込んでいる。リーマスがそこに加わった。

程なくして、話し続ける二人を置いて、マダムが担架に乗った生徒たちを連れていく。私を一瞥もせずまるでいないかのように振る舞う彼女を追いかけるべく地を踏みしめた。

が、突然何かが腰に巻き付いて、進めなくなった。

それに抗う気も起きず、ふっと力を抜く。束縛が緩くなったかと思えば、逆さまで湯槽に浸けられたように頭の先からじんわりと熱が流れ込んできた。

大した興味もなく自身を拘束していたものを見てみると、それはスネイプ教授だった。まだ低い位置で微睡む太陽が彼の高い鉤鼻やその左右で揺れる黒髪の影を伸ばす。会話するには近すぎる距離に、目を合わせることなくスイと逸らした。


何も聞きたくない

何も話したくない


そう思ったときには足が逃げ出していたが、三歩も離れぬうちに腕を掴まれてしまった。助けを求め振り返っても、もうそこにリーマスの姿はない。






スネイプは無言でリリーの腕を引いた。

目くらましの呪文を解いて現れた彼女に目立つ怪我はない。しかしとても無事とは言えない状態で帰ってきた。本来ならば医務室で休むべきだが『リリーが魔法省にいたことは秘匿せよ』と銀色に輝く不死鳥から言付けを受けた。

スネイプは自室の扉を乱暴に開け放ち、されるがままのリリーをソファへと座らせる。呼び寄せた安らぎの水薬を脇に置き、紅茶を二人分淹れた。

ふわりと、かつて彼女が『美味しい』と綻んだ香りが部屋を満たす。しかし今の彼女は何一つ反応を示さなかった。


『リリーはネビル・ロングボトムの姿を借りて神秘部へ来てたんだ。何故そうしたのかは分からない』


校門に生徒を送ってきたルーピンはやけに悲痛そうな面持ちだった。


『混戦の中、彼女はベラトリックスと戦うシリウスに助太刀しに行ってね。彼女がベラトリックスに攻撃したすぐそばで……シリウスが……討たれたよ』


ルーピンの苦しみに歪んだ表情も、脱け殻のようなエバンズの様子にも、合点がいった。

自分はここで喜ぶほど無神経ではないが、悲しみも浮かんでこなかった。静止も聞かずに飛び込んで、やつは守りたい人間を守り抜くことが出来た。戦うことが出来た。文句はないはずだ。


『アーチの向こうへ呑み込まれる直前、シリウスが杖を落としてね。これ、リリーが彼に貸したものなんだ。必ず返すものだからって、珍しく大切に扱っててさ。君から返してやってくれないかな』


スネイプはローブのポケットで主張する質量をチラリと見た。夏に吼えメールを手にふくろうの真似事をしたときに聞いた『貸しているもの』とはこのことだったのだとすぐにピンときた。


1年前、エバンズは生徒の死にひどく狼狽し、自分を責め立てていた。冬にも、かつての上司の非業な死に涙を流した。まるで自分が殺したかのように、自分なら救えたかのように。


ならば今回は?


エバンズは誰にも告げず姿を隠して魔法省へと乗り込んだ。そして直接的にブラックを救うべく行動している。

彼女を一人にしておくなどとてもできなかった。今の彼女はとても危うい。また湖に飛び込まれでもしたら――。

エバンズの不安定さと、そんな彼女を見捨てられない私。ダンブルドアはそれを見越して言伝てを寄越したに違いない。


スネイプは「紅茶を飲め」とも「事情を話せ」とも言わなかった。彼が思案に耽る最中、向かいのソファでリリーはピクリとも動かずただそこに居続けた。




どれだけ経っただろう。

太陽の恩恵も乏しいこの地下で、リリーはもちろんスネイプでさえも時計を確認することはなかった。彼は時間に囚われずいつまでこの時間が続いても構わないと思っていた。

彼女の気が済むまで。


そのとき、

リリーの目からポロリと、ようやく感情が表に溢れ出た。ポトリ、ホロリ、最初の一滴を皮切りに次から次へと頬を伝う。涙に引きずり出されて表情もぐにゃりと歪んだ。


「すぐ……」


ひどくかさついた声だった。


「すぐ、そこにいたのにっ!………何も、出来なくて。……私は……私は何のために……っ……私が、シリウスを、殺した!また……救えなかった……」


ドンッ、とリリーがテーブルへ拳を振り下ろす。低く跳ねたカップが悲鳴を上げて冷えた紅茶を吐き出した。彼女はドン、ドン、となりふり構わず叩きつけ、泣き叫び、細切れの文にならない自責を喚く。

スネイプは杖の一振りでティーセットを片付けて、リリーの隣へと移動した。髪を振り乱し何もかもを拒絶する彼女を自身へ押さえ付けるように引き寄せる。スネイプへと標的を変えた拳を受け止め、震える指をゆっくりと開かせた。爪が食い込み血の滲む掌へ自身の手を滑り込ませる。

ギリリ、と身代わりとなったスネイプの甲にリリーが爪を突き立てた。


彼女の嘆きは痛いほどスネイプに伝わった。救おうと身を賭した命が溢れゆく様を、すぐそばで奪われる辛さを、彼は理解できる。内へばかり向く憤りを知っている。他人にどうこうできる感情ではないことも。




「セブルス……」


未だしゃくりあげながら、それでも少し力が抜けたリリーがスネイプの肩に額を付けたまま呼んだ。仕事のそれではなく名前で呼ばれたことに不審さを感じながらも、彼は「何だ?」と問い返す。


「抱いて……?」


驚きと、それ以上の目に飛び込んできた光景に、スネイプはごくりと喉を鳴らした。

泣いて赤く潤んだ瞳。いつもは力強いそこに懇願を溜め、小首を傾げて上目遣いに吐息をのせ縋る。そんな彼女に何も感じないほど自分は無垢な人間ではない。おまけに昨年、失望し死を望んだ彼女に自分がしたことは何だったか。

しかし今ここで彼女の望みを叶えるのは浅はかだ。彼女が望んでいるのは快楽ではない。ただの逃げだ。こういった類いの失望からは、逃げることなど出来ないというのに。

決して。

14年経った今も燻らせ続けている人間が、ここにいる。


「断る」

「――っ!どうしてっ――」


このまま見つめられていれば愚かな劣情に屈してしまいそうだった。選択を間違えぬよう、彼女を抱える腕に力を込め直す。


「君の望み通り、一時は辛さを誤魔化せるだろう。だが後悔からは逃げられやしない。いずれ必ず襲ってくる。ならば今、ここで戦え。勝つ必要はない。喚いて、泣いて、どん底にまで落ちろ。……そうすれば、私が引き上げてやる」


再び声を上げて泣き始めた背をトントンとあやすように打つ。涙で張り付いた髪を掬うように除けた。

これほどまでに嘆きもがき苦しんでも、彼女は抱えているものを打ち明けては来ないのだろう。私が何度ダンブルドアへ彼女の苦悩を報告しようと、彼女の任務が軽減されることはない。




「可能性な限り救うと決めた。だが君のことも守るには、私では力不足なのか?」


泣き疲れて寝息を立て始めた子供のような彼女にそっと問う。だが疑問符を付けただけの独り言に効果はない。

濡れた頬を手のひらで包むように拭って、せめて夢でくらいは笑顔が戻っているようにと願いを込めた。







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