120 禁じられた森


静まり返った隠し部屋で、リリーは自身に目くらましの呪文を唱えた。螺旋階段を上がった先も静けさが満ち、呼吸音だけが空間を支配する。そしてそっと部屋を出た。


アンブリッジの部屋がある廊下は人気がなく、見張り役をするはずのジニー・ウィーズリーやルーナ・ラブグッドもいない。リリーはそっと扉に耳をつけた。中からボソボソと話し声が聞こえてくる。


「……ドラ……を呼んで……」


誰かが扉に近付く気配がして、リリーは瞬時に身を反らせた。間一髪で扉が開き、中からニヤニヤと嫌な笑みを浮かべたマルフォイが出てくる。彼は足早に廊下を抜け、階段を下っていった。

再び耳をつけた扉の向こうはシンとしていた。

ここまではリリーの知る《本》の予言と同じだ。なるべくしてなっている。悪化を引き起こしやすいのは偶然による出来事であると、リリーはこの4年間で学んでいた。焦ることは起きていない。

5分ほどが経って、マルフォイがスネイプを伴い戻ってきた。リリーはコツリとも音を立てないよう、息を殺して扉から離れる。


二人が仮初めの校長室へ入って数分後。再び扉が開き、中からはスネイプ一人が出てきた。彼は面倒事をはね除けるように扉を閉める。そして地下へと向けた身体をグイと捻り、リリーのいる方向へ向き直った。


「――っ!」


リリーは危うく声を出すところだった。唾を飲む音でさえ届いてしまいそうで、じっと気配を殺すしか出来ない。目が合ったわけではなかった。目くらましの呪文も十分効いている。それでもスネイプはじっと、リリーの顔の辺りを見つめていた。

10秒ほどの時間がリリーには何百倍にも長く感じられた。やがてスネイプは踵を返し、足早に階段を駆け下りる。騎士団の本部へシリウスの無事を確認するために。

リリーは胸を撫で下ろし、この場を去った。

彼女たちが次に現れる場所を《知っている》。アンブリッジの追及から逃れる方法は多くない。グレンジャーは禁じられた森を目指すはずだ。


リリーは走った。風に波打つ雑草を踏みつけ、今まさに太陽が沈み込もうとしている森に、自身も飛び込んだ。樫やイチイの並ぶ小道を少し進んで茨の茂みを掻き分ける。誰にも姿は見えないが、身体がなくなったわけではない。ローブや手足があちらこちらに引っ掛かり切り傷ができた。


「グロウプ!」


ハグリッドの努力が実り、彼はとてもお行儀が良くなっていた。いや、良くなりすぎた。彼は自身の手によって作られた空き地に足を投げ出して座り、どこから拾ってきたのか太いパイプをねじ曲げて遊んでいる。ハグリッドを探しに出る素振りもない。


「ハガー?……ハガー、いない……」


キョロキョロと声の出所を探すグロウプに、リリーは見えていなかった。


「ごめんなさい、グロウプ。あなたに頼るしかなくて」


ポツリと呟いて、リリーはグロウプをこの場に繋ぎ止めている太い縄へと杖を向ける。


「エマンシパレ(解け)」


突然解放された縄に首を傾げ、グロウプは立ち上がった。リリーは彼の肩へと狙いを定め「アセンディオ(昇れ)」と唱える。彼のボロ布のような服をギリギリで引っ掴み、ぐらぐらと揺れる肩へとよじ登った。


「グロウプ、ハグリッドを探しに行こう!」


広範囲の捜索呪文は多大な疲労感を伴った。それでも何度目かで三人の影を捉え、リリーはグロウプをそこへ誘導する。姿なき声にグロウプは終始不思議がる様子を見せていたが、耳元で何度も進むべき方向を繰り返すとその通りに足を踏み出した。




「ハーミー」


グロウプの到着はケンタウルスよりも早かった。アンブリッジの目が大きく見開かれ、あんぐりと口もだらしなく開く。


「巨人?ダンブルドアの隠していた武器はこれね?!あの半巨人が引き込んだんだわ!」


一変して彼女の顔はキラキラと輝き出した。宝物を見つけた子供のようなその顔に、ポッターとグレンジャーが顔をしかめる。


「ハガー、どこ?ハガー!」

「黙りなさい、穢らわしい生き物!」


アンブリッジの杖から閃光が放たれた。


「止めて!彼は何もしていないわ!」


叫ぶグレンジャーの懇願に聞く耳を持たず、アンブリッジは次々と杖を振った。失神、捕縛、爆破、どの呪文もグロウプには届かなかった。巨人族の頑丈な皮膚は確かにそうする力があったが、呪文は何一つ彼に届いてさえいなかった。

グロウプの肩で杖を握りしめ、姿なきリリーがほくそ笑む。


「誰だ?ここは人間が立ち入るべき場所ではない!」


怒りに満ち溢れた地を這う声が木霊した。同時に、空を切る音がして、何本かの矢が近くの木々へと突き刺さる。アンブリッジは「ヒッ!」と恐怖を漏らしポッターを盾に身を隠した。

私たちはケンタウルスにぐるりと囲まれていた。


「私はドローレス・アンブリッジ!魔法大臣上級次官でありホグワーツ校長、並びにホグワーツ高等尋問官です!」


ここからはアンブリッジの独壇場だった。騒ぐ彼女に紛れてリリーがグロウプに動かないよう説き伏せる間、彼女はわざとかと思うほどにケンタウルスたちの地雷を踏み歩く。

そしてやがて、蹄の音と共に森の奥深くへと消えていった。

残されたのはいくらかのケンタウルスとポッター、グレンジャー、グロウプ。そして気に止めるものは誰もいないがリリーも確かにその場にいた。


「それで、こいつらは?あの女を連れてきたのなら……」


険しい顔の灰色のケンタウルスが蹄を強かに鳴らしグレンジャーへと近付く。グレンジャーはにじり寄るケンタウルスと不思議と大人しいグロウプに目を走らせて、グロウプを頼った。幹のような太いその足にひしとしがみつく。


「ハーミー」


グロウプの巨大な手がその足に纏わりつく小さな存在目掛けて振り下ろされた。グレンジャーはケンタウルスとグロウプの手に挟まれ身を固くする。


「伏せて!」


叫んだのはポッターだった。緊張に縮こまる彼女の手を引き自身もろとも地に這いつくばる。その上空を何本もの矢が弧を描いていった。

ケンタウルスの弓を引く音はリリーの耳にも届いていた。それどころか矢先はまさにグロウプの頭、彼女のいる場所に向けられている。ポッターの声に後押しされ、リリーは近くのイチイへと思いっきりジャンプした。


「――っ!」


私がマグルだったなら、拍手喝采間違いなし。しかし私は魔女で、杖を握りしめていて、だというのに何故咄嗟に頼ったのが己の脚力だったのか。ひしと枝にしがみつき足をゆらゆらと宙に投げ出す現状。何とか矢から逃れられたのは、運が良かったとしか言い様がなかった。間抜けな現状を維持するのに精一杯で、指ひとつ動かせない。

たとえ不自然に枝葉が揺れようと、騒動の中そんな些細なことを気にする者は誰一人としていない。痛みに大きく呻き暴れるグロウプが地面を揺らし、リリーはケンタウルスの群れの中へ落ちないよう必死に枝へとしがみついていた。


どのくらいそうしていただろうか。長くはなかったように思うが、手の痺れを考慮すれば長かった気もする。徐々に遠ざかる蹄とグロウプの咆哮。姿は追えなかったが会話と音からしてポッターとグレンジャーも上手く逃げたようだった。

リリーは身体を枝へ引き上げることも、5メートル下へ飛び下りることも、杖を振る余裕もなかった。いよいよ腕が限界に達したとき、グイッとローブを引っ張られる。

疲れきっていた腕は容易く解けた。重力に従い落ちる最中の一瞬の浮遊感。リリーは反射的に固く目を閉じ、衝撃に備える。


「…………?」


しかしそれは一向に襲ってこなかった。それどころか浮遊感がいつまでも続き、襟首には引き上げられるような苦しい痛みがある。

リリーは恐々と目を開いた。


「浮いてる……」


ゆっくりゆっくりと地面が近づき、爪先が、踵が、柔らかな苔と朽ちた小枝を踏みつけた。首の痛みからも解放され、リリーはバッと音がしそうな勢いで振り返る。


「テネブルス!」


後ろにいたのは骨に真っ黒な皮を張り付けた有翼の天馬、セストラルだった。リリーはぎゅっとその首に抱きついて感謝を示してから自身の目くらましの術を解いた。

リリーは擦り傷だらけのボロボロだった。血の匂いにセストラルが寄ってきたのも頷ける。瞳のない白く濁った目にどれだけの視力があるのか研究者の間でも議論になってはいたが、彼らが視力だけに頼っているわけではないのは明らか。だからこそ今、透明だったリリーは救われた。


「ありがとう、テネブルス」


未だに個体の判別はつかないが、ハグリッドと共にいたときもいつも一番にリリーに擦り寄ってきてくれたのはテネブルスだった。首をしならせ擦り付けるように彼女の胸元へ寄せる彼を慈愛をもって撫でてやる。

おもむろにスキットルを取り出したぷんと揺らした。

リリーの計画はまだ始まってすらいない。







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