121 魔法省


ロンドンの一角、壊れた赤い電話ボックスの見える路地でリリーは息を潜めていた。セストラルで移動するポッターたちを見送って、彼女は姿くらましで先回り。束の間の休息時間を体力の回復に充てていた。

6月と言えど陽が沈めば肌寒い。ビルの隙間を唸りながら風が駆け抜ける。閑散とした街並みが一層心身を冷やしていった。薄闇の空を見上げても、建物が視界を狭めてしまう。目標を捉えることは叶わなかった。




何の前触れもなく、その時は来た。


「もう、二度としない……最悪だ……」

「こっち!早く入って!」


しなやかに降り立ったセストラルから飛び降りて、ポッターたちがどやどやと小さくはない身体を電話ボックスへと押し込んでいく。


「ダイヤルを、62442!」


電話ボックスを閉めながら叫んだポッターの声を最後に、寂れた路地に再び静寂が訪れた。時折ガサリ、コツコツとセストラルが食糧を求めゴミ箱を漁る音がする。

私が乗り込むことによる影響を少しでも抑えるため、踏み込むのはギリギリまで待つと決めていた。それが正しいかは誰にも分からない。

深呼吸をひとつして、まだ魔法省にいた頃に何百回と往復した道程を思い起こす。ポッターと共に乗り込んでいるように。


電話ボックスがアトリウムに着くまでは1分とかからない。ホールを駆け抜けて守衛室を通り過ぎ、エレベーターホールへ出る。地下九階へ向かい、慎重に廊下を通れば円形の部屋に辿り着く。部外者にとって一番厄介なのはここだ。何せ自分の来た道も行く場所も分からなくなってしまう。それでも工夫して片っ端から開けていけば時間はかかるが目的地へと辿り着くだろう。

あらゆる時計やクリスタルが保管された「時の間」を通り過ぎれば、そこが「予言の間」だ。


よし!


リリーは自分自身に気合いを入れた。

ポッターたちが目的地へと辿り着いた頃に違いない。混戦中に紛れ込むなら今だ。

バチンと音を立てアトリウムへと姿を現す。省内は不気味な静けさに満ちていた。私のいた頃はたとえ全役人が退勤しても守衛まで帰ることはなかった。今はまるで無色の首締めガスが撒かれて避難したかのよう。

リリーはポッターらのあとを辿るように地下深くへと進み行く。エレベーター内で再び目くらましを自身へかけた。全身を冷水へ浸けるような感覚と自身を視覚的に認識できないこの術は、長時間かけ続けていると気が狂いそうだった。


円形の黒い部屋は不気味な静けさが支配していた。リリーは無言で複雑な杖の動きを繰り返す。無言者だけに教えられる開示呪文。リリーが杖を下ろすと、12戸並んだ扉の一つ一つに文字が浮かんできた。


『脳の間』『死の間』『時の間』『惑星の間』……


ここへ雪崩れ込んでくる人間がいないということは逃げ回れていないのか?ならば争いの渦中は「予言の間」か「死の間」か。

リリーは杖を構え「脳の間」を薄く開いた。


当たりだ


リリーはポッターが予言の球を掲げながら開け放たれた奥の扉へと疾走して行く姿を見た。

死喰い人の最後の一人が扉に飛び込んだのを見届けて、リリーは動く影へ立て続けに失神呪文を放つ。これで意識があるのは自身だけ。目くらましを解くと一目散に生徒たちへと駆け寄った。最後まで意識のあった影はロングボトムとロンだった。

ここまでは《本》の通りにいっている。

リリーはロンを襲う脳から生えた奇妙な触手に向けて一つ二つ呪文を唱えた。すると火を向けられた悪魔の罠が如く、触手が後ずさっていく。グレンジャー、ラブグッド、ジニー、みんな脈はしっかりとしていた。命にかかわりそうな怪我もない。


「ごめんね、守ってあげられなくて」


リリーはスキットルのポリジュース薬をグイッと煽った。ボコボコと肌が粟立つような感覚をやり過ごす。ぐぐぐと背が伸び、体つきもがっしりと変わった。予め着込んでいたゆとりのある服がぴったりと身体に張り付いている。

リリーはロングボトムだった。




「ハリー!渡してはいけない!」


リリーが「死の間」に駆け込んだのは、ポッターの握る予言の球にルシウス・マルフォイの手が触れようとした正にその瞬間だった。


「ステューピファイ!」


リリーの杖からしっかりと飛び出た閃光がマルフォイの胸目掛けて真っ直ぐに飛ぶ。しかしすんでのところで躱されすべての意識がリリーへと向いた。


「ネビル、右だ!」

「インペディメンタ(妨害せよ)!」


大柄の男が羽交い締めにしようと両手を広げたままピタリと止まった。


「あいつを捕まえろ!」


甲高い女の声で「死の間」は再び混戦の渦中へと変わる。多勢に無勢だった。それでも何とか呪文の飛び交う中を掻い潜り、リリーはアーチのそばでポッターとお互いの背を預け合う。

ポッターが予言の球を掲げれば、ピタリと猛攻が止んだ。


「さぁ、ポッター、そろそろ遊びの時間は終わりにしないか?我々とて暇ではないのでね」


ゆったりと焦らすようにマルフォイが距離を詰めた。リリーからはその様子が見えなかったが、コツリ、カツリ、と近付く靴音がする。


そのとき、

部屋のずっと上の方でバタンと扉の開く音がした。駆け込んで来たのは五人の影。シリウス、ルーピン、トンクス、ムーディ、シャックルボルト。

死喰い人は全員騎士団に釘付けだった。リリーはポッターにグッと腕を取られたのを感じたが、引かれるまでもなく台座から離れ、二人同時に戦闘の密度が薄い方へと駆け出した。


「ネビル、君は……!」


言いたいことも聞きたいこともいっぱいあるという顔をして、ポッターがリリーを見つめる。


「ロンは無事!それより――っ!ステューピファイ!」


ポッターの背後に迫っていた死喰い人がリリーの閃光を弾いた。


「エクスペリアームス(武器よ去れ)!」


ポッターの呪文も防がれたものの出来た隙で二人が駆け出す。リリーは走りながらも夢中で杖を振った。


「ポッター!」


リリーがポッターの頭を押さえつけ、二人の頭上を緑の閃光が横切った。

ムーディが膝を付き、トンクスは石段から転げ落ちていく。シャックルボルトは二人を相手に苦戦していた。

そしてとうとうシリウスが部屋の中央でベラトリックス・レストレンジと決闘を始めた。


「ネビル、危ない!」

「――っ!」


シリウスたちに気を取られ過ぎた。

ポッターは加減なくリリーを突き飛ばす。身代わりとなった彼が3メートル先の石段へと吹っ飛んだ。ポッターの背がしなり、その衝撃に強く握りしめていたはずの予言の球がポロリと手から離れる。


一瞬のことだった。


ポッターは打ち付けた背よりも予言へ意識が向き、目を見開き愕然と砕けた破片を見つめていた。

予言の球が失われたのは私にとって喜ばしい出来事だ。《本》の描く未来を思えば、どうにかして球を壊さなければならないと画策していた。それが叶った今、これ以上気を逸らせている余裕はない。

リリーはすぐに体勢を立て直して、ポッターを吹っ飛ばした相手へと向き直った。視線の先にいたのはルシウス・マルフォイ。いつの間にか駆け付けていたルーピンが庇うように戦っている。リリーはその隣に並んだ。


「ネビル!ハリーと行くんだ!」

「逃げない!戦うためにここへ来た!」


ルーピンとリリーの息の合った共闘にマルフォイは次第に劣勢となった。そしてとうとうルーピンの放った失神呪文によって地に崩れ落ちる。


「シリウス!」


リリーが中央の台座へ駆け出したとき、背後でルーピンが「ダンブルドア!」と呼んだ。しかし彼女の見つめる先はシリウスだけ。彼が赤い閃光を弾き、緑の閃光を躱すのを見ていた。


「どうした?もう少し上手くやらないと私には当たらないぞ!」


シリウスの挑発が再び赤い閃光を招く。リリーは自身の何倍も決闘に長けた男を信じ、ベラトリックス・レストレンジへと集中した。駆け寄る間も彼女の隙を探す。目まぐるしく杖は振られ、彼女が確かに自分にも意識を向けていることをリリーは感じていた。

自分は決して強くないが、二対一ならダンブルドアが手助けに来るまでの時間稼ぎくらいは出来るはず。


死を回避するのは簡単なことではない

しかし元を断つことができたなら、

レストレンジを抑えることができたならば、


「ステューピファイ!」


リリーの杖から放たれた閃光は届く前に見えない盾によって阻まれた。

だがそれでもいい。何度だって撃ち直せばいい。

あと少し、あと少し時間を稼げば――


そのとき、

昔の品性の残る整った彼女の顔がニヤリと勝ち誇るものへと変わった。


「シリウス!」


ポッターの悲痛な叫びがリリーの耳をつんざいた。


「シリウス!」


何度も叫ばれるその名に、ヒヤリと嫌なものが背を伝う。


まさか、いや、そんな


固まるリリーに向けられたレストレンジの閃光を、シャックルボルトが受けて立つ。バチン、バシッと弾き合う音をどこか遠くに聞きながら、リリーはぎこちなく首を回した。


つい数秒前、


シリウスが揚々と立っていたその場所に、


誰もいなかった。







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